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2006年10月24日のブックマーク (15件)

  • http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20061021ddm041040143000c.html

  • 先日のDocomo主催「モバイル社会における技術と人間」[思想塾との共同企画]に関連する文章をアップします - MIYADAI.com Blog

    MIYADAI.com Blog (Archive) > 先日のDocomo主催「モバイル社会における技術と人間」[思想塾との共同企画]に関連する文章をアップします « [videonews.com] マル激トーク・オン・ディマンド更新しました | [videonews.com] マル激トーク・オン・ディマンド更新しました » 先日のDocomo主催「モバイル社会における技術と人間」[思想塾との共同企画]に関連する文章をアップします レポート Kawakita on the web (http://d.hatena.ne.jp/kwkt/20061017) END_OF_SCAN (http://d.hatena.ne.jp/paraselene/20061017/1161092122) ─────────────────────────────────────── 『フラガール』を含めた

  • 現代演劇ノート~〈観ること〉に向けて - FC2 BLOG パスワード認証

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  • カバディ部のテストページ

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  • ドゥルーズにおける思考の概念

    ドゥルーズにおける思考の概念 O ドゥルーズはあるインタビューでこういっている。 現在のような貧しい時代には、超越性の復権と、「何かについて考察する」という意味の哲学への回帰が存在しています。それはまた、アカデミスムヘの回帰でもあります。ですから、今まさに取り戻さなければならないのは、創造としての哲学なのです。 つまり、「何かについて考察する」のではなく、概念を創造すること。超越性を探求するのではなく、内在野において概念を機能させることです。(1) ここには、終生変わることのなかった、ドゥルーズの哲学へのスタンスが集約されている。超越性への対抗と創造としての哲学。前者は「内在」という言葉で、後者は、「哲学とは概念を創造することだ」という有名なフレーズによって、ドゥルーズの哲学的スタンスとして、自明なものとされている。事実、ドゥルーズはそれを様々な場所で語っており言説をたんに言説と

  • 批判について、勇気について

    批判について、勇気について 小林秀雄は「搦手」(弱点)を攻めるのが「最も人生論的法則に適った軍略」だと述べている(「様々なる意匠」)。しかしこれは「軍略」にこそなれ「批判」ではない。批判はやはり正攻法でいくべきた。相手の核心を明晰につく。あげあしとりなど一切しない。それだけが批判という行為に意味をもたらす。 もっとも小林のこの言葉は微妙なニュアンスを持っている。というのも、小林にとって「搦手」とは、目に見える明かな弱点のことではなくて、「楽屋」を意味するからだ。舞台における失敗を批判するのではなく、それを可能にしている部分を批判すること。これは僕のいう「批判」に近いかもしれない。しかしここには違う感触があるように思える。 すでに小林秀雄について書いた箇所(小林秀雄「様々なる意匠」)でも述べたとおり、ある対象(現象)を認識のレベルで批判すること自体はまだ真の「批判」ではない。そこから先が

  • 物語と「真剣な感情」──BUMP OF CHICKENについて

    物語と「真剣な感情」──BUMP OF CHICKENについて 最近「BUMP OF CHICKEN」(以下バンプ)を繰り返し聴いていた。藤原基央は久しぶりに現れた作家性をもったミュージシャンだと思う。彼の曲が若い人に受けるのはよくわかる。働いていた塾(潰れた)の中学生たちがすごく好きだった。 僕もいいと思うから聴くのだが、ただ、高校の頃に聴いていた「筋肉少女帯」(以下筋少)に似ているな、とは思っていた。方向性は逆だが、作品としての質感が似ている。そんな中、「バンプ」の「アルエ」という曲が「エヴァンゲリオン」の綾波レイ(=レイ綾波=R・A=アルエ)をモデルに書かれたと知って、思うことがあった。 そもそも綾波レイ自体が「筋少」の「どこへでも行ける切手」という曲の「包帯で真っ白な少女」というフレーズをイメージ化したものである。それを知ってか知らずか、「バンプ」は綾波レイを再度、音楽の領域に

