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ブックマーク / kihamu.hatenadiary.org (5)

  • ポストモダンにおけるデモクラシーの価値――宇野重規『〈私〉時代のデモクラシー』 - on the ground

    宇野重規『〈私〉時代のデモクラシー』岩波書店(岩波新書)、2010年 〈私〉時代のデモクラシー (岩波新書) 作者: 宇野重規出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2010/04/21メディア: 新書購入: 10人 クリック: 174回この商品を含むブログ (63件) を見る 吉田徹『二大政党制批判論』や宮太郎『生活保障』、菅原琢『世論の曲解』など、昨年後半は政治学者の手になる良質の新書が相次いで出版された*1。これを一つの流れとして、併せて読まれるべきなのが書である。 政治思想史を専門とする宇野重規によって著された書は、個人の尊重が人々の唯一共通の価値基準となり、「他人と同程度には特別な存在」としての〈私〉の平等が求められる現代を、平等(化)の思想家アレクシ・ド・トクヴィルの思想を手がかりに読み解く。さらに現代フランスの政治哲学の議論なども交えながら、デモクラシーの現代的意味を問う

    noharra
    noharra 2010/05/01
    個人の尊重が人々の唯一共通の価値基準となり、「他人と同程度には特別な存在」としての〈私〉の平等が求められる現代を、平等(化)の思想家アレクシ・ド・トクヴィルの思想を手がかりに読み解く。
  • ポストモダンが要請する新たな政治パラダイム――Stakeholder Democracyという解 - on the ground

    私はリアルタイムで見ていたのですが、昨日の『朝まで生テレビ』に出演した東浩紀さんが、「インターネットがある現代なら、5〜10万人の規模でも直接民主政が可能だ」と力強く語っていました。この発言は、これまで彼が展開してきた一連の議論の延長線上にあるものなので、彼の読者にとっては特段新鮮な印象を与えるものではありませんが、その内容が刺激的なものであることは確かです。 過去に何度か採り上げているように、デモクラシーの新たな形についての東さんの提起に対して、私には賛成できるところとできないところがあります。明確に賛成できるのは、私たちが置かれている「ポストモダン」という社会状況についての認識と、「政治的意思決定の仕組みというものを原理的なところから考え直してみる必要がある」との問題意識に対してです。「ポストモダン」なる社会認識については、昨年「現代日社会研究のための覚え書き」と題したシリーズ記事で

    ポストモダンが要請する新たな政治パラダイム――Stakeholder Democracyという解 - on the ground
    noharra
    noharra 2009/11/07
    社会内へと決定権を委譲して利害関係者stakeholder間での合意形成による決定および執行を支援・推進する(利害関係者民主政)を新たなデモクラシー像として提示。政治的無能力者にも、同じ「賭け金stake」が配られるべき
  • かかわりあいの政治学7――相続はなぜ認められるのか - on the ground

    承前。 相続はなぜ認められるのだろうか。ある人の連れ合いや子どもであることが、その人の死後に財産を無条件で譲り受ける権利を発生させるのは、なぜなのだろうか。相続については、相続税をもっと引き上げて――場合によっては100%にして――所得再分配に活用するべきだという意見がある一方、むしろ引き下げて――場合によっては廃止して――自由な経済活動を促進させるべきだという意見もあり、面白い論点が提供されているが、そもそも相続制度とは何であるのかを突き詰めて考えた議論はあまり多くない。相続財産に課税が許されるのはなぜかという疑問を呈することも可能ではあるが、そもそも課税には根拠など無いので、それは有意義な疑問とは言えない。むしろ、所有権者が死亡した後に、彼の財産が無主物や共有物にならずに、自動的に特定人物へと承継される制度の根拠を問うた方がいい。 教科書的な定義を持ち出すなら、相続とは「自然人の財産法

    かかわりあいの政治学7――相続はなぜ認められるのか - on the ground
    noharra
    noharra 2009/05/17
    社会は死者から権利を剥奪しているので、被相続人の財産は彼が死亡した時点で宙吊りになっている。、相続税100%にするかどうかはその社会の意思で決めることである!
  • 世界を変えることはできますか?――社会科学的説教ないし説教的社会科学入門 - on the ground

    10代の少年少女にふと、「世界を変えることはできますか?」と尋ねられたとして、私ならどう答えるか――。 「できるかできないを訊くな。今の君には、そんなことを考える必要は無い。 当に世界を変えたいなら、まず何をどう変えたいのかを考えることだ。何でそう思うのかをハッキリさせろ。 その次に、どうやったら変えられるのかを考えろ。そして、それを知るために勉強しなさい。」 もちろん、「できない」と答えてもいい。しかし、それは必ずしも正確な答えではないし、その答えで納得して引き下がるような相手なら、最初から答える価値も無い。誰かに「できない」と教わったら変えようともしない人間は、別に気で変えたいとも思っていないということだ。そんな奴、真剣に相手にするだけ時間の無駄である。 世界を変えることはできない。変えることができるのは、自分だけだ*1。私たちにできるのは、自分の変化や行動を通じて世界に働きかけ、

    世界を変えることはできますか?――社会科学的説教ないし説教的社会科学入門 - on the ground
    noharra
    noharra 2009/04/04
    世界を変えたいか!?:何もしなくても世界は変わっていく。だから、世界を変えようとすることは悪いことではない。変えようしたことで世界を良くするかもしれないし、悪くするかもしれない。どこかで跳ぶしかない。
  • 「国策捜査」の意味 - on the ground

    検察が小沢の首を獲るべく動いたことが「国策捜査」であることは否定できない。しかし、それは検察が政府の意を汲んだということであるとは思えない。そうではなく、「国民代表」である検察が、国民の――より正確に言えば「人民」の――「民意」を汲んだ(あるいはやや過剰に忖度した)結果だと解釈するべきである。現代日における検察の行動原理を理解できない政治家は、ただポピュリズムの波に呑み込まれて沈むだけだろう。良くも悪くもゲームのルールは既に変わったのであり、後は行くところまで行くしかないのではないかと思える。 佐藤優『国家の罠』を読んで感じたのは、何だか検察という機関は思いの外「民意」なるものに左右されやすいということであり、それはかなりの程度に民主化された現代的な国民国家における公権力の在り方を現わしている事態にほかならない。これはフーコーが言う「生‐権力」とも繋がってくる話であり、その辺りのことは萱

    「国策捜査」の意味 - on the ground
    noharra
    noharra 2009/03/10
    小沢逮捕は民意ではない!今回の小沢逮捕を、「国民代表に許すフリーハンドの範囲を狭めていく」と捉える。白を黒と主張。「自らの民主主義理解に反する民意(民主主義)」を否定して全体主義肯定に陥ってしまった!
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