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生き方と認識論に関するnoitseuQのブックマーク (6)

  • 「他人に迷惑をかけない限り自由」とは「何も自由ではない」に等しい|まとも書房/哲学者ホモ・ネーモ

    「他人に迷惑をかける」なんて、自由自在に解釈できる。 「金髪に染めた大人は見ていて不愉快」 「若者が夜に遊び回るのは、子どもの教育に悪い」 「大手企業に就職をしなければ、親に心配をかける」 「スーツを着ないことは、取引先に不快感を与える」うん。すべて「迷惑」で解釈できる。これがまかり通るならば、いったい何が自由だというのだろうか? 当に自由を求めるのなら、原則は次のようであるべきだと思う。 他人に迷惑をかけようがなんだろうが、自由。うん。最高だ。 そもそも、「他人に迷惑をかけない限り」という前提がおかしい。 なぜ、人は自由になった途端に、好き好んで他人に迷惑をかけると想定しているのだろうか? 僕は完全に自由になったとしても、他人に迷惑をかけたいとは思わない。 別に誰も殴らないし、何も盗まないし、そこそこ他人を思いやって生きていくと思う。 たいていの人は、僕と同じではないだろうか? (そり

    「他人に迷惑をかけない限り自由」とは「何も自由ではない」に等しい|まとも書房/哲学者ホモ・ネーモ
    noitseuQ
    noitseuQ 2023/09/27
    僕は完全に自由になったとしても、他人に迷惑をかけたいとは思わない。たいていの人は、僕と同じではないだろうか?(そりゃあごく一部のサイコパスは好き放題やるだろうが、どうせ今の社会も合法的に好き放題…ry)
  • ASD由来の希死念慮が消えた話|LUA

    "誰かの居場所を奪い生きるくらいならばもう あたしは石ころにでもなれたならいいな" 昔はよくこんな気持ちになっていたことをふと思い出した。米津玄師の「アイネクライネ」の歌詞です。 私は小さい頃、自分が世の中に存在すること、べたり話したりすることで、他の生物や自然や誰かを傷付けるのだと思っていた。 牛乳の飲み残しを流すと、水が汚れて地球がダメになるかもしれないと思っていた。 ASDで例に漏れず学校に馴染めない、友達ができない子供だった。積極的にいじめられることはなかったし、友達がほしいというよりは自由にしていたかったけど、孤独感や不安は感じていたと思う。 10代の頃はノートを鉛筆で真っ黒に塗りつぶしたり、死にたいと埋め尽くした日もあった。 誰とも分かり合えない。 迷惑ばかりかけてる。 結構冷静に自分は世の中にいない方がいいだろうなと考えることがあった。(もちろん子供らしく楽しいこともあった

    ASD由来の希死念慮が消えた話|LUA
    noitseuQ
    noitseuQ 2023/08/01
    私のなかの利己的な遺伝子は、遠い昔の祖先から受け継いできたものだ。自分だけのものじゃない。生物はそれぞれの役割をそれぞれに果たすだけでいいんだと思った。ボトムアップ的に。すると世界は自ずと形作られて…
  • ノンデュアリティかなもり幼稚園へようこそ!

    『ノンデュアリティかなもり幼稚園』は、2019年11月に、ノンデュアリティを、楽しく、そして、ちゃんと学ぶためにつくられたウェブ上の幼稚園です。 いつでも誰でも自由に遊びに来られる幼稚園です。年齢制限もありません(^.^) ノンデュアリティを、やさしく、楽しく、ひも解いていきます。 ノンデュアリティの正体は、じつは笑ってしまうほどに単純なことです。 それを単純じゃなくしてしまっているのは、必要のない「知識」です。多くのみなさんが大事に抱えている「思考」です。 かなもり幼稚園には、たくさんの園児さんがいます。 そのなかで、みなさん、それぞれに自分の学び方、自分のペースというものがあり、「目覚め」というものに対する関心や欲求もさまざまで、たとえば、「もちろん、できることなら目覚めたいが、何がなんでもというほどではない」という人や、「目覚めた人の話が聞けるのだから、自分が目覚めるということよりも

