2011年12月01日00:00 by hineri その記事は既に無いんよ。 カテゴリ雑記 今このページを見てるって事は、君は旧ひろぶろの記事を閲覧しようとしてここへ来たんだね。 でもその記事はもう無いんだ。 詳しくはこのブログの「このサイトについて」の所に書いてあるけど、 今“この”サイトを管理している「僕」は初代管理人じゃない。 で、君がどんな記事を見ようとしたのかわからないけど、 その記事は管理人が代替わりする時に消えちゃったってわけ。 正直言って「僕」にもよく分からないんだよ。 どこまでが運命で どこからが選んだ人生なのか まさか「僕」が「ひろぶろ」の管理人になるとはね…。 フフフッ でもまあ、今は「僕」が、面白おかしくもちょっと怖い動画とかをさ、 毎日新しく頑張って更新してるから、是非このブログのTOPへ行って、 最新のオモシロ動画、ネタ動画を閲覧してみてちょ。 だって君は本当
このところ、私的録音録画制度の見直しを巡るあれやこれやに少々足を突っ込んでいる。なかなかややこしい話なので中身についてはあまり触れないが、この問題に限らず結局著作権を巡る諸問題の本質にあるのは、どうすれば今後才能あるアーティストがアーティストとして食っていけるか、ということである。 そんなことは本人たちが考えればいいことだろうというのは確かに道理ではあるのだが、今までそれなりに彼らを(そして若干の寄生虫をも)食わせてきた仕組みが音を立てて崩れつつあり、それが主に彼らとは無関係の外的な要因によってもたらされたものであるというのは否定できない。ある意味で、彼らは被害者みたいなものなのだ。現在は、そうした彼らの問題意識が仕組みをいびつな形で再建する方向に向かってしまっている。それよりは、アーティスト本位の立場で次の方向性を考えたほうが、私たち皆にとって生産的だと思うのである。 音楽のみならず、こ
アルトゥール・ルリエー(本名アルトゥール・セルゲイェヴィチ・ルリイェ Artur Sergeyevich Lur'ye 〔ロシア語:Артур Сергеевич ЛУРЬЕ 〕、1892年5月14日、スラウハラド – 1966年10月12日)はロシア出身の作曲家。1920年代には名実ともにソ連楽壇における指導的作曲家の一人として、スクリャービン後の前衛音楽の可能性を追究した。後にドイツ、フランス、アメリカ合衆国へと亡命し、ストラヴィンスキーの影響のもとに新古典主義音楽の信奉者となった。フランス時代にカトリックに帰依し、後半生にはアルテュール(=ヴァンサン)・ルリエ(Arthur[-Vincent] Lourié)と名乗った。代表作であり、草創期のグラフィック・スコアの一つと呼ばれる《大気のかたち Formes en l'Air 》がパブロ・ピカソに献呈されているように、ルリエは同時代の美
音だし推奨の中毒動画、モーター音もシュールです。 無駄にカラバリです。 関連記事: http://www.moeyo.com/2009/04/drummer_cat.html
織田信長 ぼちぼち、元気にやっています。少し薬にも慣れた...んかなぁ。相変わらず食べられないけど。朝、指がこわばって文字なんて入力できなかったけど、それはほぼなくなった。関節もどこも痛くない。薬効いてきたんやろな。 で、ブログを書こうと言う気がまた起きてきた。 …
テクノバーンの記事によれば、ドイツのバンド「スコーピオンズ」のジャケットを巡って、英国のWikipediaが揉めているそうである。問題のジャケットは76年発売の4枚目、「Virgin Killer」である。 実はこのアルバム発売当時の事を、筆者は記憶している。当時中学1年生で、Bay City Rollers旋風は未だ田舎町では吹き荒れ続け、Queen、Kiss、Aerosmithといったバンドが華やかに活動していた時期であった。スコーピオンズは、これらの産業ロックブームののちに台頭することになるH.Mバンドの一つで、ほぼ同時期にジューダス・プリーストやAC/DCらがデビューし、話題となっていた。アイアン・メイデンやメタリカのデビューは、それよりも少し後のことである。 「Virgin Killer」は、絵柄が冒涜的ということで、英国では別ジャケットで発売されたようである。しかし日本ではその
以下の文章は、P2P Blogの「Musician mashes up 70,200 songs, delivers lists to rights holders by the truck load」という記事を翻訳したものである。 原典:P2P Blog 原題:Musician mashes up 70,200 songs, delivers lists to rights holders by the truck load 著者:Janko Roettgers 日付:August 21, 2008 ライセンス:CC by-nc-sa ドイツの前衛的音楽家Johannes Kreidlerは、ほんの33秒の間に、70,200曲もの他音楽作品からの引用を含む楽曲を作曲した。私は彼を前衛的(アバンギャルド)といったよね?いずれにしても、彼はよき市民であろうとしており、きちんとドイツ音楽権利
