マネジメント 新しいチームのあり方を探求 就活 就活生必見!サイボウズの疑問 ティール組織 会社の「あたりまえ」が変わる 多様性 100人100通りの個性 ワークスタイル 働き方、生き方、もっと自由に 青野慶久 サイボウズ社長の想いと覚悟 キャリア 人生の「積み上げ方」を見直す 複業 複数の「本業」をもつ働き方 人事制度 多様な働き方を支える仕組み マンガ サクッと手軽に読める!
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前回の「表現者の才能について考える」では、どんな人が突出した表現者になりうるのか? という話を書きました。 今回は、類まれなる表現者である糸井重里さんのスピーチから話をはじめてみたいと思います。 ■「普通の人以上に普通のことを考えられる」 先日、糸井さんは東京コピーライターズクラブでスピーチをされました(関連サイト)。その時の様子を引用します。 やればやるほど、普通の人になっていく。 それがコピーライターという職業じゃないかな、とこの頃思うようになった。 (中略) 普通の人以上に普通のことを考えられる。 今日いただいたホールオブフェイムは普通の人の証。 これをもってさらに磨きをかけた取り柄のない人になっていこうと思う。 いやあ、深いですね。 糸井さんはどう考えても普通の人ではないわけです。でも普通の人になっていくんだとおっしゃいます。結果についての説明でもあり、決意表明でもありそうです。こ
インド、中国では毎年数百万人単位でハングリーな大卒者が誕生。また、ネット・通信環境が 大きく改善したことで、定型業務やIT開発を新興国へアウトソーシングできるようになった。仕事の枠を日本人同士で争っていればよい、という時代は終わっ た。さらに、人口減少に伴う国内マーケットの縮小も追い打ちをかけている。 これから日本の仕事はどう変わるのか? 10年後にも食えるのはどんな仕事なのか。当連載では、ベストセラー『10年後に食える仕事 食えない仕事』の著者であるジャーナリストの渡邉正裕氏が、"仕事のプロ"たちとともに、仕事の未来像を探っていく。 (司会・構成:佐々木紀彦) 【対談(その2)はこちら】 ――第2回目の対談では、バングラデシュ、石巻で活躍する若者の中から、新しい向上心の形が生まれているという話になりました。活きのいい人ほど、既存の組織から飛び出してしまうのは、なぜでしょうか。今の組織の中
このお話はたぶんフィクションです。実在の個人や企業とはあんまり関係ありません。そういうことにしろください。 10年前、20代になったばかりの頃の僕は、今思えば本当に最低な生活を送っていた。高校を中退し、実家とは疎遠で、友達もなく、金もなく、夢も希望もなく、ただバイト先と自宅を行き来するだけの毎日。いつも視界には霞がかかったようで、底の見えない空虚さだけが僕の心を支配していた。 それでも趣味らしいものはあった。オンボロマシンにRedHatを入れ、ダイヤルアップの細い回線で自宅サーバを立て、Perlでガラクタのようなプログラムを動かす。そんな子供じみた遊びだけど、プログラムを組んでいるときだけは空虚さを忘れ、画面の中に没頭できた。 ただ、そのときの僕はもうすでにいろんなものに打ちのめされていて、若者にありがちな全能感などというものは霧散していた。自分がプログラミングで何かを成すだとか、それを仕
増田さんの旦那と同じような状況にあった男の意見です。 自分はSNSではなく、ネットゲーム(FF11)にはまっていた。 子供が生後8カ月くらいで、子育て主婦の多くが肉体的にも精神的にも追い詰められているという時期の話。 ネトゲ廃人時代自分が会社から帰って真っ先にやることは、PCの電源を入れること。 軽く2ちゃんのスレを確認したのち、すばやく飯を口に放り投げ、ネトゲの世界に旅立つ。 子供が泣いてもネトゲ。 子供がご飯を食べているときもネトゲ。 子供がご飯や飲み物をひっくり返してもネトゲ。 子供がウンコしてもネトゲ。 子供がお風呂に入っているときもネトゲ。 子供が覚えたてのつかまり立ちで近づいてきても、その手を払いのけてネトゲ。 子供がミルクを飲んでいるときもネトゲ。 嫁さんが家事をやっているときもネトゲ。 嫁さんが風邪をひいているときもネトゲ。 嫁さんとケンカしながらもネトゲ。 嫁さんが泣いて
