1967年の夏に演劇実験室・天井桟敷にやって来た17歳の少女は、ゴーゴーダンス大会で優勝したというだけあって、踊る姿は劇団員のなかでひときは目立つものだった。 それを見た寺山修司は生まれついてのパフォーマー、そしてほんものの表現者だと直感したのかもしれない。 少女を「天井桟敷」のアイドルと定義してこのように書いた。 カルメン・マキには故郷がない マキは海からやって来た 十七才の野性の天使であり、詩を書く少女であり 「天井桟敷」のアイドルでもある 誰もマキの本名を知らない ――寺山修司 1968年2月に「時には母のない子のように」でデビューしたカルメン・マキは、天性の歌唱力と楽曲の力とでまたたくまにスターダムに祭り上げられた。 そして6月15日には早くもファースト・アルバムの『カルメン・マキ真夜中詩集 ろうそくが消えるまで』が発売になった。 歌のタイトルを読むだけで物語が紡ぎだされてくるよう