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ブックマーク / sportsnavi.yahoo.co.jp (440)

  • 「高い基礎技術」を植え付けるJFAアカデミーの育成 - スポーツナビ

    ヤングなでしこの田中陽子もJFAアカデミー福島の1期生。幸野とともに、高い技術を持つ【写真:北村大樹/アフロスポーツ】 「あの若さであれだけ完成された選手はそういないと思います。所々でのミスはありましたが、基的にはうちの選手はみんな逆を取られてボールを奪えませんでした」 2日に行われたJ2第32節のFC町田ゼルビアとファジアーノ岡山の試合後、岡山のMF仙石廉がマッチアップすることの多かった町田のMF幸野志有人を評したコメントだ。8月上旬にFC東京から町田に期限付き移籍をしてきた19歳の若手ながら、すでにアルディレス監督の標榜するボールとイニシアチブを握った上での攻撃的サッカーの軸としてスタメンを勝ち取っている。 今季は選手層の厚いFC東京で出場機会に恵まれなかったことから「まだ90分のゲーム体力は戻っていない」と幸野人は語るものの、岡山戦後は「タイミングよくボールを付けてもらえるよ

  • スポーツナビ | サッカー|ニュース|FC東京と浦和、互いに持ち味を出すもドロー

    J1第13節が26日に各地で行われ、6位のFC東京はホームで5位の浦和レッズと対戦し、1−1で引き分けた。 FC東京の石川直宏が放ったシュートがポストに当たり、浦和も梅崎司の強烈なミドルシュートがクロスバーにはじかれるなど際どい場面はあったが、どちらもゴールを決め切れずに試合は進んだ。 このままスコアレスドローかと思われたが、88分に浦和がマルシオ・リシャルデスのゴールで先制する。しかし、FC東京はアディショナルタイムに右コーナーキックを森重真人が頭で合わせて同点とした。浦和はその後、途中出場の宇賀神友弥のクロスを原口元気がヘディングで合わせたが、このシュートもゴールポストに阻まれ、勝ち越しゴールを奪うことはできなかった。 ピッチ上で互いに譲らなかった一戦は、試合後の会見でも両指揮官が意地を見せた。浦和のペトロヴィッチ監督が「わたしは浦和の監督なので浦和寄りの見方かもしれないが、内容

  • スポーツナビ | サッカー|Jリーグ|中国側から見た「日中首都対決」(1/2)

    試合後の会見に臨むFC東京のポポヴィッチ監督。悪質なファウルを見過ごしたジャッジを激しく批判【宇都宮徹壱】 「われわれは今日、サッカーの試合をするために(北京に)来たが、とても試合と呼べるものではなかったと思う。なぜなら相手はラフプレーが目立ち、それに対するカードもなかった。実際にけがをさせられた選手もいる。そうした激しい悪質なファウルに対して、カードを出さなかった主審に対しても理解し難いものがあった」 4日に行われたAFCチャンピオンズリーグ(ACL)、北京国安対FC東京の試合後の会見。ランコ・ポポヴィッチ監督はまくしたてるようなセルビア語で憤懣(ふんまん)をぶちまけた。中国人記者からの「スタッツによれば、ファウル数は東京のほうが多いのでは?」との質問に対しても「どういう基準で作られたスタッツかは分からないが(問題は)ファウルの数ではなく質だ」と切り返した。ポポヴィッチ監督は、自身の理

  • スポーツナビ | サッカー|ニュース|FC東京の梶山、キャプテンとしての誓い

  • スポーツナビ | サッカー|Jリーグ|FC東京、“魅せる”サッカーで旋風を(1/2)

    初参戦となったACLでは敵地での初戦に快勝。今、FC東京のサッカーに注目が集まっている【Getty Images】 FC東京のサッカーおもしろい、強いと、にわかに注目が集まっている。しかし昨日きょう、サッカーが突然変わったわけではない。 ポゼッションへの取り組みなら、2001年の大熊清監督時代(第1期)、06年のアレシャンドレ・ガーロ監督時代にも行っていた。原博実元監督が指揮を執った07年(第2期)の夏も、栗澤僚一らを擁し、なかなかいいサッカーで中盤を支配していた。最終ラインからのビルドアップという色が出始めたのは、足下の技術がある今野泰幸とブルーノ・クアドロスをセンターバックに置くようになってから。09年、城福浩監督時代のことだ。 昨年末、大熊清前監督(第2期)が退任を発表した際、立石敬之強化部長に「最終ラインからつなぐサッカーを志向する監督となると候補者が限られるが」と、次期監督

