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街歩きと日本庭園に関するnoir555のブックマーク (2)

  • 晩秋の江戸東京散歩 - 夫婦写真散歩のススメ

    12月2日、9日、16日。三週連続で日曜日の東京をコンデジを携えて、歩いてみました。 前回までの奈良大和路散歩で、勝手に命名して盛り上がっております「歌撮り」。 初冬の街並みに留まる秋の名残をテーマに、元となる和歌を求めて、萬葉集、古今和歌集、新古今と時代の流れに沿ってじっくり読み込むと、いろいろなイメージが湧くものです。 それを写真で表現してみようというのが「歌撮り」。 街の新陳代謝が激しい東都を歩きながら、現代のイルミネーションにも「秋の停泊地」を探して歩きます。 所載歌集:古今和歌集、百人一首 春道列樹 山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬ紅葉なりけり 春道列樹(はるみちのつらき)。今どきの出版界でいえば、ライトノベルの作家名かと勘違いしそうですが、平安時代中期の歌人です。 詳しい生涯について、ほとんど記録が残されていませんが、官吏、役人であったことは分かっています。 古今

    晩秋の江戸東京散歩 - 夫婦写真散歩のススメ
    noir555
    noir555 2019/03/27
    7年前の東京。晩秋から初冬にかけて歩いた記録です。神田明神は随分境内の雰囲気も変わりましたね。
  • 清澄庭園(東京都江東区) - 夫婦写真散歩のススメ

    回遊式築山林泉庭園、清澄庭園 江戸・東京の名園を歩くシリーズも五回目。 今回は江戸時代の造園手法が明治時代に引き継がれ、洗練され完成した名石の庭・清澄庭園をご紹介します。 清澄庭園は大泉水、築山、枯山水を主体とした回遊式築山林泉庭園です。 まずはその歴史から紐解いていくことにしましょう。 清澄庭園の歴史と岩崎彌太郎 江戸幕府老中・下総国関宿藩主、久世大和守広周下屋敷時代 さまざまな伝承が存在しますが、歴史資料による確実な記録をもとにお話しすると、この地は江戸時代二度幕府の老中という要職に就いた下総国関宿藩主、久世大和守広周に拝領され、享保年間(1716〜1736)に下屋敷として三つの池を持つ庭園として造成されました。 そのなかで最も大きな池(大泉水)が現在の清澄庭園の主役である広々とした池に転用されています。 岩崎彌太郎造成「深川親睦園」 現在の清澄庭園が生まれる直接のきっかけは、三菱財閥

    清澄庭園(東京都江東区) - 夫婦写真散歩のススメ
    noir555
    noir555 2013/12/15
    東都No.1の名石の庭で日本庭園の奥深さをたっぷり味わう写真散歩となりました。
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