タグ

ブックマーク / deztec.jp (22)

  • 『価値観の対話場 シンクロン』をご案内します

    1. 価値観の対話場 シンクロン 知人が立ち上げたコミュニティサービスです。 シンクロンとは|価値観の対話場 シンクロン シンクロンは価値観を可視化して議論ができるコミュニケーションサイトです。 (中略) シンクロンでは、多様な意見を3つの価値観に分類しています。その3つの価値観は、実は誰もが持っているものです。誰もが持っている3つの価値観に、お互いの意見が分類されることで共感できるポイントが見つけやすくなります。 ま、とりあえず見てみてくださいな。 2. もともとは、サンデル先生の白熱教室から始まったプロジェクトです。(関連:ハーバード白熱教室ノート) サンデル先生は、ザックリと正義を基礎付ける価値観を3つに分類しました。「社会全体の幸福」「個人の自由や権利」「美徳(文化や道徳)」が、それです。この大雑把な分類には「単純すぎる」という批判が付きまといました。しかし実際のところ、サンデル教

  • 趣味のWebデザイン

    趣味Webデザイン Lecture Advice Note Info 小説 記事検索: ゲームマーケット2019秋に出展します(2019-06-30) 8年ぶりのスタイルシート更新(2019-06-25) 『シン・ゴジラ』の中の私(2016-08-05) 採用活動で「応募者の名前をネット検索」は禁ずべき(2016-07-10) オフィスチェアの座面カバーを探す(2016-05-12) 近況(2016-05-11) 性同一性障害の新入社員(2014-04-28) 『銀河パトロール ジャコ』と私とKindle(2014-03-30) 小保方疑惑と卒研の思い出(2014-03-13) 次第に通話が減っていく(2014-02-26) 私が愛用している目覚まし時計 SEIKO SQ691K(2014-02-25) 「観光地で英語が通じない」問題(2014-02-17) 私は紐を買わない(2014

    nisemono_san
    nisemono_san 2011/10/25
    いつの間にかこんな緑のオシャレなデザインに……
  • 分数の割り算は、なぜひっくり返してかけるか - faireal.net

    …鏡・双子・迷宮… (2000-12-07) - 結合双生児・分離ねた 恵まれない子に恵んじゃいけない理由 (2000-12-08) - 外国旅行のヒント 分数の割り算は、なぜひっくり返してかけるか (2000-12-15) - 「4分の3」で割る、とは何か? …鏡・双子・迷宮… 2000年12月7日 「残酷な神が支配する」としてすでに紹介したネタですが、裁判官の考えたことを、もう少し具体的に書いておきます(Siamese twins: The judgement from BBC, 22 September)。 細かい語句のニュアンスにこだわりたいかたは、控訴審の判決要旨(英国政府、court service)をごらんください。 アラン・ワード裁判長の見解より 「件は、たいへん困難な事例であり、各裁判官は真に苦慮を尽くしました。この家族の悲劇は、わたしの頭を離れることがありませんでした

  • イザ!記者ブログのご紹介

    イザ!:記者ブログ一覧 産経新聞社はウェブでの活動に以前から力を入れているのだけれども、今回の新サイト「イザ!」は流行らなさそうという点に目をつぶれば面白い試み。驚いたのは炎上予備軍というべき記者ブログが一挙に62もスタートして、軒並みコメント欄を開放していること。早速、「詳細は紙面で」と書いた記者が「ウェブの無料記事で読めない」と突っ込まれている。ひどいね。先が思いやられます。 記事の感想がほしいと記者さんが書いても、実際に寄せられているコメントやトラックバックは、ブログの記事への感想ばかり。私などは「そりゃ、そうなるに決まってるよね」と思うけれど、記者さんもだんだんそういったことに気付かれることでしょう。で、ブログをバリバリ書くようになるか、飽きて何も書かなくなるか。早くも三日坊主の気配濃厚なブログが少なからずあるのはご愛嬌。 産経Web-S 月額2100円で過去の記事まで全部読める。