  • スポーツナビ | サッカー|Jリーグ|コラム|FC東京がJ2で培ったもの=天皇杯漫遊記2011(1/2)

    クリスマスイブの24日、天皇杯の準々決勝が各地で行われた。さすがにベスト8ともなると、県代表チームはすべて姿を消し、残ったのはJクラブのみ。とはいえ、今年はJ2勢が京都サンガFC、湘南ベルマーレ、そしてFC東京と、3チームが健在なのはうれしい限り(前回大会はアビスパ福岡のみ)。また、鹿島アントラーズとガンバ大阪という、過去4大会の覇者がいずれもベスト8以前で姿を消したのも、今大会を象徴する出来事であると言えよう。少し気が早い話だが、来年の元日に国立競技場のピッチに立つ2チームは、久々に新鮮な顔合わせになりそうな気がしてならない。 さて、ベスト4進出が懸かる4試合のうち、どれを観に行くか。私の心はすでに決まっていた。熊谷で行われるFC東京対浦和レッズの試合である。ともにJリーグを代表する首都圏の人気クラブでありながら、今季はFC東京がJ2で戦っていたため、両者の対戦がなかったのは寂しい限り

  • スポーツナビ | サッカー|Jリーグ|コラム|FC東京は“ハードワーク”の体現で東京Vを撃破する

    FC東京は“ハードワーク”の体現で東京Vを撃破する 待ち受ける宿敵、真のJ2最強を証明する東京ダービー J2頂上決戦となったサガン鳥栖との激闘を終え、10月後半の5連戦も残すところあと2試合。J1昇格へ突き進むFC東京の2週間の熱い旅、そのラストにはホームスタジアムを同じくする古豪、東京ヴェルディとの対決が待っている。 古豪と書いたが、今季の東京Vは持ち前の「中盤制圧」パスワークに加え、縦方向の推進力、裏のスペースを攻略する破壊力が身につき、得点が増えている。現在の強豪と形容しても差し支えないチームに仕上がっているはずだった。しかし、勝ち点が伸びない。昇格を争うライバルという位置づけからは脱落し、悪く言えばかませ犬的な順位に落ち着こうとしている。だからこそ怖いのかもしれない。上位いじめと割り切れば、余分な肩の力を抜きつつ、その1試合にかける集中力は高まる。相手が宿敵とあらば、なおさらだ。

  • スポーツナビ | サッカー|Jリーグ|コラム|鈴木隆行、若きチームとともにJ1へ(1/2)

    6月上旬。2002年に日中を歓喜の渦に巻き込んだ男が、一度は引退を決意しながらも「被災地・茨城のために」という思い一心で、J2の水戸ホーリーホックとアマチュア契約を結んでプレーする決断を下した。あれから2カ月――水戸は確かな変化を見せている。 「隆行さんが入ってから、監督は『J1昇格』という言葉を使うようになりましたよね」。09年から水戸でプレーする元日本代表FWの吉原宏太は語る。 現在、水戸は20試合を終えて16位と低迷してはいるものの、「内容は当によくなっている」と柱谷哲二監督は納得の表情を見せる。 「どのチーム相手にもポゼッションできているし、互角の戦いができている。これだけ早く選手が成長するとは思わなかった。隆行が加わってから、安定した戦いができるようになっているし、もう少し選手のクオリティーが上がれば、来年にはJ1昇格を狙えるチームになると思う」と指揮官は手ごたえを口に

  • スポーツナビ | サッカー|Jリーグ|コラム|FC東京は20年前の志で東京Vに立ち向かえるか(1/2)

