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gadgetと歴史に関するnorixtoのブックマーク (29)

  • Appleの革新的過ぎたPDA「Newton」生誕30周年、その開発秘話とは?

    by Grant Hutchinson Appleが1992年に発売したものの、わずか5年で販売中止になった携帯情報端末(PDA)が「Newton」です。発表されてからちょうど30年を2022年5月29日に迎えたAppleのNewtonについて、IT系ニュースサイトのArs Technicaが振り返っています。 Remembering Apple’s Newton, 30 years on | Ars Technica https://arstechnica.com/gadgets/2022/05/remembering-apples-newton-30-years-on/ 1976年にAppleを共同設立したスティーブ・ジョブズは、マーケティングの第一人者であるジョン・スカリーを「このまま一生砂糖水を売り続けたいか、それとも世界を変えたいか?」という説得でペプシコから引き抜き、Apple

    Appleの革新的過ぎたPDA「Newton」生誕30周年、その開発秘話とは?
  • iPodは「Goodbye, MD」し、世界を変えて、Goodbyeした

    Appleが現地時間の5月10日、iPod touchの販売を、在庫がなくなり次第終了すると発表した。日Apple Storeでも、「在庫が無くなり次第終了」という表示が見える。 もともとiPodは音楽再生用デバイスとして登場したが、2019年に発売された第7世代iPod touchはA10 Fusionチップを搭載し、カメラも付いている。App Storeのアプリもほとんどが問題なく動く、言わばキャリア通信ができない低価格iPhoneである。 実際iPod touchを飲店のオーダーシステムの一部として利用しているケースもあり、この販売終了で数年後にはシステムの入れ替えが必須となってしまったところもありそうだ。 筆者ももちろん歴代のiPodを使ってきたが、iPhoneをはじめとするスマートフォンのストレージ容量が拡大するにつれて、次第に使わなくなっていった。逆に今回の発表で、「ま

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  • 「なぜスマホのバッテリーは交換できないの?」 その理由と問題の本質を考える

    現在のスマートフォンは、ほとんどがバッテリー内蔵で、交換することができない。先日、「交換できないのは問題だ」とする記事がSNSでバズっていた。メーカーがスマホを買い替えさせるために交換できないようにしているのだ……という論調である。 うーん。 携帯電話やスマートフォンをずっと取材し、製造についても知っている立場からすると、それはかなり強引すぎる話かな、と思う。 バッテリー交換式でなくなっていったのにはそれなりの理由がある。一方で、製品とバッテリー交換に課題がないわけでもない。 それらがどういう関係にあるのか、改めてまとめてみたい。 この記事について この記事は、毎週月曜日に配信されているメールマガジン『小寺・西田の「マンデーランチビュッフェ」』から、一部を転載したものです。今回の記事は2021年7月5日に配信されたものです。メールマガジン購読(月額660円・税込)の申し込みはこちらから。さ

    「なぜスマホのバッテリーは交換できないの?」 その理由と問題の本質を考える
  • 今だから話せる。NTTドコモとPalmが共同開発した「i700」はなぜ発売されなかったのか - 価格.comマガジン

    “あれ”が発売されていれば、僕の人生は変わっていた――“Palmの神様”として知られている、山田達司氏がくやしそうに話していた、幻の“あのモバイル端末”。 それは、現在のスマートフォンとほぼ同じデザインの通信機能付きPDAだった。実は、iPhoneが生まれる数年前にほぼ完成していたが、“とある事情”により、発売前に破棄されることになったという。 今回連載に登場するのは、Palm社で当時、この通信機能付きPDAの開発に携わっていた、久保芳之氏。これまでタブーとされていた“あの端末”について率直に聞いてみたところ、「もう時効でしょうから」と笑顔で応じてくれた。今だから話せる真実とは?(※聞き手=PDA博物館初代館長 マイカ・井上真花)。 久保芳之氏。15歳のときに留学目的で渡米し、アメリカ・シアトルで高校、大学を卒業。Aludsに就職し、現在の「Adobe PageMaker」などを日語にロ