  • 趣味のWebデザイン - 勇み足にご注意:天安門事件をめぐる攻防

    ミイラ取りがミイラ 町山智浩アメリカ日記 2004-03-13 天安門広場では誰も死傷しなかったかもしれない。ただ、場所は広場の外かもしれないが、「いわゆる天安門事件」において319人が亡くなったことは、中国政府が発表している通りである(Wikipedia)。 町山さんの書き方は勝谷さんと大差ない。記事の主眼は理解するが、だからといって広場の外で(公式発表の数字においてさえ)319人もの方が亡くなっていることをきちんと書かないのは、いささかバランスが悪い。コメント欄を見ると、事件に犠牲者がいなかったと勘違いしている人がいる。広場の外では、大勢が死んだのだ。その事実が、伝わっていない。町山さんは、誤解を解こうとする記事によって、新たな誤解を生んでいる。皮肉な話である。 参考 89年天安門事件における「虐殺」説の再検討(必読) 「天安門広場の虐殺」伝説の創出・伝播とその破綻 19890604(

  • 橋下徹さんの怒りが導くもの

    橋下徹弁護士の日記 日付・産経新聞の報道について 橋下徹弁護士の日記 更なる怒り 自分に火の粉が降りかかると、突然に怒り出す。さらに「あいつだって」風にも読める文章を書きなぐる。 橋下さんが不正確な報道に怒った気持ちはわかるが、記者だってリークされた情報をむざむざ腐らせるわけにはいかないことを理解していいと思う。記者の態度の悪さを責めてもいいが、結局は有象無象のマスコミに向けてファックスで見解を送付する羽目になったわけで、取材拒否は失敗だった。電話を掛けてきた人物が信用できないなら、産経社を経由して電話を折り返せばよかった。なぜ取材される側がそこまで……と思うだろうが、権力を相手に意地を張ってどうなるというのだろう。 また橋下さんは報道に対する怒りから転じて、予断と偏見に満ちた公務員批判をバリバリ書いているのだけれども、相手側の言い分を僅かでも取材しているようには読めない。批判の対象を

  • 趣味のWebデザイン - 紙が減ったら買えばいい

    1000枚のコピー用紙 君たちすべての人が、可能性という1000枚のコピー用紙を持って生まれてきた。 今日、部活がきつくて塾を休んだA君はそのコピー用紙を一枚ゴミ箱に捨てた。 全部で1000枚しかないのに、そんなに簡単に一枚がなくなってしまうのか。私なんか1~3ヶ月で使い果たしてしまいそう。1日10~30枚ペースの浪費。 ま、私の人生は、紙を浪費するために紙を増やす、ということの繰り返しですね。生涯に50万枚くらい浪費するために、一進一退を繰り返す、といった感じ。だいたい、使いもしない紙なんか増やしたって、しょうがないと思うわけだよなあ。ま、無駄に溜め込んだ紙を風に持ってかれちゃう人や、どこかにしまいこんで忘れてしまう人がいるから、私がそのおこぼれにあずかることもできるのですが。掃除をしていて、いいもの見つけたー、みたいな。 関係ないけど、コピー用紙を手漉きで作るのは無理。あれは工業製品で

  • 趣味のWebデザイン - バカみたい

    je-pu-pu サムネイル je-pu-pu サムネイル 実験掲示板 je-pu-puサムネイル問題まとめ@Wiki Google イメージ検索やYahoo!画像検索に広告は無いが、goo画像・動画・音楽検索には広告が入っている。Copyright:(C) 2006 NTT Resonant Inc. All Rights Reserved.なんて記述、画像の削除が面倒+対応が遅い、画像への直リンク、などは三者共通の問題。というわけで、je-pu-pu サムネイルだけがなぜ叩かれるのか、よくわからない。 ここで他称モヒカン族、自称(?)メタモヒカン族である otsune さんの感想にリンク。 「閲覧者の方に、自サイトの内容は自サイトで見て欲しい、ただそれだけの事なんです」 やっぱりこうきたか。以下は otsune さんの記事の感想など。 法的にNGな事業者に対して、クレームをつける自由も

  • 趣味のWebデザイン - 証拠がなくても有罪にできる社会をお望みですか?

