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ブックマーク / koheko.hatenadiary.org (6)

  • ヨコミネ式続報:うーん,アリかもしれない - 諏訪耕平の研究メモ

    エチカの鏡で横峰式やってましたね。たまたま見ました。第5弾でとりあえず完結編だそうで,第1弾と第2段ぐらいは見たのかな。でも大体見られたような気がします。今回は学習発表会と卒園式の様子でした。 前回の横峰式の映像は僕にとっては衝撃で,色んな人と話しました。発達心理学のゼミでも後輩が発表してくれました。反応は大体大きく2つに分かれていて,「すげー!」という人と,「なんかこういうの嫌だ」という人ですね。前者はこれから子どもを持とうという僕の友人たちに多くて,後者は現場の保育士さんとか,多少専門でやっている人に多かったように思います。 なぜこんな風に評価が分かれるのか。良いと思う人にとっては,「子どもの可能性を伸ばす」というところに興味がひかれるんでしょうね。親としてはやはり子どもにできることはしてやりたいと思うものだと思うので,保育園の時点で自信をつけて,運動や勉強もある程度できるようになって

    ヨコミネ式続報:うーん,アリかもしれない - 諏訪耕平の研究メモ
    octavarium
    octavarium 2010/05/10
    6歳の子どもが映像で見る限りネガティブな感情ではなく泣いてるんですよね。これは驚きです。
  • 左手で握手しながら右手で殴り合うということ - 諏訪耕平の研究メモ

    『加治隆介の議』という漫画の中で,「外交」についてこんなセリフが出てくる。 「外交とは喧嘩ではありません。右手で殴り合っていても,左手は握手しているということが重要です」(原文とは少し違うと思う) 私は,これは外交に限らず,人間関係においてもかなり重要な考え方ではないかと思ってる。特に教授−学習関係においてこの考え方の重要性が浮き彫りになる。日人は人を褒めるのが下手であるそうだ(http://d.hatena.ne.jp/favre21/20090618#1245293123)。いきおい,日人の後輩指導は,叱りが中心になる。そこにおいて,後輩が左手での握手を認識できていれば,それほど問題はないが,両手で殴られているという認識に至ってしまうと,悲劇を生みだすことになるだろう。つまり,「この人は自分のためを思って言ってくれている」という感覚と,「この人はただ自分を否定したいだけだ」という感

    左手で握手しながら右手で殴り合うということ - 諏訪耕平の研究メモ
  • なぜ保育なのか - 諏訪耕平の研究メモ

    明日から一ヶ月間,保育園でバイトすることになりました。保育士のバイトです。朝8時半から午後5時まで。これに加えて新聞配達もやるのでかなりハードですが,楽しんで乗り切りたいと思います。 なぜ保育の問題をやるのか。折角なのでちょこっと書いておきます。最大の関心は,「子どもを生むかどうかはお金の問題なのか」ということにあると思います。 結局,僕が保育とか幼児教育に興味を持ち始めたのは,ある人に,「研究か幸せな家庭か,どちらかを選べ」と言われたことに端を発するのかなと思います。要するに,研究をやっていけば金銭的には確実に苦労するので,彼女や生まれてくる子どもに迷惑をかけたくなければ早い段階で研究者への道は諦めろ。どうしても研究をやっていきたいなら,幸せな家庭を持つことは諦めろ。そういう意味ですね。 これを言われたときに,そういう人生においても特に重要な問題を,お金の問題と考えてしまっていいのだろう

    なぜ保育なのか - 諏訪耕平の研究メモ
    octavarium
    octavarium 2009/07/22
    我々の人生は妙につらい。学校はつまらないし,両親は怒ってばかりだし,会社に入ってもつらい話しかない。
  • 幼児教育の目的とは何か - 諏訪耕平の研究メモ

    天才は10歳までにつくられる-読み書き、計算、体操の「ヨコミネ式」で子供は輝く! 作者: 横峯吉文出版社/メーカー: ゴルフダイジェスト社発売日: 2007/04/01メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 17人 クリック: 94回この商品を含むブログ (35件) を見る テレビで紹介されていて,かなり衝撃を受けたので購入しました。読みながらも「これはすごいかもしれない」と思ったんですが,ネットで色々見ているうちにちょっと冷静になってきました。とりあえずそのテレビ番組がこちら。 googleで検索すると礼賛記事が並ぶわけですが,2ちゃんではわりと批判的な話も出てきます(http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/baby/1243845921/)。ただ,レスにもありましたが,実際にヨコミネ式を経験された方の意見はかなり好意的なものが多いので,それなりに

    幼児教育の目的とは何か - 諏訪耕平の研究メモ
    octavarium
    octavarium 2009/07/01
    横峯さんが重視するのは「運動と音楽」。
  • 教育の目的 - 諏訪耕平の研究メモ

    内田先生の教育論炸裂です。大変興味深いので丁寧に見ていかせていただこうと思います。 幼児に要求されるのは、「自分にはまだその有用性や意味が理解できないことについても、年長者が『いいから、黙ってやれ』と告げたことについては、判断を保留して、とりあえず受け容れてみる」というマインドを身につけることである。 これは間違いなく市民的成熟の第一歩である(第一歩にすぎないが)。 このマインドを身につけた子どもは学校のテストで高いスコアをマークする。 それからしばらくすると、次には「自分にはまだその有用性や意味が理解できないことについては、年長者が『いいから、黙ってやれ』と告げたことについても、『納得できなければやりません』と言い返す」力を身につける段階に達する。 これもまた市民的成熟には不可避の経路である。 「ものには順番がある」ということである。 まずこれ。概ね同感なんですが違和感が2点。 1,幼児

    教育の目的 - 諏訪耕平の研究メモ
  • 集団はいつか必ず腐る - 諏訪耕平の研究メモ

    こう考えていくと、どの国においてもいつの時代においても、メディアとはかくも権力に弱く、かくも役に立たないものなのだ、ということを実感させられる。 メディアの側にある人達はしばしば「メディアの基は反権力である」などと格好のよいことをいうけれど、歴史や世界の様々な出来事を振り返るに、いったい今までメディアが「反権力」を貫いたという例はいくつあるのだろう? あるとすればそれらの事例はほぼすべてが「個人ジャーナリスト」が反権力であったという事例なのではあるまいか。 戦車の前に立つ市民にしろ、フリーで戦地に赴くカメラマンやジャーナリストにしろ、彼らは“個人”として闘っていたのであり、「メディアという報道機関」そのものが反権力として、最後まで自らの存立を賭けて権力に対抗したことなどいったいどこに例があるのか?「報道機関」というメディアが、歴史において当の意味で正義のイニシアティブを握ったことなど一

    集団はいつか必ず腐る - 諏訪耕平の研究メモ
    octavarium
    octavarium 2009/06/06
    西條剛央という発達学者,哲学者は「集団はいずれ必ず腐る」というようなことを主張。
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