    今だから話せる。NTTドコモとPalmが共同開発した「i700」はなぜ発売されなかったのか - 価格.comマガジン
  • 「心の病を治してくれたPalmへの恩返し」Project Palmの40万字はこうして生まれた - 価格.comマガジン

    Palmユーザーで、彼の名を知らない人はいない――。Webサイト「パーム航空」の「機長」、満を持しての登場である。 同サイトは、1997年11月にスタートして2000年2月に幕を閉じるまで、多くのファンを獲得し、Palmの普及に多大なる影響をおよぼした。その後、機長は名の「伊藤正宏」という名前で、「Project Palm」という長編ドキュメンタリーを執筆。2008年に電子書籍として出版し、トップセールスを記録した。長年、顔出しNGで謎の存在だった機長が初めて、顔出しインタビューに応じた。(※聞き手=PDA博物館初代館長 マイカ・井上真花) 「パーム航空」の「機長」(伊藤正宏)。放送作家。「料理の鉄人」、「めちゃイケ」、「クイズ$ミリオネア」、「大改造!劇的ビフォーアフター」、「MUSIC STATION」、「空から日を見てみよう」、「和風総家」、「ポツンと一軒家」……など。09年、

    「心の病を治してくれたPalmへの恩返し」Project Palmの40万字はこうして生まれた - 価格.comマガジン
    norixto
    norixto 2019/08/20
    Workpadの拡張スロットに挿すPHSカードがあってなぁ…ほぼスマホ状態にすることも出来たなぁ。足りないのはカメラくらいで。というかスマホ的なものはPalmが覇権を握るとばかり思ってたわw
  • 「平成」デジカメ栄枯盛衰史

    せっかく改元の機会なのだから、昔話でもしようかと思ってしまったのである。 カシオが元祖コンデジともいえる「QV-10」を出したのが平成6年なんだけど、話はもうちょっと遡って1992年から。平成4年ですな。 この年、何があったか。コダックが「PhotoCD」を始めたのである。 平成4年(1992年):PhotoCD PhotoCD……これ知ってる人はかなり昔から写真のデジタル化に手を出してた人くらいじゃなかろうか。 現像したフィルムをCDに焼いてくれるサービス。 CD-ROM1枚につき写真100枚。 値段は覚えてないけど、1枚フルに写真を詰め込むと1万円くらいかかったんじゃなかろうか。「高いなあ」と思った記憶ある。 これがスゴかったのが、写真の解像度。サムネイルサイズからプリント用まで写真1枚につき5種類の解像度で記録してくれたんだが、最高解像度が「3072×2048ピクセル」、画素数でいう

    「平成」デジカメ栄枯盛衰史
  • アニメの中の携帯電話(平成編) - カトゆー家断絶

    アニメは平成の30年間で何が変わったのか - 望遠鏡と虫眼鏡 平成アニメの30年(1) | マイナビニュース こちらのコラムを読んでたら、アニメの中で他に何が変わっていっただろうと自分も考えてみたくなった。表現に目を向ければ大きく変わったのは通信機器の登場と、それに伴うコミュニケーションの描かれ方ではないかと思った。 「平成も短かかっただろ」って思ってたけど、平成初期の携帯電話と平成末期の携帯電話を見比べたら気絶しそうになった pic.twitter.com/1jMTz7RQ7e— まがみ (@ma_gami) 2018年6月1日 今や現代が舞台のアニメなら(アニメに限らないけど)、どれを見ても登場人物が携帯を持っている。むしろ持っていないと、何か特別な事情や設定があるのでは? という方向に考えてしまう。それだけ携帯は日常に欠かせないものになった。 ……なんていう話はさておき、平成が終わっ

    アニメの中の携帯電話(平成編) - カトゆー家断絶
    norixto
    norixto 2019/04/30
    平成最後のブクマはこれでいいや
  • カシオがもたらしたデジカメの歴史を振り返る

