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ブックマーク / soccermagazine-zone.com (8)

  • 森重が改めて語ったコートジボワール戦の2失点の要因と次に下すべき判断とは | SoccerMagazine ZONE WEB/サッカーマガジンゾーンウェブ

    「戦術的なことよりも、今は気持ち的な部分が自分たちには必要。やってきたことは間違いないし、それを出せるか、チャレンジできるか。そこはしっかりとギリシャ戦に向けて出していかないといけない」  森重は、そう言うと、苦き敗戦を再びかみ砕いた。1点をリードし、そのあとに取るべきチームとしての狙いはどこに置くべきだったのか。まず意図したのは、追加点を奪うためのショートカウンターだった。だが、その戦術は見事に交わされてしまう。 「高い位置で奪ってショートカウンターというのが理想だったけど、プレスがはまらなくて、ラインが下がってしまってサコ(大迫)と圭佑くんが孤立してしまった」  チームとしての狙いであった前線からのプレスを交わされたときの対処が見つからなかったのだ。  結果的にそれがチーム全体の間延びを生み、統率を欠く原因となってしまっていた。 「どうやってはめるかを試合で修正できずに間延びしてしまっ

  • W杯初出場で洗礼を浴びた森重 「W杯の難しさを感じた」 | SoccerMagazine ZONE WEB/サッカーマガジンゾーンウェブ

    1点リードで迎えた後半19分、日の左サイドでフリーになったオリエールがクロスを入れてきた。森重はその瞬間、マークについていたコートジボワールFWボニーに自分の前へと入られ、頭で同点ゴールを許してしまう。  それまで水際で体を張って失点を阻止してきた。だが、エレファンツのエースストライカーであるドログバが途中出場すると、その抜群の存在感によって守備陣は混乱に陥った。森重は首を捻る。 「前半からうまくボールを奪いにいけなかった。前半をしのいで、後半はアグレッシブにボールを獲りにいこうとしているところでうまくいかず、そこでドログバが入ってきた。その中でやられてしまった」  08年の北京オリンピック以来となる世界大会の場だった。しかし、今回はその6年前を遙かに凌ぐような高い壁に阻まれたと言っていいだろう。修正を急いだが、相手はそれを待ってはくれなかった。同点ゴールを許した直後の2分後、再びフリー

  • ザックジャパン不動のレギュラーとの定位置争い 森重真人のコートジボワール戦先発はあるか | SoccerMagazine ZONE WEB/サッカーマガジンゾーンウェブ

    途中出場となったザンビア戦の後半30分、スルスルと攻撃参加すると、エリア内へとそのまま侵入した。対峙する相手DFを、鮮やかな切り返しで交わし、ゴール前に走り込んだ田に完璧なボールを届けてアシストを記録した。 「あれは最初で最後のプレーだと思っている。いつの間にかアシストをしていたという感じ。もう一回、あんなプレーをしてやろうとは思わない」  そう言って、チームメートから「モリゲターン」と形容されたワンプレーを苦笑いで振り返った。ただし、人は謙遜するが、元々携えていた能力の一端が垣間見えたシーンだと言ってもいいだろう。  サンフレッチェ広島ジュニアユースではFWとしてプレーし、広島皆実高校でボランチに転向。DFとなったのはプロ入り後のことで、指導した指揮官の多くは彼の守備力とともに、その攻撃的センスに舌を巻いてきた。だからこそ、あのプレーに驚きはない。ただし、それを人が気に留めない理由

  • 日本代表DF対決 FC東京のDF森重真人がかつて背中を追いかけたライバルと対峙 | SoccerMagazine ZONE WEB/サッカーマガジンゾーンウェブ

