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ブックマーク / ohnosakiko.hatenablog.com (6)

  • 野蛮な食べ方 - ohnosakiko’s blog

    30歳を過ぎるまで、カラスミというものをべたことがなかった。そういう珍味が世の中にあることも知らなかった。 結婚して数年経った頃、お歳暮かなんかで九州の人からカラスミを頂いた。 「なにこれ」 「カラスミ。ボラの卵巣を塩漬けにしたやつ。ったことないか」 「ない」 「酒のあてに最高だぞ」 「へえー(ワクワク)」。 薄くスライスして皿に並べた。見たとこ奈良漬けそっくりだ。なんかパッとしないべ物だね。しかし一切れ齧ってみると‥‥ナニコレウマイ! 日酒を飲みながら「おいしいねー」と喜んでカラスミを口に放り込んでいたら、「おいおい」と夫に咎められた。 「そうパクパクうなて。奈良漬けじゃないんだから。これ、幾らするか知ってるか」 「知らない」 「五千円はする」 「えっ、そんなに」 「チビリチビリとべるもんなの、こういうのは。パクパクうもんじゃないの」 そうなんだ。 滋賀の人から鮒寿司が送ら

    野蛮な食べ方 - ohnosakiko’s blog
    norton3rd
    norton3rd 2014/01/22
    『カラスミはたしか10分足らずの間に5、6枚食べたところでストップがかかった』お、恐ろしい。それは確かに蛮行(経済的な)だ/まあお若そうだから血圧だの尿酸値だのは気にせんでもいいんだろうけど
  • 「壁がないからアートが売れない」という話 - ohnosakiko’s blog

    「ネット上の他者の言葉と自分の言葉を併置してみるシリーズ」第二弾です(第一弾はこちら)。 昨日見たやりとり。 @asakasaku そんなものですwでもヨーロッパでは壁にかける安い絵を探してる人は結構いて、アートもそこそこ売れるんだよね。市場があるのとないのとでは違うし、国のアートとかスポーツにかける予算が、全然違うんだよね。その分税金ももちろん高いけど。— 山下英子さん (@Eikoyamashita) 11月 12, 2012 @missaws というか、日にはしっかりしたアート市場が無い…というより、ぶっちゃけ日の家には壁がないから、アートが売れないんだよねw @synfunk @kettansai— 山下英子さん (@Eikoyamashita) 11月 12, 2012 @eikoyamashita 確かに壁とか、隙間程度しかないですよね。実家で無理やり絵を飾ってあるんですが

    「壁がないからアートが売れない」という話 - ohnosakiko’s blog
    norton3rd
    norton3rd 2012/11/15
    反面『なんでも鑑定団』あたりによると最近は畳の部屋がなく床の間もないため掛け軸の書画などは良い物でもなかなか値段がつかないそうだ
  • 言い張れば通るという感覚  - ohnosakiko’s blog

    大学の講義関係で出くわした例について今までも何回か書いたが、今回はこの10年で一番驚いたケースについて。*1 ある時、単位認定レポートの中にネット上にある映画の感想文からの剽窃を数件発見し、不可にして成績表を提出した。証拠としてそれぞれのアドレスも添付。 成績発表日、教務から電話がかかってきた。剽窃で不可になったうちの一人が、自分のレポートのコピー(必ずコピーを取っておくように言ってある)を持って「自分はやってない」と言いに来たという。レポートの半分以上を剽窃したテキストで埋め、ところどころ語尾を変えたり単語を入れ替えたり言い回しを変えたりしていた学生である。無駄な小細工のせいで、却って日語が不自然になっているところが幾つかあるが、9割方同じだった。やってないなんてことはあり得ない。『七人の侍』と『荒野の七人』くらいあり得ない。いやそんないいものではない。 教務の人曰く、「提出して頂いた

    言い張れば通るという感覚  - ohnosakiko’s blog
    norton3rd
    norton3rd 2012/03/12
    呆れた話には違いないが世代関係ない(昔からいたぜこーゆー奴)気もする
  • 「寛容」という言葉 - ohnosakiko’s blog