    コンパクトデジカメ市場がここ数年で急激に縮小して復活の兆しはなく、カメラメーカーというわけでもないカシオ計算機が撤退するといっても驚きはないかもしれないが、デジタルカメラの歴史を知る人にとっては黙祷レベルのできごとだったのだ。 そんなカシオの歴史を振り返りつつ、哀しんでみたい。 1995年春 「QV-10」が歴史を変えた なんといってもカシオといえば「QV-10」。 1994年秋に発表され、1995年3月に発売された「元祖デジカメ」(的な感じ)だ。 世界初のデジタルカメラってわけじゃない。最初に製品化されたデジタルカメラは1980年代終わりに登場しているし、民生向けでも1994年にはアップルから「QuickTake100」というデジタルカメラが発売されている(製造したのはコダック。Mac専用)。 じゃあなぜQV-10がそこまで重要エポックメイキングだったのかというと、3点。 世界初の「液晶

    カシオがもたらしたデジカメの歴史を振り返る
    norixto
    norixto 2018/05/20
    6万もしたっけ?と思ったら買ったのQV-10Aだったわw もう20余年も前なのかぁ…。゚(゚´Д`゚)゚。
  • 21年前のワープロ「書院」で2018年にインターネットをしたら、無間地獄に突入した

    20世紀の遺産・ワープロ(ワードプロセッサ)。文章の入力・編集・印刷ができるためPCが登場する前は大いに普及しました。しかしPCが普及した90年代後半からは売り上げが落ち、とうとう2003年9月に全て生産中止に。 PCに負けた要因の1つがインターネットへの親和性の低さでしたが、実は後期には、「ネット接続機能」を備えたワープロがいろいろと登場していたことをご存じでしょうか? 記事ではその「ネットにつながるワープロ」を手に入れて、2018年のインターネットの世界を閲覧してみることにしました。果たしてまともに見られるのでしょうか……? 当時のプレスリリースより 当時28万円の最新機→2000円で入手 今回手に入れたのは、シャープが1997年9月に発売した、書院「セリエ MR-2」。 12.1型のDSTNカラー液晶(当時の業界最大) フォト印刷対応400dpiカラーインクジェットプリンタ搭載 ブ

    21年前のワープロ「書院」で2018年にインターネットをしたら、無間地獄に突入した
    norixto
    norixto 2018/04/03
    GoogleやYoutubeはUA偽装だけで簡単に懐かしい画面へ突入できるね
  • さよならPHS。往年の名機「京ぽん」をいま使ってみた 11万画素のカメラで写す、2018年の東京

    1995年にサービスが開始され、その安さと通話品質の良さで、根強いファンがいた日発の簡易携帯電話サービス「PHS」。そのPHSは2018年3月31日で新規受付を終了します(法人向けのテレメーター用プランを除く)。 PHSの中でも大ヒット商品だったのが、2004年に発売された京セラのAH-K3001V、通称「京ぽん」でした。日初のフルブラウザ搭載ケータイであり、当時は画期的だったパケット定額制にも対応。 「月々4200円程度で、PCサイト閲覧も含めたインターネットが使い放題」という夢のような環境に、熱狂の渦が巻き起こりました。発売後数カ月は品薄が続き、入手困難の状態だったのです。 【参考記事】愛称は「京ぽん」 日初のOpera搭載ケータイ「AH-K3001V」(懐かしのケータイ) 発売当時は入手困難だった、京ぽんことAH-K3001V このヒットのおかげで、当時既に落ち目と考えられてい

    さよならPHS。往年の名機「京ぽん」をいま使ってみた 11万画素のカメラで写す、2018年の東京
    norixto
    norixto 2018/03/31
    最初の頃はPCカード型のPHS+PowerBookでネットしてたわぁ… Palm/WorkPadのPHS拡張カードでスマホっぽくできたんだよなぁ PHS定額制に無限の可能性が見えた気がしてた
  • 成功のもと? 「失敗作」を集めた展示会 米ロサンゼルス

