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MilitaryとHistoryに関するnminoruのブックマーク (2)

  • 武器のない国琉球?(2) - 目からウロコの琉球・沖縄史

    それでは近世(江戸時代)の琉球はナポレオンが聞いたように「武器のない国」だったのでしょうか。答えは「ノー」です。 たしかに薩摩に征服されてからは、かつてのように琉球王府が自在に動かせるような軍隊はなくなったようです。そのかわり琉球の防衛は、幕藩制国家のなかの薩摩藩が担当することになりました(「琉球押えの役」といいます)。 薩摩藩は琉球に軍隊を常駐させることはありませんでしたが、有事の際には薩摩からただちに武装した兵士たちが派遣されました。つまり琉球は近世日の安全保障の傘に入っていたのです。琉球は薩摩藩の支配下に入っていたので、当たり前といえば当たり前です。 また琉球の貿易船が出港する際には、薩摩藩から貸与された鉄砲や大砲を装備して海賊の襲撃に備えていました。琉球国内では鉄砲以外の武器の個人所有は禁止されていませんでした。その証拠に、戦前には士族の所蔵していた武器の展覧会が開かれたこともあ

    武器のない国琉球?(2) - 目からウロコの琉球・沖縄史
  • 武器のない国琉球?(1) - 目からウロコの琉球・沖縄史

    琉球といえば、「武器のない国」としてイメージされる場合が多いと思います。平和を希求する尚真王が武器を捨て世界にさきがけて“非武装国家宣言”をしたとか、ナポレオンが武器のない琉球の話に驚いたというエピソードも、これらを根拠づけるものとしてよく引き合いに出されます。 しかし歴史を詳しく調べていくと、事実は全くちがうことがわかります。まず尚真王は武器も廃棄していないし、“非武装国家宣言”も出していません。刀狩りの根拠とされた「百浦添欄干之銘」(1509年)という史料にはこう書かれています。 「もっぱら刀剣・弓矢を積み、もって護国の利器となす。この邦の財用・武器は他州の及ばざるところなり」 刀狩り説は、これを「武器をかき集めて倉庫に積み封印した」と解釈していました。しかしこの文を現代風に訳すると、何と「(尚真王は)刀や弓矢を集めて国を守る武器とした。琉球の持つ財産や武器は他国の及ぶところではない(

    武器のない国琉球?(1) - 目からウロコの琉球・沖縄史
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