    人が失ったのは「寛容」ではなく「身内」では? - シロクマの屑籠(汎適所属) 「昔の日人が寛容だった」というのはあくまで「身内」に対してであり、かつてのような地域社会の密接な人間関係が崩壊した結果、「身内」と呼べるような相手がいなくなったのと同時に、「寛容」に振る舞う契機も失われた(ネットの村コミュニティがそれを代替している)‥‥‥という主旨なんですが。 別にこのエントリ(が言わんとするところ)への反論ではないのだけど、「寛容」という言葉の使い方が気になった。 SNSなどネットのコミュニティに参加する人の多くが求めているのは、「触れ合い」じゃないかな。その副産物としてあるのは、「寛容」と言うよりむしろ「(被)承認」じゃないかな。 そもそも異質な者を排除した「身内」に対する「甘さ」を、果たして「寛容」と呼べるのか?という疑問がある。 「寛容」という言葉は、英語のtolerationを訳

    「寛容」という言葉 - ohnosakiko’s blog
    norton3rd
    norton3rd 2011/02/16
    鍛冶屋の俺はtolerance=公差というのがすぐ頭に浮かぶのであった。あとintolerance=不寛容という初期映画の大作とか
  • 第十六師団の山中貞雄 - ohnosakiko’s blog

    映画監督 山中貞雄 作者:加藤 泰キネマ旬報社Amazon映画監督 山中貞雄』(加藤泰 著、(株)キネマ旬報社、1985)を読み終えた。 山中貞雄の甥でやはり映画監督であった著者が、膨大な資料収集と関係者へのインタビューを経て、8年がかりで書き上げた労作である。山中貞雄論の中でも、映画に入れ込んだ一人の若者としての山中貞雄と、彼を取り巻く1920〜30年代の「カツドウ屋」たちの熱気に満ちた交友関係を、ここまで生き生きと描いたものはおそらく他にはないだろう。*1 山中貞雄が映画人として生きた時代は、恐慌と戦争の時代だった。 1928(昭和3)年に治安維持法の改悪で思想言論の自由が制限され始め、企業の倒産や首切りが相次いで昭和恐慌が厳しさを増す中、1929(昭和4)年10月のニューヨーク株式市場暴落をきっかけに世界的大恐慌時代に突入する。小津安二郎の『大学は出たけれど』が公開されたのはこの頃

    第十六師団の山中貞雄 - ohnosakiko’s blog
    norton3rd
    norton3rd 2010/10/14
    はー、山中貞雄って、かの十六師団にいたのか
  • 個性は獲得目標ですらない - ohnosakiko’s blog

    美術教育方面の話に絡んだ「個性」関連のエントリが賑わっている。 そもそも君らに個性などない - 地下生活者の手遊び 個性は当に獲得するものなのか?- ハックリベリーに会いに行く 個性とは、他人から独自のやり方であると認められたものに過ぎない。個性が周囲とは無関係に存在すると思っていること自体が間違っている。 - 消毒しましょ! 以前、美術系の幼児教育に携わっていたことがあるので、ちょっと子どもの絵の話を。 子どもの絵には、年齢に対応した発達段階がある。たとえば4歳の子どもがどのような絵を描くかは、多少の個人差はあれどもある程度の類型が見られるので、そこから発達障害や心理的外傷を読み取ることも普通にされている。 年齢的発達段階とは別に、絵には子どものその時の精神状態や興味のあり方といった心的現実が色濃く反映される。殊に言語コミュニケーションが十全な発達を遂げていない時期の子どもにとっては、

    個性は獲得目標ですらない - ohnosakiko’s blog
    norton3rd
    norton3rd 2008/07/07
    『こどもの絵』を著したジョルジュ=アンリ・リュケによれば、子どもの絵は「知的写実性」から「視覚的写実性」へと移行する。』50年前の幼稚園時代を思い出して納得
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