タグ

東北と歴史に関するnozomi_privateのブックマーク (5)

  • 写真で見るあおもりあのとき 第97回 活気あふれる青森港 回漕店の勢い盛んに | 青森県立郷土館ニュース

    寛永3(1626)年に「青森湊」が開港して以来、港町である青森は、藩政時代から廻船問屋(かいせんどんや)が各地への海運を取り扱ってきましたが、明治6(1873)年、北海道開拓使により、青森・函館・安渡(大湊)間に弘明丸が定期便として運航を始めると、旧来の青森の廻船問屋の多くが転業し、新たに創業した「回漕店(かいそうてん)」にとって代わられました 日露戦争(1904~05年)後になると好景気となり、青森の海運業は大正の初めまで活況を呈しました。そのころは、青函連絡船による貨車航送もなく、港湾設備が未整備で大きな船を接岸できる岸壁はありませんでした。そこで、北海道向けの米・味噌・ワラ製品を、沖合に停泊した船に積み込むため、艀(はしけ)と呼ばれる小さな船が忙しく動き回っていたといいます。また、当時の北海道はニシン漁業が非常に盛んで、ニシン漁場に向かう出稼ぎ人で青森港が賑わっていたことでしょう。

    写真で見るあおもりあのとき 第97回 活気あふれる青森港 回漕店の勢い盛んに | 青森県立郷土館ニュース
    nozomi_private
    nozomi_private 2012/06/28
    回漕店が旅館や下宿をかねていたのは面白い。かつては「お客様」として荷主などを泊めていたのをビジネス化したのだろうか。青森湊の風景。
  • 下北グルメで地域活性化事業 - 青森県庁ホームページ

    『大湊海軍コロッケ』で街おこし大作戦! 下北の新しいご当地グルメ『大湊海軍コロッケ』キャラクター(右図)のネーミングを募集します。 みんなの応募、待ってるよ!! 募集期間/2009年7月10日(金)~8月10日(金)まで ※当日消印有効 応募資格/下北管内の小学校・中学校・高校・特別支援学校に在学中の方 ※ ひとり何点でも応募できますが、応募1件につきキャラクターの名称1件の応募とします。 応募方法など、詳しくは募集チラシ(Word:323KB) をご覧ください。 第11回まさかりレガッタ 【詳しくはまさかりレガッタホームページをご覧ください】 日時/7月26日(日) 雨天決行      開会式 7:00~      出走予定時刻 8:14頃 (ごった煮レース予選G組) 場所/むつ市 新田名部川ボートコース(地図) このイベントに下北地域県民局の若手?職員が「チーム・コロッケ」として出場

    nozomi_private
    nozomi_private 2011/09/08
    海軍コロッケなるもの。ラードじゃなくヘット(牛脂)で揚げるらしい。肉じゃがは東郷平八郎さん(86歳・現東京東郷神社在住)がきっかけというけど本人が言ってることなのかな。「愛国読本」読んでみよう。
  • 石巻川開き祭り支援募金特設サイト

    石巻コミュニティ放送株式会社(ラジオ石巻)による、石巻川開き祭り募金特設サイト宮城県石巻の「川開き祭り」をみんなで応援しよう! 宮城県石巻市で毎年8月1日・2日に開催される「石巻川開き祭り」は、約1万5000発もの花火が夜空を彩る豪華花火大会や、 漕ぎ手達の力強い競演が勇壮な孫兵衛船競漕など、石巻地域のみならず、宮城県を代表する夏祭りとして人々に愛されています。 88回目を数える今年度は、「全国花火サミット」の同時開催もアナウンスされ、例年以上の盛り上がりを見せるかに思われました。 大震災、困難を乗り越えて。 3月11日14時46分。この時を境に、私たちを取り巻く世界はその様相を変えました。 三陸沖を震源とする大地震。それに伴う大津波によってもたらされた未曾有の大災害。石巻でも多くの方が亡くなり、住む家を失い、平穏な日常を失いました。 この大惨事により、石巻川開き祭りの開催はほぼ絶望

    nozomi_private
    nozomi_private 2011/07/01
    て言うかこれ普通に面白いので。/支援を募るなら祭りグッズの手ぬぐいなどがあればなと。遠隔地でも祭りを共有できるようなものを。グッズ販売なら他の自治体も協力しやすい。
  • 写真で見るあおもりあのとき 第40回「忙しい田植え時期 幼児は季節保育所に」 | 青森県立郷土館ニュース

    かつて、田植えのことを「ゴガツ」といいました。これは旧暦五月(現在の暦では六月頃)に田植えが集中的に行われたためと思われます。今の田植えは機械化され、さほど日数も手間も必要としなくなりました。しかし、機械化される以前の田植えは一年を通じた稲作作業の中で最も重要でかつ集中的に多く労力を必要としました。そのため、何軒かの家でユイなどと呼ばれる組をつくり協同作業をしたものでした。 この時期に農村部の小・中学校では田植え休みがありました。子どもたちも田植え仕事になんらかの形で加わったのです。また、手のかかる幼児の場合、母親が忙しくてめんどうをみれませんでした。それで、臨時に子どもを預かってもらう季節保育所が設置されました。写真は昭和四一年に撮影された東北町(旧甲地村)の季節保育所で、保母さんが子どもたちを相手に保育の最中です。しかし、保母さんの後ろをよくみると位牌や賽銭箱が写っているではありません

    写真で見るあおもりあのとき 第40回「忙しい田植え時期 幼児は季節保育所に」 | 青森県立郷土館ニュース
    nozomi_private
    nozomi_private 2011/05/26
    後ろの位牌がすごい。
  • 自性院

    nozomi_private
    nozomi_private 2010/10/08
    福島県双葉郡双葉町大字新山字根小屋12。真言宗。
  • 1