ブックマーク / kurahate22.hatenablog.com (19)

  • ブルーシートの服について(1):非礼拝的オーラを読んで - 降りていくブログ 

    山口さんの文章を読んで、生きているものとは何かについて、もう一度整理したくなった。 note.com 僕は去年、ある読書会でピーター・シンガーの『動物の解放』を読んだ。僕が担当したところは、鶏や牛や豚が工場畜産の現場において、人間の経済性のためにどこまでおぞましく扱われているのかといった部分だった。 davitrice.hatenadiary.jp 記憶では、鶏の雄のヒナは不用のため、ベルトコンベアでどんどんと袋のなかに投げ込まれ、上から投げ込まれるヒナの重さによって圧迫死させられ、その後すり潰され、雌のヒナの餌にされる。 大きくなった鶏も単に外的にひどい環境に入れられるだけでなく、卵を増産するために、わざと夜も光を当て続けられ、羽が生え変わる時期を早められるなど、生理サイクルすら干渉され、撹乱された状態にされる。 肉用子牛は、肉の見た目を良くするためにわざと餌から鉄分が抜かれ、慢性的な

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  • すでに巻き込まれている世界で - 降りていくブログ 

    読書会で発表者からシェアされたことを振り返る。 フーコーによる自由主義と新自由主義の違いが話されていたのだけど、自由主義の段階では、あくまでも国という枠組みの下に資があったけれど、新自由主義においては国と資の立場は逆転し、資が主人となり国はその必要のための変化を求められる調整役となったようだった。 今の政権のコロナ対策をみると、それはぴったりと一致するようだ。政権が利権の配分屋でしかなく、政策とはどの利権を選ぶかでしかない。オリンピック招致への未練でだらだらと感染症への対応を遅らせ、満員の通勤電車については向き合えず、「要請」といって、外出抑制のため歓楽街で警察に警棒を手にさせながら威圧するが、経済保障はしない。 個人であれ社会であれ、質的な変化は破綻からおきると思っている。言い換えれば、今まで自分がのっかっていたものが破綻するまで人は根的な変化には向かわない。なんのかんのと言いな

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  • プリズン・サークルとラップのワークショップ 心と表現の連動 乖離を埋めていくもの - 降りていくブログ 

    プリズン・サークルの坂上香監督がラップのワークショップについて公開投稿されていました。 www.facebook.com 3/8、プリズン・サークル x ラップワークショップ@横浜黄金町から、感動醒めやらず。昨晩は、ラップで、しかも初対面の人ばかりでサンクチュアリを作れた感あり。ラップ聞いたことない人から、ラップ体験者まで、中学生〜72歳の老若男女、様々なアイデンティティや背景を持つ20人によるラップとその共有を通して。言葉とリズムでなんとかやり抜く、その姿勢が面白い。ブースから溢れ聴こえる参加者のラップに鼓舞され、心が激しく揺れ、涙が溢れる。えいやっとブースに入って自分の書いたラップを読み始めたら、自然にヒートアップ。ラッパーのFuniさん、褒め上手。ラッパー証書をもらって、皆一人前のラッパーに。証書にあるillは病気という意味だけど、逆手にとって、カッコいいの意味。第二弾やろうと参加者

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  • ジャンル難民発表会 発表原稿 生きることの当事者研究 - 降りていくブログ 

    <プレ発表で以前に投稿したものに加筆したものです。> →3/2再度編集しなおしました。 ◇なぜ「生きることの当事者研究」か? 生の主体性の取り戻しと「苦労の社会化」が環境を新生させる 当事者研究は、社会福祉法人浦河べてるの家からはじまったもので、専門家に解決を委ねていた自分の「苦労」の仕組みを自分自身で「研究」し、周りの人たちに「研究発表」するものです。専門家である精神科医に診断名をつけられ、指示に従う受動的存在にされていた精神障害者の人たちが当事者研究に取り組むことは、自らの生の主体性を回復させる営みでした。当事者研究においては、精神障害者が専門家が提示する正しさに一方的に従う受動的な存在にさせられてしまうこと自体が、人間の疎外であり、回復の疎外であるという理解があります。また当事者研究は単に個人を変えていくだけでなく、周囲の人たちもまた変えていくところに大きな特長があります。当事者研究

