「鏡よ、鏡よ、鏡さん。この世で一番の美人はだれかしら?」浴槽で下男にすね毛を剃らせている40歳の男娼、毛皮のマリー。部屋の中では、半ズボンをはいた美少年欣也が、捕虫網でチョウを捕まえて、標本にしている。「つかまえたよ、マリーさん。」「マリーさんじゃないよ、お母さんだって言ったろ!」。マリーに育てられている美少年。ウミの母より、育ての母。そこへピンクのドレスにリボンをつけた美少女紋白が現れ、部屋に閉じ込められている美少年に、人生の新しい世界を教えてくれようとする。 ある夜、マリーが客に取った水夫に身の上話を始める。マリーは大衆食堂の子として生まれ、女ばかりの店員のあいだで店を手伝っているうちに、女装に目覚めていく。店員のひとり金城かつ子と、女の子の魅力をあらそう仲になる。ある夜、嫉妬にかられたかつ子がマリーに迫り嘲笑する。マリーは男を雇いかつ子を襲わせる。かつ子は男の子を生むが難産で死んでし
ポップ・ロック(Pop rock)とは、ポップ・ミュージックとロックを融合したジャンルを指す。バブルガム・ポップ、ソフト・ロック、産業ロック、パワー・ポップなどと親和性が高い。 概要・定義[編集] 『American Popular Music』という教本では、ポップ・ロックを「エルトン・ジョン、ポール・マッカートニー、ロッド・スチュワート、ピーター・フランプトンといったアーティストたちによって表現されたロック」と定義している[3]。これに対して、音楽評論家のジョージ・スタロスティンは、「主にギターを基礎にしたキャッチーでポップな歌を用いるポップ・ミュージックのサブジャンル」と定義している。スタロスティンは、伝統的にパワー・ポップと呼ばれてきたもののほとんどがポップ・ロックのサブジャンルに含まれるだろうと言い、リリカルな内容のポップ・ロックについては「普通音楽にとって二次的なもの」と論じた
2017年3月11日金沢で、主に高校生に向けて行った講演のトランスクリプトです。 ぼくの専門は美学芸術学です。この「美学」も「芸術学」も、聞いただけで「ああ、なるほど」と思う人は少ないでしょう。どちらも日本語だから何となく意味は分かる(ような気はする)けれども、実際のところ、いったいどんなことを研究する学問なのか、それほど広く知られてはいないと思います。それでもいいのですが、こういう場所でたくさんの人に話す機会をいただいたので、今日は美学芸術学がどういう学問かということについて、とりあえず説明したいと思います。さて、どうするか‥‥美学芸術学には「美学」と「芸術学」というふたつの要素がくっ付いているようですので、とりあえずバラバラにして、ひとつずつ説明してみたいと思います。デカルトも「難しいことはひとつずつ分ける」("...diviser chacune des difficultés...
先日僕の放送「山田玲司のヤングサンデー」で、問題の「ヱヴァQ」の解説をしたのですが、観てくれてた人から「熱い感想」と「放送の文字起こし」を送って頂いたので公開します。 (以下メール抜粋) 山田玲司ほどエヴァンゲリヲンを楽しんだ方は居ないのでは❗️ もう何と言ったらいいのか、あれほどの鬱映画が 山田玲司の解説で息を吹き込まれ、バラバラのパズルのピースがぴしーっと整列して、一つの生命体というか、何かが現れて来た感じがあります。 この解説を聞かなかったら映画を観ても時間の無駄になるところでした。 ↑というありがたい感想と共に今回の放送で僕が語っていた「キーワード」を上げてくれましたので、いくつか紹介します。 ⭐️『闘って来た男の象徴としてのアイパッチ』 ⭐️「70年代は傷ついた男がヒーローで、何なら改造されてますからね。」 (これはアスカのアイパッチに関する言及です。70年代ヒーローは「傷を追っ
【漫画家のパーティー】 漫画家が集まる年末の大パーティー(謝恩会)に来る漫画家にはパターンがある。 アシスタントや取り巻きを沢山引き連れて来る「親分系」 モデルやタレントなんかを連れて全身ハイブランドで固めた「業界系」 自分の漫画に類するコスプレ的格好で独自のスタイルを貫く「カリスマ系」 さっきまで修羅場の仕事場でペン入れとかしてたであろう「抜け出してきた系」は適当な感じの普段着で1人で来る(ベテランに多い) そんな「いつもの感じのベテラン」の中に初めてやってきた感じの「色紙持ち込み系」の新人漫画家がドキドキしながら混ざっている。 そんな「漫画家パーティー」に最初に連れてってくれたのは江川達也師匠だった。 僕は藤島康介らと「江川一派の若い衆」としてその「漫画業界の奇妙な宴」に乗り込んだ。 【見えてくる孤独】 新人として飛び込んだ漫画家パーティーは、憧れの漫画家が溢れる夢のような世界に見えた
