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ブックマーク / next49.hatenadiary.jp (6)

  • メモ:新井 聖子: 日本の基礎研究の東アジア化 ― なぜ日本の基礎研究は下方に向かうのか? - 発声練習

    ツイッターで以下のようにつぶやいたのだけどブログにもメモ。 メーリングリストで紹介されていた論文。大変興味深い分析。→ 新井 聖子: 日の基礎研究の東アジア化 ― なぜ日の基礎研究は下方に向かうのか?, 世界経済評論 INPACT+, No. 9https://t.co/bVnBxbcRv3— next49 (@next49) 2018年5月5日 当該記事。 日の基礎研究の東アジア化 | 新井聖子 上記の論文の私なりのまとめ。 大学院博士課程を卒業した東アジア(中国韓国)出身の留学生が母国へ帰り、学んだ知識を元に母国の技術レベルを上げている。 上の現象は日からみると知識流出となり、日企業と競合する東アジア企業の技術力をあげ、日が苦戦する理由となっている これが発生した原因は留学生X万人政策&ポスドク増加。そして、大学に留学生がとどまるポストがなかった(文中では述べていないが

    メモ:新井 聖子: 日本の基礎研究の東アジア化 ― なぜ日本の基礎研究は下方に向かうのか? - 発声練習
    ogajud
    ogajud 2018/05/07
  • 大学図書館でレポートの書き方を教えるというのはどこから出てくる話なのか? - 発声練習

    はじめにお詫び申し上げます。図書館関連の方々ごめんなさい。たぶん、不快なエントリーです。 ずっと疑問でした。大学図書館でレポートの書き方を教えるという話は何の専門性から登場する話なのでしょうか? 「内容の指摘よりも、書式や日語文法、用語の使い方、誤字・脱字の指摘の数の方が多い」.図書館登場せず. (はてなブックマーク - なぜ大学教員の端くれたる私はレポートを返さないのか - 発声練習より) 大学教員は分野問わず、基的に論文書いたり、書いたりするのが主業務としてあります。このため、レポートの書き方を教える資質の妥当性は「論文執筆および執筆の経験者」という点から発生すると思います。一方で、大学図書館の司書の方々がレポートの書き方を教える資質の妥当性は何に由来するのでしょう? ja.wikipedia: 司書講習の中身をみると、文書作成技術について教えるような科目はないです(もちろん、

    大学図書館でレポートの書き方を教えるというのはどこから出てくる話なのか? - 発声練習
    ogajud
    ogajud 2013/06/29
  • 御用学者でしょうか - 発声練習

    「安全ですか?」っていうと 「現状の放射性物質の降下量からするとただちに健康に影響はありません」っていう。 「ただちに?じゃあ、数年後には影響があるってこと?」っていうと 「確率的事象なので、すべての人がこれを由来としたガンになるってわけではない」っていう。 「安全かどうかだけが知りたいんだ!」っていうと 「多面的に情報を集めて自分で判断するしかない」っていう。 そうして、あとで 不安になって、 「あなたの言っていることは政府発表と同じじゃないですか!」っていうと 「現在、手に入るデータを解釈すると結果として同じになっているだけです」っていう。 御用学者でしょうか、 いいえ、専門家なら誰でも。 一つの指針 以下のエントリーの提案に賛成です。 大「脳」洋航海記:「自分で考え、自分の責任で行動する」:福島第一原発事故対策 レッテル貼りでなく発言の中身のチェックをで書いたとおり、レッテル貼りでな

    御用学者でしょうか - 発声練習
  • 修論や卒論の廃止にすぐに賛成できない理由 - 発声練習

    問い:修論や卒論の廃止にすぐに賛成できないのはなぜですか? 答え:小学校から始まり学部3年生までつづく教育システムにおいて「未知のもの」を説明する訓練がされておらず、その帳尻を合わせるために卒業研究や修士研究が必要であるため なぜに、卒業研究の原則廃止ではないのか? 産経新聞:“徒弟制度”や修士論文の廃止求める 大学院博士課程で中教審答申 中央教育審議会は31日、大学院博士課程で、院生が1人の教員に師事して研究を手伝いながら指導を受ける“徒弟制度”や、特定のテーマに絞り込んだ修士論文の廃止などを盛り込む大学院教育改革策を高木義明文部科学相に答申した。 博士課程修了者が民間企業で敬遠される傾向があり、国際社会で活躍できる人材育成も不十分という批判が出ていることから、幅広い分野の研究をさせることで、企業などが求める人材育成を目指す。答申を受け、文科省は具体的な制度改革の検討に入る方針。 答申で

    修論や卒論の廃止にすぐに賛成できない理由 - 発声練習
    ogajud
    ogajud 2011/02/02
  • 博士号取得者のみを大学教員とする方針についての見方 - 発声練習

    NBOnline:縮みゆく大学経営 人事ではもっと深刻なことが発生している。 法人化した時点では、特任教授というポストを設けて、民間の方々に門戸を開いて大学で教育や研究をしていただけるようにした。この効果は大きく、民間企業で活躍された方々が若い学生たちを教えることのメリットは計り知れない。私の周りには、そんな特任の先生方がたくさんいらして、学生だけでなく私たち教員の成長の糧にもなってきたと言ってもいい。 それなのに「特任の教員も博士の学位を持っていること」「週2日以上大学に出勤すること」などといった運用ルールを定める動きが進みつつある。大学で教育活動に携わってほしい民間で活躍された方は、多忙を極めてきた方だから、博士号を持っていないケースがほとんどだ。大学のためには週1日しか割けない方も多い。大学に必要な人を排除するような運用を進めるべきではないだろう。 こういう考え方もあるのかと驚き。博

    博士号取得者のみを大学教員とする方針についての見方 - 発声練習
  • 誰もが発言可能、誰もが解釈可能な世界が提供するもの - 発声練習

    誰もが発言可能、誰もが解釈可能な世界においては、巨視的にみればいろいろな言説に対してバランスがとれて結構安定すると思う。ただし、過去に行われた議論に関するループを防ぐのはかなり難しいと思う。 最近、はてな界隈で盛り上がったニセ科学話。 E.L.H. Electric Lover Hinagiku:(改題)トンデモ水ビジネスの片棒を担いでしまったはてな匿名ダイアリー これを受けて、 よそ行きの妄想:科学とニセ科学の違いってそんなに重要か? 私が「わからん」のは、突き詰めると科学とニセ科学と宗教の違いだ。3つとも同じに見える。要は人間が信じるか信じないかというだけでしょという点において。宗教も科学も、人間にあたかも世の中に客観的な真理があるかのように思わせる手段に過ぎない。 という衝撃的な意見がでて、ちょっとみんなの心に火がつき。科学と宗教の違いについていろいろなエントリーが書かれた。たとえば

    誰もが発言可能、誰もが解釈可能な世界が提供するもの - 発声練習
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