    【1月14日 AFP】米カリフォルニア州ロサンゼルスの博物館A+D アーキテクチャー・アンド・デザイン・ミュージアム( A+D Architecture and Design Museum)で、企業の商品などの「失敗作」を集めた展示会「失敗博物館(Museum of Failure)」が開催されている。 見事な失敗作として展示されているのは、歯科衛生用品メーカーのコルゲート(Colgate)が1980年代に品業界に参入する際に発売したビーフラザニアや、コーヒーをベースとしたコカ・コーラ(Coca-Cola)、ソニー(Sony)のウォークマン(Walkman)全盛期に開発されたポータブルレコードプレーヤーなど100点以上。 こうした商品は見ているほうが恥ずかしくなるかもしれないが、この展示の狙いは失敗こそ通るべき道であると証明することだ。 キュレータ―で臨床心理学者のサミュエル・ウエスト(

    成功のもと? 「失敗作」を集めた展示会 米ロサンゼルス
    norixto
    norixto 2018/01/14
    展示に時間的流れもなくただガラクタ集めただけに見えるしこの展示会そのものが失敗作って感じだけどねぇ
  • 待ち受けキャラが大人気! 「ペンギンケータイ」と呼ばれた「W41CA」(懐かしのケータイ)

    ITmedia Mobile編集部で発掘された、思い出のケータイを振り返る連載。今回紹介するのは、au(KDDI・沖縄セルラー電話)のカシオ計算機製ケータイ「WIN W41CA」です。 W41CAは、2006年に最も売れたauケータイです。発売から19週連続1位を獲得、一度だけ「ウォークマンケータイ W42S」に1位の座を奪われたものの再び1位に返り咲き、合計で29週に渡り首位を獲得しました。 前モデルの「W31CA」の2.6型ワイド液晶と回転2軸ヒンジ構造を受け継ぎつつ、カシオ製ケータイとしては初めてFMラジオ、赤外線通信機能、EZ FeliCa(おサイフケータイ)を搭載しました。機能が増えたにも関わらず、厚さは28mmから22mmに、幅は51mmから49mmに、重さは143gから126gにスリム・軽量化されています。ただし、その代償としてカメラが320万画素から207万画素に「スペック

    待ち受けキャラが大人気! 「ペンギンケータイ」と呼ばれた「W41CA」(懐かしのケータイ)
  • 300万画素超のカメラを世界初搭載したケータイ「A5406CA」

    ITmedia Mobile編集部で発掘された、思い出のケータイを振り返る連載。今回紹介するのは、auのカシオ計算機製ケータイ「A5406CA」です。 A5406CAは、世界初となる320万画素CCDカメラを搭載したケータイです。前年の2003年12月に、携帯電話初の200万画素CCDカメラを搭載した「A5403CA」が登場したばかりとあって、あまりにも早い高画素化が話題になりました。 画質を大きく左右するセンサーサイズは1/1.8インチと、当時のデジタルカメラとしても大きなCCDを採用しています。メインディスプレイも前モデルの2.2型から2.3型に大型化されていますが、体サイズはほぼ変わらず、厚さが2mm増えただけに抑えられています。

    300万画素超のカメラを世界初搭載したケータイ「A5406CA」
  • 画面が180度回転するリボルバーケータイ「A5305K」

    ITmedia Mobile編集部で発掘された、思い出のケータイを振り返る連載。今回紹介するのは、auの京セラ製ケータイ「A5305K」です。 A5305Kは、auの3Gサービス「CDMA2000 1x」に対応したケータイです。ディスプレイ部が左右180度に回転するのが特徴で、当時主流だった折りたたみケータイとは一線を画するスタイルが話題を集めました。KDDIはその機構を「ターンタイプ」と呼んでいますが、機を知る皆さんにとっては“リボルバーケータイ”という愛称の方が記憶に残っているのではないでしょうか。 通常の折りたたみケータイは、開いて操作するのが基ですが、A5305Kは、閉じてもメインディスプレイが露出するため、閉じたままカメラで撮影したり、各種情報を見たりできるのが利点です。 発信/着信画面やアドレス帳の画面から回転させると発信画面に切り替わる、閉じたまま写真を撮影して回転すると

    画面が180度回転するリボルバーケータイ「A5305K」
  • ジョブズがマッキントッシュのGUIデザインのもとにした伝説のXeroxマシン「Alto」がついに起動成功