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  • 直接性と感覚(主観)が奪われる社会から逸脱していくために - 降りていくブログ 

    縁あって資論のゆるい読書会へ。 境毅さんに難しいところなどはサポートしていただいてみんなで一段落ずつ声を出して読んで、わからないところを話していく。 自分なりにとても印象に残ったのは、資家は自然と(搾取的だけど。)関わることができる(自然から自分の必要なものを取り出して持ってくることができる)のに、労働者は自然との応答関係から疎外されているので、自分で必要なものを自然からとってこれず、資家に依存しなければならないという指摘。 「労働者」とは、自然との応答関係を持つことができなくなった、疎外された存在。一方資家は自然と独占的に関わることができる。資家は「労働者」になる前の人の自然との応答関係をまず奪ってその人を自分が与える賃金に生を依存させた「労働者」にし、自然を独占しているのだととらえると、グレタさんの強い糾弾も必要だし必然とも思える。 「労働者」とは自然との応答関係から疎外され

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  • 2/2 南区DIY読書会 プレ発表:生きることの当事者研究 原稿 - 降りていくブログ 

    ◇なぜ「生きることの当事者研究」か? 「苦労の社会化」が環境を新生させる 当事者研究は、べてるの家からはじまったもので、専門家に解決を委ねていた自分の「苦労」の仕組みを自分自身で「研究」し、それを周りにシェアするものです。そこでは個人のものとして閉ざされていた「苦労」が周りの人たちに伝わり、発表者は周りの人にとって異質で理解不能な存在であり、わたしの世界の外にいた存在だったところから、わたしの世界の一員、わたしの隣人になっていきます。当事者研究では、そのような「苦労の社会化」のプロセスを通して、個人とその周囲の人の認識が共に更新され、有機的な新しい関係性が派生していきます。当事者研究は当初は精神障害者が中心だったところから、時がたつにつれ、福祉の支援者の当事者研究が生まれたり、子どもの当事者研究なども行われたりもしています。 個人が適応することが求められる「社会」の側ははたして当に健全な

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  • 殻と更新作用 - 降りていくブログ 

    「殻が厚くなる」という言い方は日常語で使われますが、このとき「殻」は、「厚くなっているなあ」と言われているその人体を指しておらず、言われているその人が身にまとうもののように、その人の行動や態度のあり方を規定するようなもののようにいわれます。 一方、僕の周りの社会では、誰かが罪を犯したり、あるいはいいことをしたとき、その人の殻とその人は分けられたりはしません。殻とその人は同一のものとして扱われます。 しかし、人々の感性のなかでは、少なくともことばのうえでは、その人と殻は分けられてとらえられています。僕は殻とその人を分けるというのはとても実態に即しており、人をとらえる際、とても妥当な見方であると思います。 妥当だというのは、そのようにとらえることで、殻とその人が一体のものであると仮定していることで行き詰まっていることをひらくからです。 たとえば、意思というものが、素晴らしいもので、人間の人間

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  • 抑圧の相互解放のために - 降りていくブログ 

    ある属性のマイノリティが別の属性のマイノリティへの抑圧にはまるで無自覚でしたい放題だったり、自覚していても平気だったりすることがある。またマジョリティに対してであれば、抑圧仕返すような結果になろうが、今までマジョリティがやってきたことを踏まえるならば、問題ないだろう、仕返しぐらいしても当然と高を括るような場合もある。 筋からいえば、抑圧からの相互の解放が目指されるところなのであって、自分(たち)だけ安全地帯に入ればそれでよし、他の人を抑圧して気晴らししてもよしというのであれば、それまでのその人の抑圧の批判には別に何の正当性もなかったということになるだろう。 そんな心性なら、抑圧されていた時代からその人は自分より弱い周りを抑圧していたのだろうなと思われ、その人は今も昔も一貫して抑圧者だったのだろうと思える。 フレイレは被抑圧者がもし自身のうちに内面化された抑圧を解放しなければ、被抑圧者は単に