1944年にロンドンで生まれたナイマンは、英国王立音楽院とキングス・カレッジ・ロンドンで作曲法、音楽史、イギリスのバロック音楽を中心に学ぶ。在学中にルーマニアの民俗音楽に興味を持ち、数度現地へ赴いている。 卒業後、カールハインツ・シュトックハウゼンやピエール・ブーレーズなどが主流の当時の潮流になじめず、1976年まで目立つ作曲活動はしていない。その間、ナイマンは音楽評論家として活動し、音楽雑誌に頻繁に記事を書いており、ビートルズなどもその対象としていた。コーネリアス・カーデューの作品『The Great Digest』を評す際、当時は抽象絵画などを表現する時に用いていた単語「ミニマリズム」を文中で用い、音楽評論で初めて「ミニマル」の概念を持ち込んだのもこの頃(1968年)である。 1974年には、実験音楽についての研究論文『実験音楽 ケージとその後』を著し、ジョン・ケージの音楽がクラシック
この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。 問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2015年3月) イワン・ヴィシネグラツキー(1930年) イワン・ヴィシネグラツキー(露: Ива́н Алекса́ндрович Вышнегра́дский 〔キリル文字どおりに発音するとイヴァーン・アレクサーンドロヴィチ・ヴイシュネグラーツキイ〕 ; Ivan Alexandrovich Wyschnegradsky, 1893年5月14日 サンクトペテルブルク - 1979年9月29日 パリ)はロシア帝国出身のフランスの作曲家。ソ連時代より、半音よりも狭い音程による「超半音階技法(ウルトラクロマティシスム)」を理論的に体系化し、その後は微分音音楽の追究者として有名になる。4分の1音程から、1オクターブを71等分した音階までを発案する
ウェンディ・カルロス(Wendy Carlos、1939年11月14日 - )は、アメリカ合衆国のシンセサイザー奏者、作曲家。元の名前はウォルター(Walter)で、1972年に男性から女性への性別適合手術を行った[1]。姓は「カーロス」と表記されることもある[2][3]。 ロードアイランド州ポータケットに生まれた[4]。1953年、セント・ラファエル・アカデミーに入学。1958年から1962年までブラウン大学で音楽と物理学を学んだ[5]。コロンビア大学で作曲の修士号を取得した。 1968年10月、最初のアルバムである『スウィッチト・オン・バッハ(Switched-On Bach)』を発表[6]。モーグ・シンセサイザーを駆使したバッハ作品の演奏で、レイチェル・エルカインドのプロデュースの下、ウェストサイド・マンハッタンの地下スタジオで製作を行った[7]。グレン・グールドも絶賛し、新しいバッ
広い楽譜にうまく音符や記号を並べるとイラストになりそうだというのは誰しも一度ぐらいは考えていそうなことですが、本当に楽譜で世界地図や「おじさま」を描いた人がいるようです。 詳細は以下の通り。 まずは世界地図。巨大ポスターとして販売もしているようです。 MusicArt: The Art of James Plakovic こちらは「あつしおじさまと異次元のワルツ」。故・山﨑あつし氏のマンガに登場するキャラクター、おじさまが譜面右下にいます。 これらの元ネタになったと考えられているのはJohn Stump作曲のFaerie's Aire and Death Waltz。実際に演奏することが困難な譜面で、変なジョークが入っていたりします。 MIDIの視聴や第2楽章の楽譜は以下。 「デスワルツ」がMIDIになった ・参考リンク 虹裏で最も愛された漫画家「山崎あつし」氏追悼特集
アンディ・ウォーホルとの出会いによって、名門の令嬢から時代のミューズとなった“イーディ”を描く、映画『Factory Girl -ファクトリー・ガール-』が4月19日(土)よりシネマライズ他にてロードショー。その公開に合わせ、再確認しておきたいアンディ・ウォーホルが手掛けたレコード・ジャケット・コレクション! アンディ・ウォーホルが「80枚の2ドル札」「200個のキャンベル・スープ缶」といった傑作を世に発表し、ポップ・アートの旗手として君臨していた1960年代。ニューヨークにたしかに存在したスタジオ“ファクトリー”。才能と熱気に溢れるアーティストが集い、当時のカルチャー・シーンを先導するサロン、つまりは時代の“場”としての役割を担っていたことでも知られています。 夜ごとに新たな才能が生まれた「In 15 minutes everybody will be famous」な時代のミューズ、ウ
タスクと課された授業での発表などが一段落ついたので、おなじみのスタンフォード哲学百科事典http://plato.stanford.edu/の音楽の哲学The Philosophy of Musicの項目の前半を今回まとめておく。音楽の哲学という言葉はまだ日本において一般的ではないが、近年の英米系哲学、美学では盛んになっているジャンルである。私自身も何の研究をしているかときかれれば「音楽の哲学です」と答えるようにしていこうと思っている。だから当然、このスタンフォード哲学百科事典の項目に目を通しておくべきであろう。 さてこの「音楽の哲学」http://plato.stanford.edu/entries/music/はトリニティ大学のAndrew Kania(アンドリュー・カニア?)という研究者によって書かれている。私は研究室のコロキウムで彼のロック・ミュージックの存在論‘Making Tr
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