    村岡無罪判決だが……(id:finalvent さん) 検察は国民の「空気」を読んだだけなのだろう。黒幕の政治家を逮捕すべし、厳罰に処すべし、という国民の圧力に負けた。実行犯は明らかなので、有罪にできた。では、裏金作りを指示したのは誰か? ことによると、上意を忖度した会計責任者の個人犯罪なのかもしれないのだ。指示があったとしても、それは口頭によるもので、物証は全くない。 実行犯らの証言により、村岡兼造さんが献金に領収書を出さないよう指示した黒幕として名指しされ、起訴された。原理的には疑わしきは罰せずで無罪なのだが、それを言い出すと、世の中、無罪だらけになってしまう。それでいいと断言できる人は珍しいので、疑わしさの程度が争われることになる。検察が「国民の期待に応える」ためには、実行犯の証言だけで政治家を起訴する他なかった。 裁判長は、橋龍太郎さんこそが真犯人だと推理し、村岡さんは生贄に差し

  • 趣味のWebデザイン - 選択の理由

    1. なんとなく働くという知恵(id:zoot32 さん) こういった考え方は好き。だけど、嫌でもお金がなくなったら「なんとなく働く」ことを受け入れるような気もする。みんなそうしているんでしょ、というか。なので逆に、行き着くべきところに行き着くまでは、放っておけばいいような気がする。生活が成立している間はふらふらと夢みたいな話を追いかけたっていい。死ぬまでそうしてやっていける人もいないではない。そして当初の希望通りの職につける人もいる。 ただ id:zoot32 さんは、相談されたから自分の考えを述べたのだろう。とすれば、相談した側にも意図があるのだろうな。なんとなく働けばいいんじゃないの、といった意見も聞いておきたかった。これは「あのときああいったじゃないか」と責任を押し付ける意図ではなく、当たり前のことをひとつひとつ確認していく作業なのだろう。こんな考えの人もいる、あんな考えの人もいる

  • 読んでみたら面白い、という最悪 補足

    0. 文章を意図したように読んでもらえないのはいつものことだけれど、今回は相手がたいへん憤慨されているので、2006年3月27日に補足記事を書きました。 読んでみたら面白い、という最悪(徳保隆夫) みんなと友達になりたいだけです。(id:churchill さん) 1. 題に入る前にひとつ。 私はサブカルではないし、オタクでもないと思う。私は中学・高校と、いわゆるオタク文化圏やサブカル文化圏の人が周囲に多い世界(文藝部とか美術部とか)にいたんだけど、自分はどちらにも関心を持たなかった。テレビを見ない、映画も観ない、音楽を聴かない、マンガも読まない、服飾にも無関心。じゃあ何をしていたか? まじめに勉強して、水彩画や油絵を描いて、雑誌の編集作業に没頭したり、美術館に行ったり、文化祭の準備を頑張ったりしてた。 校則を破らない、法律も犯さない。冗談みたいな「優等生」をやっていて、それが私にピッタ

  • 箱庭のような世界を好む

    私が純文学を好かない理由はハッキリしないのだけれど、とりあえず、(私にとって)どうでもいい描写の中に物語を回転させる描写が埋もれてしまっているようなのは困る。私のように読むのが遅い人は、じっくり読んでいるわけではなくて嫌でも時間がかかってしまうのであって、3ページ前に何が書かれていたかを十分に覚えていられない。目先の数行だけで脳の処理能力が限界になってしまうので、だから読むのが遅いのだということもできる。 そういうわけで、物語の展開を馬鹿にもわかるように繰り返し描写してくれるエンターテインメント小説の方が好きだというか、そういうのしか読めないというか。純文学は、読み終わってから「で、どういう話だったっけ?」と頭カラッポになってしまうことが多くて困る。 ひとつの対応策として、純文学に限っては、私はなるべく先に粗筋を読むことにしている(註:実際問題としては、よほど有名な作品以外は粗筋を見つけら

