![一般常識ブログマナーを訴える人と、全く話がかみ合わないたった一つの理由*ホームページを作る人のネタ帳](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/20e60dafbd3a5e5c465259c72af3a3a5532bcbcd/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fblog-imgs-55.fc2.com%2Fe%2F0%2F1%2Fe0166%2Fl.jpg)
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1193243.htmlとかhttp://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1193243.htmlとか 読むと、本当に分かってないなぁと思う。 まず、たぶん知ってるでしょうが、「体罰ダメ。ゼッタイ。」な法律があります。 学校教育法第11条 校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。 教員が体罰をしちゃダメなのは法律にきっちりと書いてあります。つまり、教員が体罰をする事は、立派な法律違反になるわけです。 で、それを踏まえて体罰肯定派の人たちの意見に反論していきます。 体罰は子どものためだよ禁止されてい
「体罰が子供のためになるかならないか」みたいな議論を眺めていて思うんだけど、これ、「自分の受けた体罰が自分のためになっているかどうか」って視点で考えてみたらどうだろう。「自分のためになったかどうか」は「いまの子供のためになるかどうか」なんかよりはるかに明確な答えを出せる問題だし、そこから議論を始めても良いんじゃないだろうか。「子供のころ体罰を受けてためになったから自分も体罰する」なら一応筋は通るけど(個人的にはそれでも嫌だけど)、「子供のころ体罰を受けたから自分も体罰する」じゃ危ない人の論理だよね。「ためになった」にしろ「ならなかった」にしろ、体罰が日常茶飯事だった20代か30代以上の世代ならきっとみんな即答できるだろうと思うんだけど、どうかな。 私(1980年生♂)の場合、特にためになったことはない気がする。強いて言えば「先生だって聖人君子じゃない」って学んだことが収穫だろうか。叩かれた
あれは中学2年生の頃でした。 担任の増山先生(仮名)は怒るとものすごい体罰をすることで有名でした。しかし、誰もその体罰を見た事がなかったのです。ただ、突然ものすごい体罰が始まるということで生徒の間で恐れられていました。普段は優しく、温厚な先生だったので、私にとっては、増山先生がすごい体罰をするなんて信じ難い事でした。数年前までは校内暴力がまだ蔓延っており、一部の先生が生徒からリンチを受けるという事件も勃発していたため、増山先生の話は抑止力としての都市伝説だと思っていました。他の生徒も噂には聞いていても増山先生の体罰の話を本気では信じてなかったようです。 当時同じクラスに井川(仮名)という生徒がいました。成績はクラスではいい方でしたが中の上くらいで、帰宅部だったし、そんなに目立つ生徒ではありませんでした。ある日、帰りのクラス会で、増山先生が連絡事項を伝えているときでした。井川がふざけて隣の生
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