寛永3(1626)年に「青森湊」が開港して以来、港町である青森は、藩政時代から廻船問屋(かいせんどんや)が各地への海運を取り扱ってきましたが、明治6(1873)年、北海道開拓使により、青森・函館・安渡(大湊)間に弘明丸が定期便として運航を始めると、旧来の青森の廻船問屋の多くが転業し、新たに創業した「回漕店(かいそうてん)」にとって代わられました 日露戦争(1904~05年)後になると好景気となり、青森の海運業は大正の初めまで活況を呈しました。そのころは、青函連絡船による貨車航送もなく、港湾設備が未整備で大きな船を接岸できる岸壁はありませんでした。そこで、北海道向けの米・味噌・ワラ製品を、沖合に停泊した船に積み込むため、艀(はしけ)と呼ばれる小さな船が忙しく動き回っていたといいます。また、当時の北海道はニシン漁業が非常に盛んで、ニシン漁場に向かう出稼ぎ人で青森港が賑わっていたことでしょう。