またかとうんざりし、気がめいった。安倍晋三首相が今夏に発表する戦後70年の首相談話をめぐり、27日付の東京新聞が平成7年の「村山談話」継承を求める社説でこう書いていたからである。 「首相はかつて『侵略の定義は定まっていない』と国会答弁した。侵略を正当化する意図を疑われ、国際社会の一部から『歴史修正主義的』と厳しい視線が注がれている」 朝日新聞と毎日新聞の4日付社説もそれぞれ、同様のことを指摘していた。 「自民党議員の質問に、『侵略の定義は定まっていない』と応じて批判を浴びた」(朝日) 「首相自身も『侵略の定義は定まっていない』と述べて物議を醸したことがある」(毎日) 自分たちが率先して首相を批判しておきながら、第三者が問題視しているように書く手法もいかがなものかと思うが、問題はそれだけではない。
わたしはとにかく句点が嫌いだ あれを文中に用いることは、文章を作り上げることに対する怠惰だと思っている 一つのことを表現したければ潔く一つの文章を作り上げるべきであり、それを疎かにするようにすました顔で現れる句点をみていると本文の内容にかかわらずそれだけで筆者の底が知れてしまうような気になってしまう 長い文章を、それでいて読みづらくなくすとんと頭に入ってくるようにリズムよくつむぎ出せることが文章力なのではないか 当然表現方法の一つとして否定するわけではなく、ここぞという時に今までの流れの一切を断ち切るようにあらわれる句点の使い方には頭が下がる わたしが言いたいことは、終わりもしない、変化もしない文章のつながりにあらわれる句点がどうしても許せないということだ 大げさな話をすれば、句点を打つということはその文章の流れに死を与えるものと同意なのだ その覚悟なく、水気とコシのないそばのようにぶつぶ
中村区中村町の中村 沢田研二とラグビーとドラゴンズに魅せられた男。 名古屋市中村区に生まれ名古屋市中村区中村町に育った中村区大好きの中村の描く波乱と笑いに満ちた思い切り派手で気障な人生の数々を。 勘違いも甚だしい! いったい何を言っているのか? 暴言にもほどがある。 腹が立ってしょうがないです。久々の沢田研二論です。 (文中はすべて敬称略ですすみません※一部指摘をうけ漢字修正しております。) JAPAN48の記事の次にコメントが多いYahoo!ニュース、今回のこと。 だいたいは読んだけど、まあちょっとひどい。 「ネットの怖さ」とか言うけど、ちょっと違う。「愚かさ」「危うさ」と表現したい。 コメントしている人の多くは、いやほぼ全員今回のLIVE会場に行っていないどころか、最近の沢田研二のコンサートに行ったことない。賛同者も。これは読んでて間違いない。 情報源はこの数行の記事のみ、沢田研二像に
台湾の沖合の海底から、人の祖先に当たる新たな原人の化石が見つかったと、国立科学博物館などの研究チームが発表しました。 インドネシアのジャワ原人や中国の北京原人などと異なる「アジア第4の原人」と位置づけられるということで、この地域での人類の進化の解明に役立つものと期待されます。 この研究成果を発表したのは、国立科学博物館・人類史研究グループの海部陽介グループ長らの研究チームです。 海部グループ長らは、台湾やオーストラリアの専門家と共同で、台湾の沖合25キロほどの海域で見つかった原人の下あごの化石について分析を行いました。 その結果、含まれる元素の組成が今からおよそ20万年前以降の生物に似ていることや、当時の海面変動などを考慮した結果、19万年前よりも新しいものであることがわかったということです。 また、インドネシアのジャワ原人やフローレス原人、中国の北京原人とは異なる頑丈な歯とあごを持ってい
私は二十八歳の同性愛者です。というか、同性愛ではあるのですが、大人になる前の少年が好きなのです。けれど、実際には少年との性行為を行ったことはありません。それがいけないことだというのはわかっていますから、自分で必死にその欲望を抑えています。しかし、もうそれも限界に達しているのです。なんとかできないものかと、成人したゲイの男性と関係を持とうとしたこともあるのですが、そうした相手ではまったく興奮することができず、結局、行為は成り立ちませんでした。最近では、ふと気がつくと、街で好みの少年のあとをつけていたり、もう少しで声をかけそうになっている自分にハッとします。それと同時にぞっとします。いったい私はどうしたらよいのでしょうか。なんとかならないものでしょうか。本当にもう子供に手を出してしまう寸前なのです……。 『欲望問題』の著者である伏見憲明氏は、上記のような相談のメールを受け取ったそうだ。 伏見憲
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