    ノンデュアリティかなもり幼稚園へようこそ!
    noitseuQ
    noitseuQ 2023/07/22
    ありありと感じる「事実」と、消えることのない「実感」に触れたとき、あなたが「現実と思い込んでいる世界」に現れる〝問題らしきもの〟や〝悩みらしきもの〟が、あなたのなかで、どのように変化していくかを体感…
  • やりがい搾取の共犯者 「同調競争」「自己実現系ワーカホリック」 - 頭の上にミカンをのせる

    過去記事の再掲 同調競争ってなんぞや 「スティグマ論」の中の「同調競争」参照。 http://www.socius.jp/lec/20.html 管理教育の防衛策として子どもたちは自分を他者の行動に合わせてはみださないようにする。これを「同調競争」という。同調競争は目的が空洞化しているため、他人の出方や位置によってしか自己を確認できない。ひとりひとりが等しく不安な状態におかれる。そこで、この不安から逃れるために、いちはやく他人の差異をみいだし排除しようとする。そうでなけけれれば自分がやられるという恐怖がそうさせる 今、この「同調競争」がブラック企業において猛威を振るっているのではないかと思われます。 連帯と同調の区別がつかず、同調によって自らを苦しめる若者たち クローズアップ現代 1/14 「あふれる“ポエム”?!~不透明な社会を覆うやさしいコトバ~」 http://www.nhk.or.

    やりがい搾取の共犯者 「同調競争」「自己実現系ワーカホリック」 - 頭の上にミカンをのせる
    noitseuQ
    noitseuQ 2023/07/17
    管理教育の防衛策として子どもたちは自分を他者の行動に合わせてはみださないようにする=「同調競争」。目的が空洞化しているため、他人の出方や位置によってしか自己を確認できない。不安な状態におかれる/根オモ
  • 読書について/ショウペンハウエル/Fマネジメント研究所

    読書について/ショウペンハウエル/自分探しや人生の目標で悩んでいる方、組織改革や社員教育で悩んでいる方の相談、セミナーをオンライン等で実施しています。 2021年09月10日 ①ショウペンハウエル(1788-1860)についての概要と解説 (概要) ドイツの哲学者。主著は『意志と表象としての世界』。世界を表象とみなして、その根底にはたらく『盲目的な生存意志』を説いた。この意志のゆえに経験的な事象はすべて非合理でありこの世界は最悪、人間生活においては意志は絶えず他の意志によって阻まれ、生は同時に苦を意味し、この苦を免れるには意志の諦観・絶滅以外にないと説いた。このペシミズムと言われる厭世観(この世界は悪と悲惨に満ちたものだという人生観)は、19世紀後半にドイツに流行し、ニーチェを介して非合理主義の源流となった。カント直系を自任。仏教精神そのものといえる思想と、インド哲学の精髄を明晰に語り尽く

    noitseuQ
    noitseuQ 2023/05/29
    ◇学者と思想家の違い。学者とは他者の記した書物を読破した人。思想家・天才とは人類の蒙(もう)をひらき、その前進を促す者で、<世界という書物>を直接読破した人のことである。
  • 【U149 第4話】解脱のためのイニシエーション|LunaSeason

    通過儀礼論解脱とは生のしがらみを離れることである。そして、完全な解脱は肉体の消滅、すなわち死によって完成する。今回櫻井桃華はバンジー(≒臨死体験)を経て真理の一端に触れた。 通過儀礼の研究は、1907年人類学者のファン・ゲネップが提唱した説が今日まで影響力をもっている。彼は通過儀礼を3つの部分に分けた。分離、移行、合体である。「分離」とはこれまで属していた身分や状態から離れることを意味し、「移行」はこれまでの身分から離れ、自分の能力や待ち受けている状況にしたがって到着場所を探すまでの期間である。最後の「合体」は新しい身分や組織に入るための時期である。 『老いと死の通過儀礼』1996.06 http://osoushiki-plaza.com バンジーの起源はナゴール、バヌアツ共和国で行われる成人になるための通過儀礼である。上記のように、通過儀礼を経て人は生まれ変わる。桃華は儀式を経てどのよ

    【U149 第4話】解脱のためのイニシエーション|LunaSeason
    noitseuQ
    noitseuQ 2023/05/27
    こういうゲロおもろ記事が狂おしい程好きだったんだよ!"イメージが振る舞いを規定するのではなく、振る舞いがイメージを規定する。どんな私にでもファンはついて来てくれる、櫻井桃華はかくして悟りに至った。"
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