タグ

社会(体観察)学と病みジャパンに関するnoitseuQのブックマーク (2)

  • 抑圧と権力から逃れている自転車という趣味

    世の中では筋トレが流行しています。空前の筋トレブームです。私はブームとは関係なく筋トレをやっていますが、なぜこんなに筋トレが流行しているのかについて、哲学者の千葉雅也氏が新聞記事で非常に面白い論考を展開していました。 義務教育における体育の目的この部分は当に共感しました。 心と身体を支配し、人間を従順な存在に仕立て上げることを規律訓練、ディシプリンといいます。これはフランスの哲学者ミシェル・フーコーの概念で、基的に日の体育の授業はこれに当たる。たとえば運動会の行進自体に意味はなくて、要は「お前らを支配するぞ」ということを示している。義務教育の目的は「いかに権力に逆らわないで従順に働く主体をつくるか」であって、体育はまさにそういう抑圧的な身体教育をやっている。だから僕にとって、筋トレも含めてスポーツをもう一度やろうという動機は、権力による身体の支配に対して、いかに自己準拠的な身体を取り

    抑圧と権力から逃れている自転車という趣味
    noitseuQ
    noitseuQ 2023/06/27
    他人の自転車がカッコいい、悪い、というメッセージを発信する精神の根底にあるのは、何かしらの「見えない権力」に対して進んで従属するマゾヒストな精神性であるように感じます。
  • 社会の原理と個人の原理が異なることについて - 歴史と個人と - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    在日韓国・朝鮮人のことについて少し書くつもりなのだが、私は決してその方面に明るくはない。むしろ、私より上の世代の常識を基準にしていえば無知な部類に入るのだと思う。それでもその私の理解を書こうというのは、そういった不正確で誤りの多い理解でさえ、それ以後の時代に急速に失われているのではないかと危惧するからだ。実際にはそうでないのかもしれない。それは比較しなければわからないし、比較するためにはとりあえず標をひとつ、ここに置いておくのがいいのではないか、と思うからだ。 私の理解している在日朝鮮人の歴史 在日朝鮮人のルーツが戦前の日の朝鮮半島統治にあることは言うまでもないだろう。戦争以前は、戸籍は朝鮮籍でありながら国籍は日であるという奇妙な地位を朝鮮半島の人々は占めていた。同化政策、皇民化政策がとられていたのとは裏腹に、彼らは大日帝国を構成する二級国民として位置づけられていた。だから日(内

    社会の原理と個人の原理が異なることについて - 歴史と個人と - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    noitseuQ
    noitseuQ 2023/06/24
    社会とは、個人の集団である。しかし、社会の行動原理は、個人の行動原理とはまったく異なる。つまり、人間によって構成されるものでありながら、人間とはまったく別個の研究の対象になる。それが社会学の立場だ。
  • 1