昭和61年(1986年)8月22日 アフリカ中西部の国カメルーンのニオス湖で有毒ガスが噴出し、1700人以上が死亡した。 日本政府は、過去、草津白根山等で有毒ガス警報器を設置した経緯等を踏まえ、カメルーンで噴出した有毒ガスの分析、解明を行うとともに、有毒ガス警報器の設置が可能であるかどうかを確認することを目的として調査団を派遣した。 調査にあたり、有毒ガス再噴出等により調査団に危険が及ぶことも心配された。そこで、調査団の安全を確保するため、呼吸保護器具等を携行し、これらを使用する場合の取扱いを指導する専門家が調査団に加わることが求められた。 その専門家として国際消防救助隊員ひとりが調査団に参加し、カメルーンに派遣された。当時、東京消防庁救助課の佐藤信勇氏である。ひとりの派遣ではあったが、これが国際消防救助隊の海外活動実績の第1号とされている。 調査団の構成 団長 青山利勝(外務省技術協力課