    FC東京のDF森重真人には、11シーズンまでお手となる存在が間近にいた。それがG大阪DF今野泰幸だ。10年から2シーズンに渡って東京でセンターバックコンビを組んだ今野は、森重にとって「あこがれであり、目指していた選手」だった。 「今野さんの隣でたくさんのことを盗み、吸収した。それは感覚的なモノなので口では説明しづらいですけどね」  森重にとって今野の感覚的なボール奪取や、ミスの少ない正確なプレーはいつも生きた教だった。直接指導を請うたわけではなく、「すごい」と目を奪われたプレーの一つひとつを自分のモノにしようと必死にその背中を追った。  だが、今野は12シーズンからG大阪へと移籍し、森重は手を失った。その際、「音を言えば、もっと隣でいろんなモノを吸収したかった」と少し寂しそうに語っていた。  そして2年の時は巡り、森重と今野は揃ってブラジルワールドカップへと臨む日本代表に選出された

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  • 日本中で増幅する「セレ女」と「フォル男」 セレッソ大阪のムーブメントに見るJリーグの可能性 | SoccerMagazine ZONE WEB/サッカーマガジンゾーンウェブ | ページ 7

    Jリーグからブラジルへ この試合、セレッソ大阪、とりわけフォルランの世界基準のプレーを目当てにして訪れたファンにとっては、いささか期待外れな結果・内容だったかもしれない。FC東京のディフェンス陣の前に、沈黙してしまったからだ。 しかしそれは見方を変えれば、FC東京のディフェンス陣が世界基準のストライカーに対抗しうるだけの力を備えていると、証明したとも言える。 この2014年6月、ブラジルの地でワールドカップか開催される。その舞台で戦う選手たちは、間違いなくこのJリーグという舞台からも数多く選出されることになる。フォルランという世界基準を抑えきったFC東京の森重真人や権田修一といった選手は、当然その有力な候補となる。わずか2ヶ月後には地球の裏側で、日本代表として世界を相手に戦うことになるかもしれない。 他のJリーグのクラブの選手だって同様であるし、もしかすると、今まで一度も招集されたことのな

  • 長友佑都と同じ道を歩む現役慶大生Jリーガー 評価急上昇中の若者をプロ入りへとかき立てたもの | SoccerMagazine ZONE WEB/サッカーマガジンゾーンウェブ

    後半22分、左サイドでボールを受けた三田が縦にパスを通すと、攻め上がってきた高橋がヒールで落とした。そこに、武藤がギアを上げて走り込む。背番号「14」は、ワンタッチで追いすがるDFを振り切り、GKの股の間を通してネットを揺らした。 その試合後、お立ち台に登壇した武藤は、「途中から出たら決めてやろうと思っていた。手応えはある。ここまで外しまくってチームに迷惑を掛けた分、これから得点を量産したい」と語った。初々しさの残るその言葉には、確かな自信が垣間見えた。 「自分は、とにかく昔から負けず嫌い。一番にならないと気が済まなかった」 幼いころから負けん気が強かった。特にサッカーでは、その性格に拍車が掛かった。4歳のときに、地元・東京都世田谷区のバディSCでサッカーを始めた。「うまくなるためには大切」と、日が落ちるまで夢中でリフティングの練習をした。気づけば、小学4年で1000回を超えるまでになって

  • ザックジャパンの主力DF候補 森重真人が飛躍のために決別したもう一人の自分とは | SoccerMagazine ZONE WEB/サッカーマガジンゾーンウェブ

    だが、その過程には、ある乗り越えるべき壁があった。それに直面したのが、FC東京への移籍初年度の2010年。J2降格の憂き目にあったその4年前、森重が絞り出すように言った言葉がある。 「オレに責任があった」 話は、2009年秋にまでさかのぼる。当時のFC東京は、絶対的なエースだったカボレを含め、選手数人をシーズン中に放出せざるを得ないほどの経営危機にひんしていた。翌年に向けてさらなる人員の整理は避けられず、多くの実績ある選手との契約更新を断った。 さらに、2010年は、J1リーグの中でも極めて低い予算規模でのチーム編成を余儀なくされようとしていた。だが、補強もほぼ固まりつつあった年末に、急きょ予算が増えるという話が現場に届いた。当時の城福浩監督はそこで決断を下した。 「新たに増えた予算を何に投下するかを決めたのはオレの判断だった。今改めて反省はするが、その当時の判断に悔いはない。後から見れば

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