    東京Vの川勝監督(写真)は東京ガスでプレーした経験を持ち、FC東京の大熊監督とはかつてチームメートであった【後藤勝】 東京ヴェルディ(以下、東京V)の川勝良一監督はFC東京と浅からぬ縁がある。読売クラブでのプレーを終えて日サッカーリーグ(JSL)の現役を退いた後、純粋なアマチュア選手として京都紫光クラブに登録し、週末の試合に出るために東京と京都を往復していた時期があった。 職はデザイナー。東京ガスのサッカースクールを手伝いながら、JSL2部時代、サッカー部のエンブレムやユニホーム、ポスターをデザインする仕事もした。「あのときのギャラをもらってないって言っておいて」と笑顔で冗談をこぼす。当に伝えておきましょうかと言うと「そのときの人はもういないから(笑)」 おしゃれな私服のセンスからもうかがい知れる芸術肌。緑のユニホームを脱いでしばらく経ち、当時は机仕事が板についていた。 すっか

  • スポーツナビ | サッカー|Jリーグ|FC東京、来季への教訓=天皇杯漫遊記2010(1/2)

    クリスマスの土曜日となった25日。新宿駅から湘南新宿ラインに1時間以上揺られて埼玉県熊谷市に向かう。天皇杯の準々決勝が行われるこの日、熊谷では、アビスパ福岡とFC東京による、ベスト4進出を懸けた一戦が行われることになっていた。 さて当連載では、毎度のように今大会の運営のあり方についてあれこれ意見させていただいている。今回の準々決勝についても、やはり一言申し上げなければならないようだ。それは会場の選定についてである。この日の試合会場は熊谷のほかに、カシマ(鹿島アントラーズ対名古屋グランパス)、アウスタ(清水エスパルス対モンテディオ山形)、そして万博(ガンバ大阪対浦和レッズ)となっている。いずれの会場も、4回戦の結果を受けて発表されたわけだが、熊谷の選出理由がどうにも納得できない。福岡からは非常にアクセスが悪く、東京からも中途半端に遠い熊谷。いったい誰が得するのであろうか。 個人的には、こ

  • スポーツナビ | サッカー|Jリーグ|米本拓司、不屈の19歳が立ち向かう試練(1/2)

    今年1月に日本代表に選出された米。さらなる飛躍が期待された2年目だったが、けがに泣かされ、チームも低迷した【写真:アフロ】 2010年11月27日、味の素スタジアム。 自軍のキックオフ、彼はセンターサークル付近で受けたボールをどう展開しようか、しばし選択肢を探ったが、結局はそのボールを後ろにいたセンターバックに下げた。最初のプレーはバックパスだった。所属するFC東京は残留を争い、決して負けられない試合。忍び寄る降格の危機が、彼をおくさせたのか。取るに足らないワンプレーだったが、どこか啓示的だった。 垂ぜんのタレントも、19歳の若者にすぎなかったのである……。 米拓司は10代の日人選手の中で最も評価の高いMFだ。 プロ1年目の09年、ヤマザキナビスコカップ決勝の川崎フロンターレ戦でミドルシュートを決めるなど、優勝の原動力となった。「ニューヒーロー賞」の称号はだてではない。今年1

    ogan
    ogan 2010/11/30
    試合が進むにつれチャレンジングなパスもあったんだけどね。
  • スポーツナビ│サッカー│コラム│ ユース対高校の構図が生み出した新時代のスタイル

    大会の価値を証明したファイナルゲームだった。優勝したサンフレッチェ広島ユースは、前半こそ相手のプレッシャーに圧倒されたが、後半は相手のプレスを上回る人とボールの機動力を披露。準決勝に続く逆転勝利で6年ぶり2度目の優勝を飾った。一方、FC東京U−18も敗れはしたが、1対1での強さや粘り腰、終了間際のパワープレーでの闘争心など、十分に存在感を示した。 どちらも技術力、戦術力が高く、攻守にわたって積極性を発揮し、見ている者を魅了する。そんな両チームが土壇場に追い込まれるたびに負けん気と底力を見せた。試合終了のホイッスルに6,860人の観衆が惜しみない拍手を送ったのは、ごく自然なことだった。近年、両チームが東西の代表格として成績を残し、(日クラブユース選手権、Jユースカップを含む)全国大会の決勝で3度も顔を合わせ、そのたびに「ハズレ」のない試合を見せるのは、偶然ではない。両チームには共通点があ

