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2012年10月29日のブックマーク (9件)

  • 「なぜ今は?」 by NHK  「なぜ昔は?」 by ちきりん - Chikirinの日記

    NHKの「プロジェクト2030」という番組が話のタネとしておもしろいです。ネットでも見られます→“プロジェクト2030サイト” 先日は、「なぜ昔は、学歴や収入が低い男性でも結婚できていたのか?」というエントリを書きましたが、今日は「20代のホームレスが増えている」(10月1日放送分)について考えてみます。 こちらも前回同様、番組制作者とちきりんの視座は180度異なります。 NHKの問題意識 「なぜ今は、結婚したい若者が、結婚できないのか?」 ちきりんの関心  「なぜ昔は、誰でも結婚できていたのか?」 NHKの問題意識 「なぜ今は、地方から一人で都会にでてきた若者がホームレスになるのか?」 ちきりんの関心  「なぜ昔は、地方から一人で都会にでてきた若者がホームレスにならずに済んだのか?」 20代の健康な若者がホームレスになるなんて、「信じられない!」方もあるかもしれませんが、 ・地方で親と縁

    「なぜ今は?」 by NHK  「なぜ昔は?」 by ちきりん - Chikirinの日記
    oanus
    oanus 2012/10/29
  • ノンデザイナーのための配色理論

    2. わたくし おばら つかさ 渋谷でSAUCER(ソーサー)という名前でフリー @saucerjp のデザイナをしています。 紙媒体からデザイン業界に入り、ずーっと紙 のデザインだけをしていましたが、ここ5, 6年 はWeb媒体の仕事が随分と増えています。 現在では特に紙、Webの区別なくデザインの 仕事をしています。

    ノンデザイナーのための配色理論
  • DOMAIN ERROR

    ドメインウェブの設定が見つかりません 考えられる原因 ドメインウェブの設定がまだ行われていない。 ドメインウェブの設定がまだ反映されていない。(反映には数時間~24時間かかることがあります) ドメインウェブ・DNSの設定が誤っている。 アカウントが存在しない、契約が終了している、削除されている。

    oanus
    oanus 2012/10/29
    "実学とはみんなを幸せにして誰かを不幸にする実であり、虚学とは誰をも不幸にはしないが自分だけが幸せになる虚です。"
  • 漫画と科学 - タイトルなし

    今から 90 年前に、寺田寅彦は『電気と文芸』というエッセイ集の中で、漫画と科学の同型性について言及している。彼がここでどのような漫画を想定していたのかは、定かではない。おそらく、欧米の風刺漫画や、北斎漫画のような戯画的なものを言っているのではないかと想定される。作家でもあり、物理学者でもある寺田寅彦のこのエッセイにおける視点は、漫画質を鮮やかに露呈させている。 科学が行ってきたのは、個別にこの宇宙に広がっている様々な物理現象を求心運動、等加速運動、正弦運動などに分解してその中の一つを抽出し他を捨象する事によって、そこに普遍的な方則を設定する、ということである。しかし、決して、落下物は、法則の通りにはこの現実世界では落下しない。物理学が扱えるのは理想運動であって、その理想運動自体は実在しない、様々な運動に共通して見いだせる『型』なのである。 一方、漫画が行ってきたのは、ある対象の形態的

    漫画と科学 - タイトルなし
  • Bounce and Squash - タイトルなし

    リアルよりリアルな虚。 人の心の中にあるイメージ。 イメージに近いこと、をリアルである、と言う。 またその一方で、 現実に近いことも、リアルである、と言う。 現実世界、と、イメージの世界。対局にあるはずの二つの世界の関係性は、「虚」について考えて行くことで、より深く理解できるはずである。

