僕が「月100万円以上安定して稼げる」アニメーターになれた超現実的な仕事術Youtuber・アニメーター / hide channel
マーガレット・アトウッドの『侍女の物語』を「いま、そこにある現実」と捉えるのは難しいことではない。それほどに私たちは時代の変曲点にいる。 一方で、その感覚を内面化する方法は人それぞれだ。直感や自らの体験から敷衍して何かを感じる人もいれば、『侍女の物語』が書かれた1980年代という"あの時代"を振り返り、自分たちが何を見ていたのか、何を感じていたのか、あるいはどう振る舞っていたかということを内省的に潜っていく方法もあるだろう。 ただし、私たちにできることは意外と表面的だ。wikipediaを見たり、他の論評を参照したりはするかもしれないが、知の様式に則って自分の中に浮かんだ問いを深めていくことは容易ではない。それにそこまではしない。人とはそういうものだ。私たちは流動体のように変形しながら周囲の流れの渦の中で生きているし、あまり何かを深刻に受け止めすぎることをよしとしない風潮に身を任せる方が楽
こちらの匿名ブログを読んだ。 anond.hatelabo.jp 内容は…すごく普通だ!いや、決して悪い意味ではなく。 これを読んだとき、いくつもの感想が頭に浮かんだ。 金と権力と経験を持ったオッサンが初心者狩りを始めたようだな…! 不倫の毒牙にかからぬように気をつけるんだぞ…! 男女逆にすると、「仕事ばかりで家庭を顧みない夫」の図式に近い物があるのかなぁ。 いずれにしても、こういう形で関係性が終わることは普遍的だよね。 彼氏はこれを乗り越えていい男になって欲しい。 というようなものだったんだけど。 いやまぁ、これ自体は悲劇でこそあれ、責められたり過剰に卑下することではなく、ただ「フフ…これが若さか…!」と感慨深げなポーズを取ることしか出来ないわけだけど、ちょうどタイミング的に、考える物があったわけだよ。 この話の構造って、 「新しい世界に踏み入れ、そこで認められ承認され受け入れられ始めた
はい。この②何故?を決めるには、〝目的〟(何?)がボン!と出る前の段階で、しっかり整理して掴んでおく必要があります。 関連記事:なぜ?の決め方のコツ といいますのは、 ボクが学校でトラウマになっている授業があるんですけどズバリ〝作文〟です。 あなたも作文の授業があった時、けっこう戸惑いませんでしたか?原稿用紙を渡された時、何を書いていいかわかりませんでしたよね?作文?オエェ~ですよ。 当時のボクは漢字を覚えるのも苦手で、国語が全然ダメダメで作文という言葉を聞くだけで蕁麻疹ができました。 あなたもちょっとだけ目をつぶって振り返ってほしいのですが、おそらくは、、 授業で提出するのに必要だったからとりあえず書いたかもしれませんし、多分たいした動機もなかったはずなんです。だけど書いてましたよね?あれは何だったのか、思い出していただけないでしょうか? 机の上に原稿用紙があって、今からペンを持って文章
なんだかんだで一週間経ったので話します。 元恋人と会いました。相変わらず可愛かった。流石は初恋相手。悔しい。病む。 ほんと未練たらたらでクソ情けない始まり方ですが、まあぼちぼちつらつら書いていこうと思います。 ただいまメジコンODしてるので文脈が少し支離滅裂だったりするのはご了承ください。 ◇◆◇ 池袋駅前。僕は遅刻した。彼女から普段は1日に1回しか返信がないLINEが今日に限っては何度も返ってくる。 しかし内容は待ち合わせ場所についての連絡しかなく、もはやこれだけで数日分のLINEの会話量は既に消費している。LINEってこんなツールだったっけ? 遅れたと言ってもほんの数分程度。謝って許されるレベルだからまだいい。そしてこれはデートではない……とはいえ女性との約束の時間に間に合わせられないとは男として恥を晒してしまったと思った。 池袋駅前にGIGOというゲームセンターがあります。今の時期は
音楽ナタリー Power Push - 神聖かまってちゃん×テレビアニメ「『進撃の巨人』Season 2」 の子と諫山創の「弱い人対談」 「死ねよおまえ」って言いながら水の中に曲を突っ込む ──諫山先生はできあがったエンディングテーマを聴いて、どう感じましたか? 諫山 あまりにも「僕が望んだかまってちゃん」通りで、申し訳なくなってしまいました。すごい私的利用っていうか、ちょっと自分勝手なことやりすぎたんじゃないかって……。 の子 なんでですか(笑)。全然ですよ。 諫山 「夕暮れの鳥」の歌詞を見せていただいたあとに、エンディングの絵コンテに鳥が飛んで行くところを描き足したんです。夕日じゃなくて朝焼けなんですけど(笑)。 ──えっ、エンディングの絵コンテって原作者が考えるものなんですか? 諫山 いや、そんなことはないです。「それはやっちゃダメだ」っていう理性もあったんですけども、「いいや、もう