  • 割り切れない

    趣味Webデザイン(徳保隆夫) パナウェーブ問題(2003-05) すべて杞憂に終ってほしい(2006-03-13) 「悪魔の証明」といって思考停止するなかれ(2006-03-17) いつからネットは司法の場になったのか(鳥新聞さん) 鳥新聞さんからご批判をいただいたのだけれど、うーん、正直よくわからないな。 以下、まるごと余談。 近年、大衆の有能感の高まりから、人々の司法に対する批判が強まっています。裁判に庶民感覚を持ち込もう、というわけで裁判員制度もスタートすることになりました。社会の様々な場面を振り返ってみれば、なるほど、司法の判断は一般人の最大公約数的な感覚と乖離している、といわざるを得ません。 例えば、オウム真理教(現・アーレフ)信者の転入届不受理は違法だと、裁判所は判断しました。オウム信者にだって人権はあるというのです。私の周囲では「殺人テロ集団に人権なんかあるか」「改心しな

  • バカな閲覧者は勝手に不幸になればいい

    1.リンクの target 指定問題 他サイトへのリンクを新しいタブで開きたいとは考えない人が現にいるにもかかわらず、target="_blank" とすると、閲覧者は選択の余地なく新しいウィンドウを開かされてしまう。これが target="_blank" が嫌われる唯一無二の理由です。 そもそも新しいウィンドウという発想のないブラウザを利用している場合、target="_blank" は無視されます。テキストブラウザの大半とか、携帯電話に搭載されているブラウザとか。W3C が target 属性を排除する方向で HTML の改訂を進めてきたのは、target 属性に汎用性がないからです。リンク先を新しいウィンドウで開くとか、新しいタブで開くといった機能は特定環境でしか意味がないのだから、HTML 文書ではなくブラウザが対処すべき課題なのです。 現に、Firefox の拡張プラグインには、

  • 「悪魔の証明」といって思考停止するなかれ

    GRIPBLOGの「泉あい」=オウム指名手配犯の菊池直子説(てんこもり野郎さん) くそったれが(松永英明さん) てんこもり野郎さんによる疑惑に提示に対して、松永さんは怒りにまかせて、こうお書きになった。 立証責任は貴様にある。疑いをかけた側が立証するのが筋であり、疑いをかけられた側に「私は違う」と立証させようとするのは、悪魔の証明であり、不可能だ。「違うと証明できないから、認めたんだ」とプロパガンダする奴は信用してはならない。繰り返すが、立証責任は疑った側にある。できないなら即刻泉さんに謝罪し、間違っていたということを誰の目にもわかるように訂正すべきだ。 「悪魔の証明」という言葉は好きな人が多いようだけれど、私は「あまり使わない方がよろしいのでは」と思っている。 日では、一定の根拠を持って他人を疑うことが制限されない。疑うに足る根拠があるとき、「疑わしい」と意見表明する自由があるというこ

  • 趣味のWebデザイン - ウィッシュリスト

    匿名日記 in はてな 2006-03-14(?B) まぁ冷静に考えても見ろよ、あなたとあのブロガーはただ同じ時期にブログを書いていた(少しばかり向こうの方が有名だけどね!)というだけの関係で、応援したり、見守ったりするような関係じゃないんだよ。ここで慈悲の心を恥ずかしげもなく表に出せる奴は相手が少しでも隙を見せたら速攻で哀れんでやろうと思っている、ハイエナのような人間だよ。 私はそういう人間なので、ガンガン支援する。といってもまあ、できることなんてないのだけれど。 Amazon.co.jp: ウィッシュリスト 松永英明 世の中にはもっと不幸な人がいくらでもいることは知っている。感染病予防のワクチンなんか驚くほど安くて、あなたの1000円が10人の命を救う! とか、まあいろいろあるんだけど、不謹慎ながら、私はすぐに飽きてしまう。そうでなければ、手取収入が年250万円足らずの人間が東京に暮ら