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  • <9/14 話しの場のフィードバック> - 降りていくブログ 

    昨日体験した話しの場のフィードバックをこちらにも転載します。 発言:話した内容を忘れてしまった場の雰囲気が一番よかったかもしれない コメント:身体教育研究所(野口整体の前衛的部門)の野口裕之さんが語っていたことを思いだしましたが、記憶に残るというのは異物として残るのであり、それが消えるのが一番いいと。例として、ものすごく美味しいラーメンべて忘れられないよりも、べたことを含めて忘れてしまうラーメンのほうがいいのだ、と。 精神にとって、生きていくことは、取り込んでしまった異物(異化されたもの)を忘れて(同化して)いくことなのだ、という考え方です。 ものすごく記憶に残る、覚えてしまうというのは、多分自分の消化(同化)すべき異物のコアの部分とつながっているので、それを忘れる作業をするために意識に強くあがるのではないかと思うのです。こだわりが生まれるのは内奥のこだわりを根的に消すため、という

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  • ジャンル難民学会(仮)の活動を展開させるにあたって - 降りていくブログ 

    思わぬ流れから、ジャンル難民学会(私の探究・研究相談室)を一般社団法人化しないかという提案をいただきました。 最終的に一般社団法人化するかどうかはひとまずおいて、この機会に去年から半年間、こじんまりやってきた活動をもう展開させてみようと思っています。これまで考えてきたことを盛り込める機会でもあると思い、挑戦してみます。 盛り込みたいと思っているのは、四国八十八か所めぐりをモデルとした、メタコミュニティを派生させる仕組みです。 まず四国八十八か所めぐりというのは何かから説明すると、四国八十八か所めぐり(四国遍路)とは、四国に点在する八十八か所の弘法大師ゆかりの寺(札所)をめぐる巡礼です。 そこで個々の寺は、八十八か所めぐりのために出来たのではなく、八十八か所めぐりがたとえなくても自立して存在しています。しかし、そこに八十八か所めぐりというコンセプトがあるために、そこにより多くの人が毎年訪れ、

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    nkobi1121
    nkobi1121 2019/06/25
    面白そうですね。再び時間に余裕が持てるようになれば、また参加してみたいです。
  • 【催しもの】5/8 (水) 14時〜  熾(おき)をかこむ会 - 降りていくブログ 

    星の王子さま読書会の進行役、臨床哲学者の西川勝さんと一緒に話しをする場です。初参加の方も参加できます。 ■熾をかこむ会 時間 5/8(水)14時〜 (以後毎月第二水曜日14時〜 6月は12日) 場所 茶山KPハザ(白いマンション「洛北館」の西向かいの駐車スペースを奥に入った左手が入り口です。) 話しの場というもの自体にそんなにイメージがある人も多くないかなあと思います。 僕にとって話しの場とは変容のプロセスをおこす場です。変容のプロセスはおこすというか浮かび上がってくるものであって、そのプロセスの求めに応答することでプロセスは進んでいきます。 そのプロセスが浮かび上がってくるためには、あんなことになったらどうなるだろうとか、どう言われるかわからないとか、そういう不安や恐怖が打ち消されたり、緩和されていること、そしてそもそも場を囲む人にとってプロセスが動きだしやすいタイミングであることなどが

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  • 4/21 自給農法を学ぶ 作業報告 - 降りていくブログ 

