内橋克人は、『もうひとつの日本は可能だ』を書いた。ここで紹介したように金子勝も『2050年のわたしから』を書いた。別に彼らに限らず、日本の将来について、新自由主義とはちがう、オルタナティブを描こうとする試みは無数にある。 それはそれで結構である。 問題は、それをだれがやるのか、ということになる。つまり国民の間でどのような一致点をつうじて、統一戦線が形成されていくのかという見通しだ。 現状の否定、現体制の破壊に国民が共感をもつ、という一定のリアリティがそこにある。 小泉自民党・石原慎太郎・民主党は、(ときどきに入れ代わりながら)国民の現状否定のエネルギーを吸収して巨大化した。 公務員や郵便局などといった「既得権益者」や「抵抗勢力」を設定して、自らを「革命勢力」として描く手法は見事というほかない。 小さな勢力が何をいったところで変革のリアリティは持てない(「言うことは立派だが小さいので力がない