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ブックマーク / www.tapthepop.net (1)

  • 孤独な少年のおまじない「だいせんじがけだらなよさ」~寺山修司が世に出した「ふたりのマキ」③

    1967年の夏に演劇実験室・天井桟敷にやって来た17歳の少女は、ゴーゴーダンス大会で優勝したというだけあって、踊る姿は劇団員のなかでひときは目立つものだった。 それを見た寺山修司は生まれついてのパフォーマー、そしてほんものの表現者だと直感したのかもしれない。 少女を「天井桟敷」のアイドルと定義してこのように書いた。 カルメン・マキには故郷がない マキは海からやって来た 十七才の野性の天使であり、詩を書く少女であり 「天井桟敷」のアイドルでもある 誰もマキの名を知らない ――寺山修司 1968年2月に「時には母のない子のように」でデビューしたカルメン・マキは、天性の歌唱力と楽曲の力とでまたたくまにスターダムに祭り上げられた。 そして6月15日には早くもファースト・アルバムの『カルメン・マキ真夜中詩集 ろうそくが消えるまで』が発売になった。 歌のタイトルを読むだけで物語が紡ぎだされてくるよう

    孤独な少年のおまじない「だいせんじがけだらなよさ」~寺山修司が世に出した「ふたりのマキ」③
    noitseuQ
    noitseuQ 2023/11/30
    寺山修司は幼いころに父が太平洋のセレベス島で戦病死し、12歳で母とも生き別れになって親戚に預けられて暮らしていた。 さみしさがこみあげると「だいせんじがけだらなよさ」と、呪文のように唱えて孤独に耐えてきた
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