    4/21の日曜日に自給農法を学ぶ講座の1回目を行いました。 畑をはじめるときに気をつけること、自給農法流の畝の立て方などを学びました。 ◆畑と排水について 畑はまず排水がどうなっているかが重要です。排水が悪いと肥料をやったとしても病気になったり、育ちが悪いということがおこります。地球研そばの畑は、もともと田んぼで水がたまりやすいのはわかっていたのですが、畑の一番低い部分が川への排水口につながる南東角かと思っていたのですが、どちらかというと中央西の部分のほうが低く、水がしつこくたまることに最近気づきました。 今日は、ネットの外の外堀をケアすることで排水状況の改善を試みました。川へと繋がる外堀は30cmぐらいの幅の溝です。今回は主に川に直接繋がる部分を中心に今ある深さをさらに掘り、川のほうも少し砂さらいをしました。また溝に5つほどの点穴を空けました。点穴とは文字通り穴なのですが、溝だけでなく、

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    nkobi1121
    nkobi1121 2019/04/23
    最近時間がなく参加出来ませんが、また時間が出来たらぜひ参加したいです!
  • 3/26 南区DIY読書会 発表原稿 「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」第六章〜 - 降りていくブログ 

    2019/3/26 南区DIY研究室読書会 奥野克己『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』 概要:ボルネオの狩猟採集民プナン(西プナン)はマレーシア・サラクワ州政府に属し、自動車などの近代的な道具に触れながらも、狩猟採集をベースとした自分たちの文化を維持していた。彼らの子どもは学校も行きたくなければ行かない。結婚はパートナーがいる状態をさすだけで、次々と別のパートナーに変わることも珍しくない。子どもは実子と養子が入り混じる場合が多い。プナンでは、ありがとうに該当する言葉はなく、また反省するという概念がない。 ◆今回の発表 第六章、第七章から発表します。プナンの性や結婚のあり方について。また私的所有を認めない「共有主義」について。所有という壁をもうけないことは、精神性にどういう影響をもたらしているのか、など。 ◆第六章 伝達機能を持たないが、一体感を生み出

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  • 自分の仮説 言葉の世界の位置づけ 先行知と後知恵 - 降りていくブログ 

    西川勝さんの星の王子さま読書会で、色々なものをもらっています。 僕にとっては、西川さんは物事がすぐ欺瞞に塗り固められ、その欺瞞に何も感じなくなってしまう世界に亀裂をいれてくれている人です。その亀裂から出る響いてくるものは、しばらく自分を正気にとどめ、ものを感じ、見る状態にしてくれます。自分の見える牢獄のような風景を変えうるしばしの機会は、そのような時にもらえるのだと思っています。 その西川さんが、「先行知」と「後知恵」について話していて、その区分は以後の自分のなかにはっきりと根づきました。先行知とは、未来を予測する知であり、どのような働きかけをすればどのような結果がでるかということの知識です。福祉や医療に従事する専門家は、膨大な先行知をもって支援する人にあたります。教科書に載っていることは、先行知だけです。 一方、後知恵とは、先に知ることができない、いわば失敗を通して学ぶ知です。僕にとって

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  • サトウアヤコさんの「回路と迂回路」へ - 降りていくブログ 

    サトウアヤコさんの「回路と迂回路」に参加した。 回路と迂回路 – “学び”と”苦手”について考える – | 2畳大学 サトウさんは、学ぶこととは回路を作ることではないかという。「苦手なこと」をテーマにして、そこに「迂回路」という回路をつくってみようとする。ここでの「学ぶ」は、ある決まった対象に取り組んで習熟していくことを指しているようだった。 そこで苦手だというのは、そもそも自分のいつものやり方でやってダメで、別の考えつくやり方でやっても効果がないという状態を繰り返していて、そこへ取り組むとイメージするだけでも忌避感や嫌悪感が発生しているような状態なのだろうかと思う。 既に忌避感や嫌悪感、見たくない反応があるため、地について進んでいったり、工夫を見出していくような思考もおこりにくいという悪循環がある。 ワークで、何が苦手かというのをまず書き出してみると、頭のメモリーがその分解放される。自分

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    nkobi1121 2018/11/21
  • 防災DIY紹介文について  - 降りていくブログ 