    Bounce and Squash - タイトルなし
  • 世界認識としての虚像 - タイトルなし

    現実世界のふるまいや構造、あるいは原理に忠実であることをリアルと呼ぶことがある。しかしその一方で、心の中のイメージに近いものも、リアル、と呼ばれることが多い。つまり、リアリティの拠り所には、二つあって、一つは外界の現実世界、もう一つは私たちの内面にある心象世界なのである。このような二つの世界という構図において、良い題材になるのは、映像という技術によって生成されるイメージである。 複数の静止画像によって動きを作り出すというアニメーションの技術は、今日では普遍的な表現手段になりつつある。アニメーションの歴史の上で、私たちはそれによって生成される世界が現実とはかけ離れたものであることに早い段階から気づいていた。 Bounce and Squashing 、つまりビヨンビヨンというボールの跳ねる軽快なあの独特な動き、はディズニーに多く見られるようなアニメーションにおける基的技法である。実際には、

    世界認識としての虚像 - タイトルなし
    oanus
    oanus 2012/10/29
  • 萌えと虚像 - タイトルなし

    石器時代のビーナス像には、不自然に胸部や臀部に歪められた現実にはあり得もしない非人間的な形態が伴う。胸部や臀部の形態というのは、強度の強い能的記号である。そこには生身の人間よりも強烈な人間らしさが込められ、生への意志や願望、あるいは祈願といった人間の内面に如実に寄り添う力があった。我々は、いびつに歪んだ土の固まりを通して、身体に備わった神秘性を崇め、またそこに強烈な人間らしさを封じ込めることができたのだ。だからこそ単なるこの土の固まりがある種の儀式性を獲得し得たのだろう。もちろん現代においても、こういった身体的表現によって意図的に作られた虚像は多く見られる。ファッション紙やポップカルチャーに見られる身体にまつわるイメージである。もはや生身の人間をとうに超えてしまった造られた身体像が、実在する我々の生身の身体を脅かしているところに、現代の人々がもつボディ・イメージに関わる病的な状況が展開さ

    萌えと虚像 - タイトルなし
    oanus
    oanus 2012/10/29
  • 生物と虚像 - タイトルなし

    動物心理学の世界には、超正常刺激 (supernormal stimulus) と呼ばれる現象が存在する。ある種の鳥は、似た色と形であればより大きな卵を暖めようとするのであるが、通常の卵よりも大きい模型の卵をこの鳥の側に置いてみても、その卵を暖めようとするのである。さらに、2倍、3倍というあり得ない大きさの卵の模型を置いてみると、これも暖めようとするのである。この鳥にとって、この模型は紛れもなく、暖めるという行為を誘う卵なのである。また、 ある種のランはメスの蜂に似たような形態をしている。オスの蜂はその形態に引き寄せられて、花の中に潜り込み、ランの受粉を知らず知らずのうちに手助けすることになる。昔は田んぼがそこらじゅうにあったせいか、秋になればトンボの飛ぶ姿を数多く見た。田んぼが駐車場になり、アスファルトで固められてしまった今日、それでも、トンボを見ることはあるだろう。またしばしば、日光を

    生物と虚像 - タイトルなし
    oanus
    oanus 2012/10/29
  • スイッチについて - タイトルなし

    グレゴリー=ベイトソンがスイッチについて非常に興味深いことを言っている。 われわれは日常、"スイッチ"という概念が、"石"とか"テーブル"とかいう概念とは次元を異にしていることに気づかないでいる。ちょっと考えてみれば分かることだが、電気回路の一部分としてスイッチは、オンの位置にある時には存在していない。回路の視点にたてば、スイッチとその前後の導線の間には何ら違いはない。スイッチはただの"導線の延長"にすぎない。また、オフの時にも、スイッチは回路の視点から見て、やはり存在してはいない。それは二個の導体(これ自体スイッチがオンの時しか導体として存在しないが)の間の単なる切れ目 - 無なるもの - にすぎない。 スイッチとは、切り替えの瞬間以外は存在しないものなのだ。"スイッチ"という概念は、時間に対して特別な関係を持つ。それは "物体"という概念よりも、"変化"という概念に関わるものである。

    スイッチについて - タイトルなし
    oanus
    oanus 2012/10/29