「陰惨な時代だった」と過去形で振り返られることは多々あるが、現代も陰惨な時代である、と自覚、或いは正確に認識できる人間はあまり多くないと思われる。自分がこんな時代に生きているなんて損だとは中々思いたがらないものだ。政府が陰険な法案を通そうとしたり、湯水のように税金を外国にジャブジャブとばら撒いているのを知りつつも、それらを薄目でしか見ようとしないのは、ある種の防衛反応だとも言える。 先日、DOMMUNEでナチス・ドイツのプロパガンダ映画『意志の勝利』を観た。と同時に、陰惨だった時代の大きな潮流を見た。 そこに映されていたのは祭典としての政治大会であり、政(まつりごと)は祭りに通ずるという至極当たり前な普遍性である。まだ第二次世界大戦も始まっていない当時の、古都と軍政の取り合わせ。 本当に陰惨な、ドイツ及び人類の暗黒史に突入する前のハレの舞台が、大仰でドイツのロマン主義からかけ離れた音