  • 無責任くらべ

    外国人犯罪について色々と分析してみた(gori さん) まずはご一読を。gori さんが特に今回の分析で来日韓国人の犯罪率の低さを知り、過去のエントリー等で韓国人ビザ免除について感情的な批判をしたことを深く反省したい。とお書きになったことには「さすが」と思わされた。当然のように、コメント欄で反省の弁を述べている者はいない。gori さんは「祭りの後のメディアリテラシー」と題してこうお書きになっている。 裏を取らなかった事で政党自体を崩壊の危機に晒した永田議員のガセメールに関する記事の中で、永田議員と全く同じタイプの失態を犯している週刊新潮。唯一違うのは、政治家の場合は徹底的に追及され白黒がハッキリ付けられるんだけど、マスコミの場合は有耶無耶に終わらせて誰も責任を取らないって事だ(例:朝日新聞のNHK番組に対する虚偽報道問題)。その点、キッチリ責任取らされる政治家の方がまだマシだという見方も

  • 趣味のWebデザイン - 理想と現実と諦観――幸せな生活をもとめて

    諦観をベースにささやかな希望を抱く(徳保隆夫) 命は受胎から始まる - Weblog(三宅龍太郎さん) よく解からないので訊く。 (中略) 「人間なんて、こんなものですよ。」と認識する と、進歩はそこで止まってしまうと考えるのが普通──常識と言ってもよいけれども、そこから 一歩でも二歩でも前進 するための原動力は何ですか? わかりません。 徳保さんの矛盾は ここにある。 一歩でも二歩でも前進しようとするとき、人間は「こんなもの」とは思っていない。 自分の出来る(手の届く)目標を達成したところで達成感はない。 満足感ならあるかも知れない。 しかし、不可能と思えることに挑戦するから全身に力が漲るし、達成出来れば幸せを感じることが出来ます。 仮に達成出来なかったとしても、高い目標に真摯に向き合ったことは自信に繋がる。 次の挑戦の原動力にもなります。 多くの場合、諦めると前進も止まります。けれども

  • ゲーム脳問題:本当の敵はどこにいるのか

    ゲーム脳はミュージカルバトン(Metro さん) 需要ある限り、誰かが書く……というのは、2ch などを見ればよくわかる。一人が考えを改めても、代わりの一人が現れるだけ。だからゲーム脳の問題も、森先生が「改心」したって解決にはならない。最近では岡田尊司さんの「脳内汚染」がベストセラーになっていますよね。 気が滅入るようなの紹介はこれくらいにして、お勧めなのは以下のAmazon では「タイトル・目次が誤解を招く」という声が出ていますが、全然わかっていないんだなあ。これは「テレビゲームはヤバイ」と思っている人々に確実に読んでもらえるよう工夫をこらしているんですよ。最初から「ゲーム脳なんて嘘っぱちだ」と直感するような人を想定読者としていません。「ゲーム脳」批判はこうやるべし、という一冊。 ところで、ひとつ注意しなければならないのは、「ゲーム脳理論に対する批判は、単にテレビゲーム擁護の心の発

  • 諦観をベースにささやかな希望を抱く (徳保的世界観入門)

    加野瀬さんのご意見への回答という形をとりつつ、麻草さんのご意見にも婉曲に反応します。 「エンタテインメント」は免罪符ではない。(麻草さん) 『ぼくたちの洗脳社会』を好きな人が「映画の力なんて大したことがないんだ!」と主張する不思議テクニック(加野瀬さん) 備忘録を書いて4年、普段どれだけ自分が他人の説得を諦めているかを、逆に実感させられることになりました。様々な意見交換に嘴を挟んでみて、自分の無力を散々思い知らされ、「なるほど、こういうわけだから、日頃たいていのことについて自分の意見を何も主張せずに暮らしているわけか」と。そう思って自分の行動を見つめなおすと、じつはウェブでも気になるテーマのほとんどについて何も語らず、ごく僅かな事例についてのみ意見を書いてきたことに気付かされます。 徳保さんの記事中の「映画」というのは、映像やら書籍やら音楽やら、人間の表現活動に置き換えられると考えられる。