こんにちは。 こちらの連載も7ヶ月目に突入しまして、嬉しい限りです^_^/ あの・・・ 決して、連載を続けたくて無職しているわけではないんですけどね・・・? noteをサボりまくった結果、最後にnoteで文章を投稿したのは7/5なので、約2週間のブランクを経てこの記事を書いています。 やっぱり、文章を書くことは頭の中をぶん回している感じがして良いですね。 凝り固まった身体を動かすのも気持ちが良いけど、こうやって日記のような文章を書くのは、まさに頭の中のストレッチです。 さっそく近状報告します。 まずは、引き続き職業訓練校にて勉強をしています。 私の通っているコースは3ヶ月のコースのため、今月末で修了です。 いまはラストスパートで、修了制作に取り組んでいます。 正直いまが一番忙しいです・・。 朝から晩まで授業課題のことを考えているのですが、この感じは大学の頃と似ているなぁと思いました。 ただ
ゲンロン批評再生塾も、ついに四期目を迎えることになった。 すでに修了生の数は百名を越えており、総代のみならず各界で書き手として活躍を始めている者も多い。 三期やってきての成果はどうかといえば、立ち上げ当初の期待と不安を思い起こせば、まずは上々と言ってよいのではないかと思う。 だが、もちろん、まだまだ足りない。 そもそもこのプログラムは、私たちが仮に「批評」と呼んでいる営みと試みを「再生」することが目的だった。 そのためにはむろん「批評」とは何であるのか、何であり得るのか、何であるべきなのかを、あらためて問い直すことが必要となる。 そのうえで、その「批評」なるものを再び生み直すことを求めてきたわけである。 それは「再生」だけでは駄目なのだ。 第一、そもそも「批評」は過去においても十分な意味と意義を持っていたことがあっただろうか? 「批評」は、存分に生きていたことがあっただろうか? 影響力のあ
SNSの功績として挙げられるものの一つに、いわゆるエリートといえども、その人格や腕前はピンからキリまであることを可視化したことにある。 私は長い間、天下の東大を含む大学教員、弁護士、医師、官僚、国会議員等の職務に就いている人間をフォローし、その動向を観察してきた。たしかに、優秀な人材が多士済々、活躍していることは、日本国にとって幸福なことであるけれども、遺憾ながら、エリートたちは無謬ではありえないのが実情である。中には、少数ではあるが、まぐれでその仕事についているのならば、金を返せと言いたくなるような、酷いクオリティの言説しか述べられないような人間も存在する。(ただ偏向しているというだけではなく、論理的な密度が不足しているという意味で) とくに人文学系の大学教員については、私がその種の勉強をした経験があることから、同族嫌悪ではないが、その思想の偏りがよく見えてしまう。格別、その政治観が概し
育児を主体的にやらない父親に仕上がる経緯と、事務員に頼りっぱなしの営業マンが出来上がる経緯は似ている。 私の周りにも、 「やっぱり育児は母親がやった方がいい」 と宣う子持ちの男性(父親という呼称を使う気にはなれない)は多い。家事は率先してやるけど、育児はやっぱり母親のものだ、と。理由を尋ねると、 「だって結局、お母さんの方がいい!って子供が言うんやもん。そこを無理して父親がやろうとするのって効率悪くない?」 とのこと。効率って言葉出したら私が納得すると思うなよ。 ここからは想像ですが、100%の子供が、母親であるという理由だけで母親の方がいいと言っているのではないような気がするのです。中にはそういう場合もあるんでしょうけれども、接触時間の長さに原因がある場合もかなりあるんじゃないでしょうか?もちろん、父親といる時間の方が長いのに母親がいいと言うお子さんもいらっしゃると思ってます。 もし、接
「孤独」には、よい孤独とよくない孤独の2パターンあります。 よくない孤独は健康を害して幸福を奪い去っていきますが、よい孤独はむしろ幸福な毎日を送るために欠かせません。 本記事では、孤独になりがちな「なんか浮いている人は、最高の才能をもっているんじゃない?」という記事。 ぜひとも、周囲を見回しつつ読んでみてくださいね。 ▼「なんか浮いている人」が才能の塊である理由人間は社会性の動物ですから、集団に所属していることをよしとします。 ずっと昔、まだ狩猟採集をしていた時代。最大の恐怖は、「むらからの追放」でした。 僕たち人間は、生物界のトップに君臨していますが、他の動物と能力のポテンシャルで比べたらほぼほぼ勝ち目ありません。 足が遅ければ、泳ぎも遅い。力もなければ空も飛べません。 しかし、トップに君臨している。 そのような状況は、集団で協働できたことが大きいのです。ですから、”むら”から追放され、
はじめに “interaction” という単語をご存じですか。 日本語では「相互交流」と訳されたり、”communication”とほぼ同義で使われることもあります。 このinteractionが英語力を伸ばす上でとても重要であるということをご存じでしょうか。 英語教育の分野では、interactionを重要視する教師を“interactionist”(相互交流信奉者)と呼び、一つの教育流派のように呼ばれることもあります。 Interactionistの先生は、教師と生徒、あるいは生徒同士の英語での交流をとても大切に考えています。 Interaction中心の英語学習を続けるとどうなるのでしょうか。 この記事でお伝えしたいと思います。 3年間の学びの差 訳読中心の授業で学んだKと、interactionistに学んだH はじめに、二人の高校生(KとH)の話をしたいと思います。 Kは地方の
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く