  • http://www3.ocn.ne.jp/~camp/sakuhin.html

  • 断章

  • アントニオ・ネグリの『時間機械』

  • ジル・ドゥルーズと情報

    時間=映像 個人的に、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズの『映画』(第一巻は『運動=映像』、第二巻は『時間=映像』)ほど、日語訳の出版が待ち遠しいものはない。翻訳権は法政大学出版会が獲得して出版予定とされているが、第二巻の原書が出版されてから14年、いまだにいつごろ出版される目処なのかは不明だ。かつて学生時代にさっそく原書を入手して拙い語学力で流し読みしたわけだが、さすがに辛いものがあるので、やはり正確な日語訳で通読してみたい。なんとか頑張ってください > 訳者の方々。 それはさておき、このは「映画作家」を芸術家というよりはむしろ思想家と見倣して書かれた哲学書といえるが、ところどころに「情報」についてコメントした部分がある。ドゥルーズは盟友ともいえるフェリックス・ガタリに比べて「情報」には否定的だったようで、それについて書かれた文章は少ないため貴重だし、特にこのでは映画や映像との関連

  • ブログで見る関西レインボーパレード2006 - 旧カミクズヒロイ

    朝 関西レインボーパレード2006BLOG|日、開催します! ろんちゃんの眠々日記:関西レインボーパレード2006 フツーに生きてるGAYの日常 関西レインボーパレード誕生記013●日14時から御堂筋が虹色に! 出発 イマリズム:関西レインボーパレード2006さて、1:40頃に淀屋橋駅を上がってみると、出発会場(市役所前の川沿い)には既に沢山の人が! どうやら前座をやっている模様です。 (…写真8点) ■□ なつの怠惰なひるさがり □■:レインボーパレード、南船場、離婚「講師」という、人目にさらされる仕事を持っている上に、既婚者でもあるワタシには当然参加はムリ。でも、どんな雰囲気なのか見てみたくって、集合場所に行ってみました。 まいのりてぃーりぽーと:パレード見てきました せいこの世界:レインボーパレードに行ってきたよ フツーに生きてるGAYの日常 関西レインボーパレード誕生記017●

    ブログで見る関西レインボーパレード2006 - 旧カミクズヒロイ
  • ▼不治の病いとたたかう人の暮しと辛抱をふみにじった政治家 | イノレコモンズのふた。

    「指導者、糖尿病だから…」中川昭氏、北朝鮮問題で発言」 自民党の中川昭一政調会長は20日夜、静岡県浜松市で講演、北朝鮮が核弾頭を搭載した弾道ミサイルで日を攻撃する可能性について「普通は思わないですが、あの国の指導者は、ごちそうをべ過ぎて糖尿病ですから、考えてしまうかもしれない」と述べた。糖尿病患者から反発されるのは必至だ。 中川政調会長が北朝鮮批判「糖尿病の指導者だから…」 自民党の中川政調会長は20日、静岡県浜松市で講演し、北朝鮮の核実験問題に関連し、「あの国のあの指導者(金正日(キムジョンイル)総書記)は、ごちそうをべ過ぎて糖尿病だから、(日攻撃を)考えるかもしれない。『おいしいものがべられなくなった。日からウニや マグロが入らなくなった。頭に来た。やってしまおう』と思いかねない人だ」と発言した。そのうえで、「そういうことが起こらないようにするために、制裁もいいけども、(核

    ▼不治の病いとたたかう人の暮しと辛抱をふみにじった政治家 | イノレコモンズのふた。
    nisemono_san
    nisemono_san 2006/10/24
    生活とは抵抗である
  • 2006-10-20

    写真は、近所の路地。 この先には、竹屋さんの敷地を通り抜けて、 交通量の多い道路につながるとおりみちが ある。世田谷近辺では見つけるのが難しいが、 狛江あたりまで行けば、土手のようなとおり みち、小学校の脇のとおりみち、水路の上の とおりみちなど、不思議なバッファー空間を たくさん見つけることができる。 都心では土地が売買されるときに、境界線を きっちり確定し、とおりみちや路地のような バッファー空間を日々抹殺し続けている。 バッファー空間なき、私有地と私有地の私利 私欲がぶつかり合う境界線では戦いが絶え間 ない。 山の熊も里山という人の手が入ったバッファー 空間がなくなることによって、まちにまで 出てきて人間とのフリクションを引き起こし ている。 もう一度、あいまいなバッファー空間について 考え直してみる時期なのかもしれない。

    2006-10-20
    nisemono_san
    nisemono_san 2006/10/24
    なにげないが重要