    防災とDIYの組み合わせ、特に変わったようなことは何もないように思われるかもしれない。 居場所、対話、学び、回復など、それぞれ個別のワードに関心がある方面にもピンとくる人は少なそうだ。 僕は畑をやっているけれど、はっきりいって作物づくりが専門なのでもないし、作物づくり自体をずっと探究していきたいわけではない。またDIY的なものづくりが大好きなわけでもない。なぜ防災とDIYなのか。 臨床心理学科にいって、心理カウンセリングの構造に疑問を抱き、別のあり方で人の変化や回復がおこらないかと考えてきた。防災とDIY、僕のこれからの運営の如何もあるからポシャるかもしれないが、これがその考えてきたことへの答えだ。 心理カウンセリングにはいくつか問題がある。一つは、問題を社会ではなく、個人の心に帰すること。心理カウンセリングには社会自体を問う哲学がない。つまるところそれが目指すのは現体制への適応だ。 適応

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    nkobi1121 2018/11/01
  • 筒井康隆『旅のラゴス』一抹の夢としての生 - 降りていくブログ 

    最近ははてなSFを検索して気になったものを図書館で借りて読んでいる。 1文字1文字読むのはしんどいし、読めないところはさっさと飛ばして読むことにした。読めないなりに読む工夫をしようと思う。 特に事物の描写とかはとばしている。そういう部分は全く興味がわかなくて負担だけになってしまう。 ネタバレ的なことは自分には全く問題ない。話しがみえなくて読む動機がなくなるならWikipediaなり何なりで、あらすじとか終わりまで含めて要約してくれているようなものを読む。 機械的な感性の自分にとっては、何がどうしてどうなるのかが分かればいいし、そこを楽しんでいる。詩とかも情緒系のものははいって来ない。児童文学も好きだが、小川未明みたいなのは読みにくい。宮沢賢治はまあまあ読みやすい。 旅のラゴスは、検索して高評価の紹介があったので読んだ。 niseco.hatenablog.jp 北から南へ、そして南から北

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    nkobi1121 2018/10/23
  • これまでの経緯 このブログについて - 降りていくブログ 

    このブログ、新しく読みはじめてくれる人もいるようなので、年に1度ぐらい、このブログで書いていることが何を問題にして、どこに焦点を持っているのかを書こうと思う。 書き始めた三年ぐらい前と同じく、僕は週に1度か2度夜勤のバイトをしながら、それ以外の時間は自給のための畑と当事者研究など、話しの会をしたり、学びの場を数人で巡っていくことをしている。 そうするのは、自分、あるいはこのような社会における自分のような人間がどう生きていけるのか、そのありようを考えているからだ。この社会で自分が生きていくサバイバルの方法を探り、見つけたことを実践して、充実して生きられる環境を作り出し、整えようとしている。 サバイバルは、二つある。一つは身体の維持としてのサバイバル。もう一つは自分が自分としてあるためのサバイバル。僕はこの二つをあわせてサバイバルだと思っている。自分がすり減っていくのなら意義は感じない。むしろ

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    nkobi1121 2018/09/24
  • 9/12 星の王子さま読書会 酒のみのシーン - 降りていくブログ 

    第二水曜日の星の王子さま読書会。 月に1回のペースで今回で13回目。13ヶ月をかけて75ページまですすんだ。今日は王子が酒飲みに会うシーン。 酒飲みは山のような空き瓶と新しい瓶を前にして黙って座っている。子どもの頃に読んだ内藤濯訳の星の王子さまで一番印象に残っているのが、「酒のむのが、はずかしいんだよ」のセリフだった。残っているイメージでは怒鳴っているような記憶だったが、あらためてみてみると怒鳴ってない。 しかし、原文にはエクスクラメーションマークがついているようだ。 ―Honte de boire! acheva le buveur qui s'enferma definitivement dans le silence 稲垣直樹訳では「酒を飲んでいることが恥ずかしいのさ」と言うなり、酒飲みは黙りこくり、そのあとはもう一言も口を効かなくなりました。」 個人的には、星の王子さまで一番このシ

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    nkobi1121
    nkobi1121 2018/09/14
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