邪推は所詮推測の一部分でしかないので「ありもしない悪意を読み取る」のと同じように人はありもしない意図や意味、そうしたものを読み取っている。 これは至極当たり前で、同じ言葉であっても誰が言ったのか、いつ言ったのか、誰に言ったのか、どういう態度で言ったのか、そうしたものが必ず「意味を汲み取る側」に影響を与える。(与えないことはできない) 「それ」自体は病気でも何でもなくて、これができなければ例えば「小説を読むこと」を楽しむことはできない。 小説を読むと言うことは文章から意味を汲み取るということである。 例えばまともな小説では「彼は怒っている」とは書き表さない。「彼女は彼の態度に悲しんでいる」とも書き表さない。 文章の間と間に何かが書かれていなくても、そこにただ単に仕草だけが書かれていようと、他愛のない台詞だろうと、「誰々は誰々に悪意を持っているのだ」「誰々は誰々に好意を持っているのだ」「彼は恥