伊達騒動「分類学・系統学・生態学」 イントロダクション:分類学者・系統学者への質問 (酒井聡樹) 分類学・系統進化学・生態学の接点を目指して:新大陸マメゾウムシ科の寄主植物利用から見た群集構造 (嶋田正和) 分類学と系統学:ある蜜月の終焉 (三中信宏) これから植物分類学はどこへ行くべきか? (村上哲明) 分類体系・種と「分類学」 (横山 潤 ) 若手学生の感想
伊達騒動「分類学・系統学・生態学」 イントロダクション:分類学者・系統学者への質問 (酒井聡樹) 分類学・系統進化学・生態学の接点を目指して:新大陸マメゾウムシ科の寄主植物利用から見た群集構造 (嶋田正和) 分類学と系統学:ある蜜月の終焉 (三中信宏) これから植物分類学はどこへ行くべきか? (村上哲明) 分類体系・種と「分類学」 (横山 潤 ) 若手学生の感想
Collections of biological specimens are fundamental to scientific understanding and characterization of natural diversity—past, present and future. This paper presents a system for liberating useful information from physical collections by bringing specimens into the digital domain so they can be more readily shared, analyzed, annotated and compared. It focuses on insects and is strongly motivated
Boris P. Zakharov (2013年刊行,Siri Scientific Press, Manchester, 176 pp., ISBN:9780957453005 [pbk] → 目次) 書名になっている新造語 “nomosystematics” は,有名な Lev Berg の “nomogenesis” と同じく「法則(nomo-)」という接頭語を頂いている.序章を眺めると,著者は記述的な体系学(systematics)と説明的な法則定立学(nomothetics)とを一体のものとして認識しているようだ(p. 9).どことなく Gary Webster and Brian Goodwin 『Form and Transformation: Generative and Relational Principles in Biology』(1996年刊行,Cambridge
三中信宏著 講談社[現代新書2014], 328 pp. ISBN:978-4-06-288014-5 本体価格880円(税込価格950円) 2009年9月20日第1刷刊行 2009年10月8日第2刷刊行 → 正誤表 2009年12月3日第3刷刊行 → 正誤表 2013年7月26日電子本刊行:eBook版|Kindle版 2015年5月8日第4刷刊行 → 正誤表 *new* 講談社・現代新書ページ 残響録 【目次】 プロローグ:生まれしものは滅びゆく(二〇〇六年オアハカ,メキシコ) 第1章 「種」に交わればキリがない 1.日本最低の山と日本最短の川 2.リンネから三〇〇年-分類学はいま 3.分類するは人の常 4.開かれた難問=「種」の問題 第2章 「種」よ,人の望みの喜びよ 1.仲間はずれのカモノハシ君 (*4, *8, *9) 2.あるものはある,ないものもある(*4, *9) 3.問わ
立教大学キャンパスでの日本生物地理学会.引き続き心地よい桜満開の春の一日.日曜日とあってキャンパスには新入生の初々しい姿もなく落ち着いた雰囲気だ. 二日目は【種】問題がポイントだ. 第2日 4月5日 シンポジウム「“種”を巡る諸問題:錯綜する論争と解決への道筋」 三中信宏 趣旨説明:【種】問題とその落としどころ 冒頭で,【種】問題は夜も更けて暗くなって怪しい雰囲気の中でやるべきで,こんなに朝早くからやるのはなじまないといいながら,趣旨説明というより【種】問題へのご自身の見解をプレゼンされた. なぜ【種】問題は解決しないのか.既に何世紀も議論されているがいっこうに収束しない.それは,これが自然科学だけの問題ではないからだ.自然科学者はそれが解けない問題だと安心してそれと共存すればいいのだというのが全体の趣旨. 種問題はカテゴリーの問題とタクソンの問題に分けられる. カテゴリーの問題は,自然の
三中信宏 農業環境技術研究所 minaka@affrc.go.jp http://cse.niaes.affrc.go.jp/minaka/ ●はじめに――"To classify is human" 分類(classification)は,秩序(order)を求める人間の基本的欲求に由来する行為である.分類の対象は生物であっても非生物であってもかまわない.個物としての多様な対象物のありようを理解するために私たちはつねに分類し続けている.人間は生まれながらの分類者(classifier)である.採集狩猟をしながら進化してきた過去数十万年の間に,ヒトは自然界に存在するパターンを認知し理解するように,認知カテゴリー化および帰納的推論の様式を自然淘汰によって獲得してきたと考えられる. 分類とは外在する離散的実体を発見する行為であると考えるのはまちがいである.むしろ,時空的に連続する外界を人間が理
こんにちわ.yulico です. 一つ前のふざけた記事で「科学的に形態で分ける」という話に触れたのでついでに書き記しておきたいことがあるので書きます.あくまで個人的な立場表明です. --- 私の専門の一つは(微)古生物学ということになっています.もちろん,メインは地質~層序なんですが,化石取り扱い者なので分類屋でもあるのです. 古生物学というのは,まさに「科学的に(?)形態を見る」ことが本質です.ぶっちゃけ,こういう生き物がどうだったとか,この時代はこういう環境だったとか,そう言う議論はおまけです.本質的には記載することが目標なので古生物学と言うのは形態分類学と言い換えることも出来ます.そもそも一般的にメジャーな古環境とか古生態とかの議論も形態分類の結果ありきですから……. で,実は,この「科学的に」という言葉がくせ者でして…….一般的に広く誤解を与えている気がするのです. そのことに関連
Zero's World: Taxonomy 類似性と「みにくいアヒルの子の定理」 小野山 敬一 1.はじめに 類似性 similarity は対象間の関係を見るひとつの方法であり,しばしば分類における基準となるもので,それによって事物のグルーピングが行なわれたりするものである.一方,「みにくいアヒルの子の定理」(the theorem of the ugly duckling)は,形質を同等に評価した場合には類似性にもとづく分類がありえないこと,したがって客観的な分類がありえないことを示すものと解釈されている. 「みにくいアヒルの子の定理」はWatanabeが1961年にAAAS annual meetingで言及し,1962年ブラッセルでの講演で厳密な証明を与えた.後者はWatanabe (1965) に収録されている.その後,渡辺自身は,Watanabe (1969) や渡辺
twitterのログから抜粋してまとめたもの edited by twitter / choumei ◆実用的なアーカイブ タグ・発言者検索可 ◇考察系 ◇つぶやき系 ◇ネタ系 ◆ツイッターダイジェストblog版 - URLがリンクになっています ◆まとめログにtwitterアイコンを表示させる方法 ◇まとめログの作り方 ◇作り方その2 ※要Firefox Archive / RSS katsumushi: 博物学と分類学を軽んずる輩は生物学者を自称する資格はない。生物科学ならいいかな。て、生物科学科の輩がいう。分類学者さまさまですよ。 [http://twitter.com/katsumushi/statuses/791088263] katsumushi: 古典的な形態学的分類学をとくに軽んずる学生が多い。かつての自分もそう
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