私が現在蒐集した仮名書きの御内書は琉球宛の「国書」と呼ぶべき文書を除くと五通。このうち三通は仮名を補助的に使っている程度なので、本格的に仮名書きの御内書は今のところ次の二通である。 こんとそうけきにつきて二郎(赤松晴政)のほりてちうせつ候はゝ、しんへうのよし申くたし候。さうさう上らく候やうにいけんをくハへられ候へき事よろこひ入候。かしく あか松うはの局へ あか松こうしつの局へ(赤松政則娘) これを漢字混じりにすると以下の通りになる。 今度忽劇につきて二郎上りて忠節候はば、神妙のよし申し下し候。早々上洛候やうに意見を加へられ候へき事喜び入り候。かしく この文書は年月日を欠くが、収録されている前後の文書から判断すると、大永六年十二月二十七日付の文書である。足利義維擁する細川晴元軍が畿内に進出してくる中で赤松晴政が あふみくつ木にとうりう候。この時へつしてちうせつ候ハゝかんように候。そのためにも