コミュニケーションが生まれるツイートまとめツール
北原みのり オンナメディアブログ07/22: 行きすぎた男女平等。 日本青年会議所のタウンミーティング(大阪)にパネラーとして出席された田嶋陽子さんが、自身のコラムに、「日本を背負うつもりの会員たちの人権問題の薄さにがっかりして帰ってきました」(田嶋さんのページはコチラと書いていらっしゃった。なんでも会場の7割が、「今の日本は男女平等が行きすぎている」と考えているのだそうだ。 すごくヘンな言葉。言葉として破綻してるよね。 平等が行きすぎている、というのが意味が分からない。行きすぎていたら、平等とは呼ばない。そもそも「平等」という概念を否定しているし、わかっていない。もしかしたら、日本流の「男女平等」っていうのがあるとでも、思っているのかな。男尊女卑を残したままの建前としての男女平等、っていうのが「男女平等」だと思ってる輩が多いんじゃないの? 「行きすぎている」っていうのは、男
1.闘う民主主義 2008年9月24日付東京新聞朝刊 「ニュースの追跡」 欄は、ケルン発三浦耕喜特派員電として、「ネオナチ計画国際会議ドイツ市民ら実力粉砕」 「極右に居場所を与えない」 という見出し、 「極右に居場所は与えない。これが過去のナチス台頭から学んだドイツ社会の民主主義だ。社会を分断する言論は民主主義の敵だというのがその理由。 ドイツ西部ケルンでネオナチ勢力らが計画した 「反イスラム化国際会議」 は、市民の実力行使により粉砕された。」 というリードで、ケルン市内でネオナチグループが反イスラム化の国際会議を開こうとしたところ、これに反対する市民らが会場入口を封鎖し、実力で妨害し、 遂には警察の中止命令により集会が中止になったことを2枚の写真付きで報じている。 同記事によれば、集会を企画したのは、ネオナチ政党ドイツ国家民主党 (NPD) の流れをくむケルン市議会の極右会派 「親ケルン
常識でしょ? バカじょないん? ってかバカだし。 卒業式に歌いたくて、「桜ノ雨」を練習していたのですが・・・(63) http://piapro.jp/bbs/?view=thread&id=13668 理解されることに、なんの価値もない。 もしそうなら、そうでないなら、なんのためにオタクに生まれてきたというのか? オタクとは何か? 名前である。 オタクでないものが、オタクをつくった。そのことにより、ふつうがはじめて生まれた。順番をまちがえてはいけない。だから、オタクはきもいのである。不安とちょくめんさせられる。 このきもいということについて、わたしに教えてくれた人の一人は、アイリス・マリオン・ヤングだ。 もう一人は、ひびのまことだ。 「ひびのまこと 変態 異常 ホモ」を検索せよ。 一人目は、すでに死んだ。二人目は、たぶんまだ生きている。 さて、かのじょたちは、ただそのような事実をせつめい
規則その1:ポーランド人は間違っている。以上。奴らには奴らの意見があるだろうとか考えるのはやめましょう。そんなもの間違ってるに決まっている。加えて、奴らも自分が間違っているのは知っている。奴らが議論に参加してくるのは、ただ参加することができるからというにすぎない。 規則その2:ポーランド語が出来ることを奴らに見せ付けろ。"tea - who you - yeah bunny"*1といってみよう。君にとっては無意味だろうが、気にすることはない。ポーランド人にとってはそれは意味がある。そして面白いと思うだろう。ここで君は将来にわたって奴らの眼にどう映るかを決定できる。 規則その3:ピジン英語*2を使え。どうせ連中には違いがわからない。会話を次のフレーズで始めるとよい――「おまえは間違っている」"you are wrong" またはもう少し複雑な「おまえを教育している時間はないんだよ」"I do
「自分はなんのために生きているのか?」 いやまぁ、「そんな哲学で腹はふくらまねーよ」と仰りたい気持ちは重々承知ですが、ちゃんと説明しますよ。ふたたび、こちらのエントリからコピらせていただきますね。 すくらむ : 派遣村バッシングの背景にある根強い自己責任論 - 人の生存より市場原理優先の新自由主義は退場を 雨宮 しかし、「自己責任」論で、社会より自分に怒りが向くように刷り込まれてしまっているといえます。「社会のせいにするのは弱い人だ」とか、「問題をすりかえる人だ」というような言説がまかり通っている。 小森 メンヘラー(心を病み、壊れることによってやっと生きのびる人※雨宮さんによる定義)の若者や貧困にさいなまれている人たちが、「自分は生きていていい」と思えない社会になっている。 そして、どんなに理不尽な要求であっても、企業が要求してくることを、とにかくこなしていかないと、生きていくための最低
はっきり言ってあいつらはクズなのである。 日本と自分を同一化し、日本すごい=俺すごいとオナニーしている。しかもその自覚すらないのないのだからよけい醜悪だ。 本人にそれを言うと必死に否定するが「日本SUGEE!」と言っている人間を馬鹿にすると何故か「日本はキミが思っているよりもすごい。日本を悪くいうな」と返ってくるので苦笑してしまう。「自分」への批判が「日本」への批判へと直結してしまっている。これは日本と自分を同一視しているからに他ならない。 「日本SUGEE!」は「俺SUGEE!」でもなければ、これからの日本の未来の雲行きさえも悪くしている。 何故なら過去の結果に対しての「SUGEE!」と溜飲を下げているだけで、これからの結果を出そうという努力を放棄しているからである。いわば「三丁目の夕日」を「昔はよかった」とだけ言うノスタルジー中年と同質であり、その空気が未来を担う若者にまで侵食している
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