2008年10月1日 5万7千865人の観客が訪れた9月28日の栃木県ツインリンクもてぎでの日本GP決勝レースにおいて、最高峰クラスにおける自己通算70回目の優勝を果たし、シーズン残り3戦を前にしてランキング2位につけるドゥカティーのケーシー・ストーナーを92ポイント引き離したフィアット・ヤマハのバレンティーノ・ロッシは、12年間のグランプリ経歴の中では8回目、最高峰クラスでは6回目となる年間チャンピオンの座に輝いた。 ■2年間の敗北と、それを乗り越えてチャンピオンに輝いた今の心境を語るロッシ ここでは、2年ぶりにチャンピオンの座を奪還したバレンティーノ・ロッシの、レース直後の優勝祝賀会を目前に控えていた時のロングコメント全文を紹介する。ロッシは最高峰クラスにデビューしてからの順風満帆の時代、打ちひしがれた2年間の敗北、そして今年からブリヂストンにスイッチしてこの日にチャンピオンの座に返り
SBKはマニクールでテスト。 テンケイトのマシンで、シューマッハがテストライドしてます。 Schumacher tests Hanspree Ten Kate Honda Fireblade 本気で2輪参戦狙ってるんじゃないのか、と思えてくるんですけど… お大事にニュースも。 Kiyonari breaks collarbone at Magny Cours test 清成が鎖骨骨折です(涙) マニクールでのテスト中にハイサイドで転倒。 最近キテるだけに、ちょっと残念。。。 様子を見て、次のレースの出場を決めるようですが、 ハガも同じ状況で走ったし、まぁ大丈夫じゃないの、くらいですかねー。 代役はレオン・ハスラムか、なんて話題も出てますが。がんばれ、キヨナリ!
GPoneに加藤大治郎の記事が出ていました。 Il 28 agosto appuntamento con “DediKato” a Misano 英語翻訳 関連リンク先:dediKato 英語翻訳して読んでみたので、わからない部分が多いです。 (イタ語が得意な方がいたらぜひ教えていただきたいです。。。) 加藤大治郎が亡くなって今年で5年。 ミサノサーキットでサンマリノGPが行われるウィークの木曜日、 8月28日にミサノでメモリアルイベント?が開催されるようです。 チームグレシーニやDr.コスタ、DORNAのエスペランサCEOなどが参加する模様。 GPライダーも出るのかな、たぶん。 イベントの内容がイマイチよく分かりませんが、オークションとか、 "Premio Daijiro Kato 2008"て賞が贈られる、のか?わかんない。。。 イベントの詳細は、dediKatoというサイトに出ていま
清成が8耐優勝の勢いそのままに、イギリスGPで初優勝だッ!完全優勝! Race One To Kiyonari Kiyonari Again! World Superbike Brands Hatch Results 走ったことがあるコースだと、きちっと結果を出しますねー。 ベイリスとの競り合いだとか、ハガノリを引き離すだとか、読んだだけで鼻血がでそうだ。 や、まだ見てないんで、これからドキドキしながら見ることにします(笑) Race1後のインタブー動画 Kiyo wins first race at Brands Hatch World Superbikes Race2後のインタブー動画 Kiyonari talks after Brands Hatch double どこでも喋り方は変わらない(笑) また、WSSでのクラッシュにより、Craig Jonesが亡くなったそうです。 Cra
居残りテストでも、人一倍走り回るニッキーさん。 がんばれよ、と言わずにいられない…… Le Mans MotoGP Test ルマンをヤマハに独占されて、キィィ!ってなってるに違いないホンダさん。 ムジェロには岡田を投入です。岡田って、岡田忠之な。 Okada wildcard fuels pneumatic valve engine speculation 正直、岡田しかいないのか、と思わずにはいられないわけですが、 これって新エンジンの実践テストなんだろうな、と思えば、 岡田が適任なんだろな、とすんなり納得できるような気もするです。 それならたとえキヨナリを乗せたって意味ないし(SBKとカブってますが)。 ということは、筑波はちょうどよいウォーミングアップだったわけか… しかしだね、やっぱり、岡田しかいないのかね、と思ってしまうんだよな、ごめんよタディー。 まぁ、ロッシ様がムジェロで負
事故死ノリックにファンの悲しみ募る 阿部さんが倒れた路上は祭壇のようになり、訪れたファンが号泣する 2輪ロードレース世界選手権(WGP)で通算3勝を挙げたカリスマライダー、「ノリック」こと阿部典史(のりふみ)さん(享年32)が事故死した神奈川県川崎市の現場に8日、多くの献花が飾られた。強い雨の中、早朝からファンが詰めかけ、阿部さんが倒れていた路上が祭壇のようになった。阿部さんのホームページ(HP)掲示板には秒単位で「ありがとう」「忘れない」などの書き込みが殺到した。 大粒の雨が路上の花束をぬらした。花束が阿部さんが倒れていたことを示す白いチョークの上に次々に置かれた。傘をささずにうなだれた女性が「ノリックー!」と叫んで崩れ落ちた。その横で手を合わせた30代の男性は「7月の鈴鹿の8耐で元気な姿を見たばかり。何でだ!」と肩を震わせた。50人以上のファンが立ちつくしていた。 事故現場には生々しい
1991年にデビューして以来、一貫して、ロードレース世界選手権125ccクラスに参戦。お互いの実力を認め合い、世界を舞台に切磋琢磨してきた二人。共に世界の頂点を極めトップライダーとして活躍してきた。そんな二人に、過去を振り返り、今、あらためて思うことを聞く。一線を退き、後進の育成に力を入れているが、その輝きは、さらに増している。 坂田和人(さかた・かずと) 1966年8月15日生まれ。東京都出身。 ノービス、ジュニア、国際A級と3年連続でチャンピオンを獲得。全日本チャンピオンを獲得した1990年には、全サーキットでコースレコードを樹立。 1991年より世界選手権にフル参戦。1993年に初優勝を含むランキング2位となると、1994年に世界チャンピオンに輝く。1998年に2度目のチャンピオンを獲得し、1999年いっぱいで世界選手権への参戦を休止。9シーズンでポールポジション29回、優勝1
トーチュウより、 来期より清成がWSBKへ参戦するとのこと。チームはテンケイト! ホンダの日本人WSBライダーっていつ以来だ? 誰以来だ? と思って調べてみると、スポットでは2003年菅生の井筒が最後なのかな。 レギュラー参戦では……えっ初?? ホンダの日本人WSBレギュラーライダーって初なのか? 2001年にタディが通年参戦して以来ですね。失礼しました…。 清成の来年は、BSB時代同様ユッキーにいじられるだろう日々になるんだろうか(笑) なんだか辛いニュースが続いた中、明るいステップアップニュース。 がんばれ清成、日本じゅうが応援してるよ! ちなみに、現在清成のチームメイトであるJ.レイも同じくテンケイトへ移籍。 ただし2008年はWSSに参戦、2009-2010年はWSBKを走るという3年契約。 これって確定なんだろうか、後半2年はオプションとかでもなく? 珍しいな…20歳だからできた
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