【理屈人間】 「オタクの本質」を乱暴に言うと「こだわりが強い理屈人間」だと思う。 もちろん「オタク」には様々な側面があるのでこう言い切るのは乱暴だけど「理屈で生きてる」ってのはまあ間違いではないだろう。 そしてそれは「男という生き物」の本質でもある。 もちろんそうじゃない男もいるのだけど、男はとにかく「整合性」が好きだし「理論的」「科学的」ってのが偉いと思っていて「気分」や「直感」で判断する人を見下す傾向がある。 なぜそうなのか? おそらくは「不安」なのだと思う。 無条件に信じられるものもなく、自分自身にも自信が持てない。 つかまる所がないまま彷徨うのは怖くて「何かしらの理屈」にしがみつくしかない。 これが宗教の強い環境で育った場合、男であっても「絶対的な神」に身を委ねられる。 「尊敬できる強い親」がいる場合も同じだろう。 要するに日本的な「信じられる神や親がいない社会」では「理屈」に頼る
僕は昔から「やるべきこと」に突き進んで生きているのが好きなので、どうにも「食べること」に関心が薄かった。 漫画家が締め切りに追われ、ペン入れをしながらおにぎりを食べる 、みたいなのに憧れていたのもある。 実際何回も観た手塚治虫のドキュメンタリーには、本当におにぎりを食べながら漫画を描くシーンが出てくる。 「私は何かに夢中なので「食べ物」なんかに構っている場合ではないのだ」 みたいなモードに酔いたいのだ。 ホント馬鹿だ。 なので1時期聴いていた「バナナマン」のラジオなんかは、そういう理由で聴くのを辞めた。 彼らの話は面白いのだけど、その話の内容のほとんどが「何が美味しいか」という話なのだ。 少しは楽しく聴けるのだけど「また食べ物の話か・・」と思うようになって、気がつくと聴くのを辞めていた。 なんかそういう話は「無駄な感じ」がしていたのだ。 でもどうなんだろう? 食べ物を語るのはそんなに「無駄
私たちのまわりには、さまざまなルールや制約があります。それは社会を成り立たせるために重要なもの。しかしルールに従ってばかりだと、時折息苦しさを感じるのも事実です。そんなときは、いつもと違ったところから世界を眺めてみる。小さくても自分の思いのままになる場所を創る。そうしてみることで、ルールや制約はむしろ人生をおもしろくするものに変わるかもしれません。 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授の伊藤亜紗さんは、美学を専門としてアート、哲学、身体に関連する横断的な研究をおこなっている気鋭の学者です。障害というある種の制約を抱えた方々の研究をしている伊藤さんが、ルールや制約の存在から生まれるおもしろさについて語ってくださいました。 伊藤亜紗 1979年東京都生まれ。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授。専門は美学、現代アート。もともと生物学者を目指していたが、大学3年次より文転。2010年
シノドス編集部から「分析美学について記事を書いて下さい」と依頼を受けたとき、困ったな、というのが正直な感想だった。ある学問について、よくわからないので知りたいと思うことはある。とりわけ新興の、目新しい学術分野が出てきたときはそうだ。神経倫理学とは? 人口経済学って何? 今回の「分析美学ってどういう学問?」という質問もおそらくこの種の質問だろう。 たしかに近頃、「分析美学」という学問分野は、新しく、盛り上がっている学術分野だという印象を与えているようだ。日本では2013年に『分析美学入門』(勁草書房)、2015年には『分析美学基本論文集』(勁草書房)といった翻訳が刊行され、2015年秋の分析美学をテーマにしたブックフェア(紀伊国屋書店新宿南口店開催)は記録的な売り上げを残した(注1)。だが困ったことに、分析美学というのは、新しく現れてきた学問でも、最近盛り上がっている学問でもないのだ。 この
美学(びがく、英: aesthetics、またæsthetics、esthetics、エスセティクス、エステティクス、希: Αισθητική)は、美の原理などを研究する学問であり、18世紀に成立したとされる哲学の一分野である。美の本質や構造を、その現象としての自然・芸術及びそれらの周辺領域を対象として、経験的かつ形而上学的に探究する。美的対象、美的判断、美的態度、美的経験、美的価値などが問題とされてきた[1]。 日本においては、森鷗外により「審美学」という訳語が与えられた[2][注 1]が、現在では美学と呼称される。美学の本来の意味は「学問」を表しているが、転じて単に美意識、美的感覚を表すこともある。また、日本語の「美学」は、本来の意味から転じ、優れた信念を持つ様を表す場合もある。 伝統的に美学は「美とは何か」という美の本質、「どのようなものが美しいのか」という美の基準、「美は何のために
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