  • スポーツナビ | サッカー|Jリーグ|降格危機! FC東京はなぜ勝てないのか?(1/2)

    FC東京が補強をしても勝てないのはなぜなのか──。スポーツナビ編集部から与えられたテーマを考慮するに、おそらくこのクラブを定点観測していない立場の人々には、FC東京が十分な大型補強をしたかのように映っているのだろう。 しかし今季の補強は、当に「補強」だったのだろうか。 開幕時、新加入選手の大半はルーキーだった。他クラブでの実績があったのは松下年宏と森重真人だけ。外国人FWはリカルジーニョを獲得したが、カタールのアル・アラビへ移籍したカボレの穴を補う選手ではない。 松下と森重の加入によって攻撃的な中盤とセンターバックが昨年のレベルを維持していたとしても、FWは昨年の開幕時点以下の状態になってしまった。同様のポジションはほかにもある。ボランチだ。 開幕直前にボランチの米拓司が重傷を負い、長期離脱を余儀なくされたことで計算が大きく狂った。加えて、手術明けの梶山陽平が開幕スタメンに間に

  • スポーツナビ | サッカー|日本代表|パラグアイ戦後 原監督代行会見(2/2)

    香川はかなり成長すると思う ――当初の予定通り、ザッケローニ監督からは何もアドバイスはなかったのか? 試合前にミーティングで最初に話してくれますかと頼んだ時に、むしろ最後に話したいと、僕とか関塚がやった後に話してくれました。それは、非常に楽しみに試合を見ている。今回に関しては、メンバーは自分ではなく原さん、関塚さんに任せているので、いいプレーをしてください。次のワールドカップに向けてスタートしているというコメントをしてくれて、それで日語で「頑張って」と言ってくれましたね。そういうふうに言ってくれたことも、選手のモチベーションが上がる原因になったと思いますけど。 ――駒野を最後にピッチに入れた理由は? 内田が足が痛くなっていて、入れたというのもありますけど(実際には香川と交代)。PKがあったら蹴るかといったら「いや」といっていました(会場、笑)。 ――香川のゴールも含めたプレーの

  • スポーツナビ | サッカー|ニュース|クラブ王者・東京VはC大阪、札幌などと同組=高円宮杯

    高円宮杯第21回全日ユース(U−18)サッカー選手権大会の組み合わせ抽選会が11日、都内のJFAハウスで行われ、1次ラウンドのグループリーグが決まった。大会は9月4日に各地で開幕し、10月11日に埼玉スタジアムで決勝戦が行われる。高校サッカー部とクラブが一堂に集い、ユース年代の最強チームが決定する。 日クラブユース選手権を制した東京ヴェルディユースは、コンサドーレ札幌U−18、愛媛FCユース、セレッソ大阪U−18と同じグループCに入った。前年度優勝の横浜F・マリノスユースは、三菱養和SC、アビスパ福岡U−18、名古屋グランパスU18と同じグループEに、高校総体王者の市立船橋は広島観音、FC東京U−18、富山第一とともにグループFに組み込まれた。 大会は24チームを6グループに分けてリーグ戦を行い、各グループ上位2チームと各グループ3位のうち成績上位4チーム(計16チーム)が決勝トー

  • スポーツナビ | サッカー|ニュース|J2でもプレーしたフロレンティンが交通事故死

    28日未明、日でもプレーしたことがあるパラグアイ人FWデルリス・フロレンティンが交通事故により死亡したと、同国メディアが報じた。 フロレンティンはエウセビオ・アジャラ市の国道で軽トラックを運転中に大型トラックの後部に追突し、そのまま車線をはみ出して街灯に激突。事故発生後に現場に駆け付けた救急車で病院に搬送される途中に死亡が確認された。 26歳のフロレンティンは、パラグアイの1部リーグ、スポルティーボ・ルケーニョに所属した後、2005年には日のJ2に所属していた水戸ホーリーホック、コンサドーレ札幌でもプレーしていたことがある。 (C)MARCA.COM [ スポーツナビ 2010年3月29日 12:15 ] 前後の記事 - [サッカー]ミランはドロー、ユベントスは勝ちEL出場圏内に浮上 - 3月29日 12:11F・トーレスの2ゴールなどでリバプールが快勝 - 3月29日 12:

