最後のきょうは、 ④「善の懴悔」 (「懺悔」:キリスト教などでは「ザンゲ」と発音しますが仏教ではよく「サンゲ」といいます) ーーーーーーーーーーー ④「善の懴悔」 【引用】「善の懴悔 倫理や道徳の世界では廃悪衆善が目的となるが、…廃悪衆善の〈あと〉が重要なのだ。… とくに善の懴悔… 他者に善を行わんとする者は、微に入り細にわたって行わなければならない」 ーーーーー 「善かれ」と思いしたことが、相手にとっては善くないどころか、逆に傷つけて しまうことさえある。 相手の気もちを正しく(ありのままに)汲むことは、とてもむずかしい。 (自分としては善意であっても、相手がそれを望んでいないとき「善意の押しつけ」になってしまう。 善行はよほど慎重でなければならない。 よく、「善とわからず善をなすこと」のたいせつさがいわれる。 むずかしいことだろうけれども、「独りよがり」「自己満足」にならないために。