集団疎開(しゅうだんそかい) 〔昭和19年(1944年)〕になると戦争が激しくなり、東京など大都市への空襲が予想されるようになりました。そこで、空襲の心配のない農村地帯に子どもたちを移動させる学童疎開が始まりました。はじめは農村地帯の親せきや知人への縁故疎開がすすめられましたが、やがて国民学校の高学年の児童に対して地方のお寺や旅館などへの集団疎開が始まりました。これによって都会の子どもたちの多くは親元を離れ、なれない土地でさみしい集団生活をしなければなりませんでした。当時の学童は、ほとんどが栄養不足からくる内臓や呼吸器系の疾患に悩まされていました。またノミやシラミがはびこっている共同生活は、ひとつ間違えば伝染病の発生の恐れが多い状況にもありました。これに対して地元の医師たちは、病気を防ごうと懸命に努力しましたが、医薬品が家庭の常備薬ていどのもので、ただただ入浴と洗濯を指示する以外に病気発生
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