  • スポーツナビ | サッカー|Jリーグ|福田健二、ピッチまでの長き道程(1/2)

    登録問題に揺れた福田だったが、第2節の草津戦ではゴールを決め、愛媛FCでのデビュー戦を飾った【Photo:北村大樹/アフロスポーツ】 2010年3月13日13時5分、正田醤油スタジアム群馬。真新しい愛媛FCのユニホームを身にまとった福田健二は、キックオフのボールをセンターサークル中央から「相手に時間を与えないために」強く味方ディフェンスラインへと返した。その軌道はまるでJリーグに戻るまでの7年間、昨年5月18日以来、約10カ月ぶりとなる公式戦、そして入団会見以来、愛媛で過ごした波乱万丈の135日をじっくりと振り返るかのように、長く、一直線に伸びていった。 「福田健二選手新加入のお知らせ」 09年10月28日、愛媛FCから突然発表された1枚のプレスリリースは、9月に望月一仁監督からイヴィッツァ・バルバリッチ監督への電撃監督交代後も調子が上向かないチームのみならず、秋山拓巳(西条高、現阪神

  • スポーツナビ | 写真 | 海外挑戦から故郷愛媛に戻ってきた福田健二(左)。今季はエースストライカー兼キャプテンとしてチームを引っ張る

    ogan
    ogan 2010/03/04
    ケンジがキャプテン。
  • スポーツナビ | サッカー|日本代表|バーレーン戦後 岡田監督会見

    立ち上がり入れ込み過ぎというか、変な緊張感もあって、前に速くなり過ぎて、田の位置も2トップ気味に入り過ぎていたので、なかなかボールがわれわれのペースで回らなかったんですけど、途中から落ち着いてきてボールが回るようになりました。海外組のコンディションが万全ではないことは分かっていたんですけど、後半途中から中盤の足が止まってきて、ちょっと攻撃が薄くなってきたという感じは受けています。2日前に集まってやった試合にしては、そこそこかなと思っています。今日は試合前に「言い訳なしで結果を出そう」ということで、何とか結果を出してくれた。(監督就任後)初めてバーレーンに1点差ではなく2点差で勝てた。チャンスでもう少し決めていかないといけないし、いろんな問題点はありますが、選手たちは最後まで点を取りにいって、2点目を取ってくれた。よく頑張ってくれたと思います。 ――森ではなく岡崎をスタメンで使った理由

    ogan
    ogan 2010/03/04
    質問者の氏名入り。
  • スポーツナビ | サッカー|日本代表|黒子が語るオシムとの日々(後編)(1/2)

    「オシムの伝言」(みすず書房)著者であり、前日本代表監督イビチャ・オシムの専任通訳を務めた千田善さんにお話しを伺う後編。今回はオシムが脳梗塞で倒れてからの日々について語っていただいた。これまで数多くの「オシム」が世に出ているが、闘病とリハビリの日々についてこれほど克明に描かれたのは、おそらく書が初めてであろう。何しろ千田さんは、家族も入れないような集中治療室にも立ち会い、闘病から復活までのプロセスをずっと間近で見守り続けていたのである。急報を聞き「今夜は帰れないかも」と言い残して家を出てから、実に1カ月半。それは、代表チームの通訳とはまったく異なる濃密な日々であった。(取材日:1月19日 インタビュアー:宇都宮徹壱) ■闘病中につけていたノート ――いよいよオシムさんが倒れてから回復するお話を伺いたいのですが。倒れたのが07年11月16日のことでしたね それから意識を取り戻すまで、1

    ogan
    ogan 2010/01/28
    そうか。リハビリもずっとか。そうだよね。