    以前から伝説のXeroxマシン「Alto」を復元する試みが行われていましたが、復元を行っているコンピューターエンジニアのKen Shirriff氏のブログで、ついにAltoの復元が成功したと報告されました。数カ月にわたって復元作業が行われていたAltoは、まだまだいくつかのバグがハードウェア上にあるものの、Shirriff氏らのチームはいくつかのプログラムを動かすことにも成功しています。 Restoring a vintage Xerox Alto day 8: it boots! http://www.righto.com/2016/09/restoring-ycs-xerox-alto-day-8-it-boots.html 起動したAltoはこんな感じ。 Altoを起動させるまでには紆余曲折がありました。まず、ゴミの山の中からかつて使っていたブートディスクを発見したものの、使用が不可

    ジョブズがマッキントッシュのGUIデザインのもとにした伝説のXeroxマシン「Alto」がついに起動成功
  • 「auケータイ図鑑」で石野・石川・法林が携帯電話30年の歴史を振り返る 第3回:カメラ、音楽、動画、携帯電話の多機能化が大きく進む

    「auケータイ図鑑」で石野・石川・法林が携帯電話30年の歴史を振り返る 第3回:カメラ、音楽、動画、携帯電話の多機能化が大きく進む
  • 「auケータイ図鑑」で石野・石川・法林が携帯電話30年の歴史を振り返る 第2回:携帯電話が当たり前になり、メールやネットを楽しむ時代へ

    「auケータイ図鑑」で石野・石川・法林が携帯電話30年の歴史を振り返る 第2回:携帯電話が当たり前になり、メールやネットを楽しむ時代へ
  • auケータイ図鑑|おもいでタイムライン

    ※一部未掲載の端末もございます。 ※地域により発売年月は異なる場合がございます。 ※端末のコピーは、発売当時のカタログを引用しています。

    auケータイ図鑑|おもいでタイムライン
  • au、思い出の携帯電話約630機種を集めたホームページ「auケータイ図鑑」を公開 - ゴールデンタイムズ

    1 :リサとギャスパール ★ :2016/05/26(木) 21:02:38.73 ID:CAP_USER9.net KDDIは、前身の日移動通信がサービスを始めた1988年から現在まで約30年間の携帯電話約630機種を集めたホームページ「auケータイ図鑑」を26日公開した。 経営統合したDDIセルラーグループやツーカーグループの機種も網羅した。過去の機種を一覧できるサービスは携帯大手では初めてという。 発売された年ごとに写真が並び、クリックすると詳しい機能などが表示される。33機種は起動時の動画が音声つきで楽しめる。 キャラクターの権利関係などで写真が載せられない機種を除き、日立製作所、東芝、三洋電機、三菱電機など、現在は携帯電話から撤退したメーカーの端末もほぼ全てそろえた。 全国から写真やカタログを取り寄せたり、在庫品を撮影したりと、準備に約1年かかったという。アドレスは http:

    au、思い出の携帯電話約630機種を集めたホームページ「auケータイ図鑑」を公開 - ゴールデンタイムズ
  • 携帯電話ブランド変遷史

    携帯電話ブランド変遷史 The history of cellular phone carriers in Japan 『ツーカーってあったよね』 『ああ、今のソフバンだよね』 『えっ、auでしょ? (何言ってんの?)』 『あれ、そうだっけ? (はぁ?? 意味不明)』 みたいな会話をした覚えはありませんか? 実は、携帯電話会社のブランド名は、地域によってけっこうバラつきがありました。 結論から言えば、 『ツーカー』と呼ばれる携帯電話ブランドは、2つ存在した 『ツーカー』と呼ばれる携帯電話ブランドは、地域によってソフトバンクになったり、auになったりした のです。 その原因には、いろいろな会社の、さらには国家間同士の様々な思惑が絡んでいました。 では、30年ほど歴史をさかのぼってみましょう。 目次 contents NTT独占の時代から第2陣の参入まで そして、第3陣の参入 J-PHONEの

    携帯電話ブランド変遷史
    norixto
    norixto 2015/09/21
    あー10余年前…3大厨房板時代の2ch携帯板が懐かしいねぇw