突然ですが、この冒頭画像に書いてある「鯑」、読めますでしょうか? 答えは「かずのこ」。恥ずかしながら筆者は読めませんでした。出先など、辞書ツールを持っていない時に限って、この鯑のような難読漢字に出くわしてしまうものです。持っているスマートフォン(以下スマホ)で調べようにも辞書アプリをダウンロードしなければなりませんし、Googleで入力しようとしても、読み方がわからなければ調べようがありません。なんとかしてスマホだけでサクッと調べたいものです。 ということで今回は、手持ちのスマホ(iPhone)だけでこの難読漢字を調べる方法をご紹介します。 この方法を可能にするには、iPhoneのキーボードに「手書き」機能を追加する必要があります。iPhoneの「設定」から「一般 > キーボード」と進みます。 そして「各国のキーボード(下の赤い囲み)」を選択します。 これで、iPhoneで手書き入力ができ
あまり多くはないと思うのですが、というかほとんどいなんじゃないかとも思うのですが、このブログの読者の方のなかに、もしかしたら、来週から新社会人になるという人もいるかもしれないと思って、今日は、それらのかたへ「贈る言葉」を書いてみます。自分が社会人になったばかりのころを思い出し、そのころ、何を言われてたらよかったかな、と考えながら。 1 社会人とは家計を営む人だと理解しましょう 社会人とはなんでしょう。社会を構成している人という意味なら、赤ちゃんも社会人ということになりますが、ちょっと違いますよね。ではなにかというと、実際的には「仕事をして世間様からお金を貰っている人」と定義してよいと思います。 じゃあ、「専業主婦は社会人じゃないの?」という疑問がすぐに起きるかもしれません。でも、その夫と家計を分担しているという意味で、専業主婦も社会人としてよいでしょう。 いきなり脇道にそれるようですが、こ
こちらの記事になんだか違和感を覚えた。 育休フィーバーの影で犠牲を強いられる“正直者”たちの鬱屈 http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20120229/229264/ 現在、多くの企業で育児休暇制度が充実してきている。これは本来、好ましいことであるはずだ。その一方で、育児休暇を取る同僚のぶんまで仕事をこなしている人がいる。“しわ寄せ”を受ける人がいるのは事実だ。そういう人たちの複雑な心境を理解すべきだよね、という記事だった。 気になったのは一点。 「権利を主張するのは果たすべき責任を果たしてから」 という一言。 「デキる人」にしか育児休暇を取る権利がないなんて、おかしくない? こんなセリフを吐く人は、「権利」というものがよく分かっていない。たとえば、なんの責任も負わず、なんの義務も果たせない赤ん坊にはなんの権利もないのか? そういう疑
「私は必要とされてない」と思うのをやめると、まわりも幸せになる http://www.earthinus.com/2012/02/you-are-not-alone.html
学生のころからつい最近まで、僕は生きるというのは基本的につらいことだと思っていた。ところが、そのつらさの大部分が簡単に消えてしまったのでこんなこともあるんだという意味で伝えてみたい。長いので興味があったら読んでください。 中学生のころから、いつも体のだるさを感じていた。お腹も弱く、何かあると下痢してばかり。当然元気なんかあるわけなく、高校生のころもあんまり前向きな人間ではなかった。でも頑張ればなんとかなると思える若さもあり、インスタントコーヒーに砂糖をぶちまけて勉強をしたら大学には合格した。大学では典型的な怠惰な学生で、起きるのはデフォルトで午後、授業には半分も出ていないと思う。無気力で今にして思うと鬱状態だった。 何とか卒業してIT系に就職したが、そこでの仕事の仕方も追いたてられてやっているような感じで、いつも綱渡りをしているような気分で全く余裕はなかった。それでも20代のうちはなんとか
先週末、みたか井心亭( http://mitaka.jpn.org/seishin )の大広間で瞑想と対話の会を開いたときにしたお話です。 瞑想には、心のトレーニングとしての側面と、日常における実践としての側面とがあります。本来は区別すべきものではないのだろうと思うのですが、説明の便宜上ふたつに分けて話してみます。 心のトレーニングとしては、ふだんの思考や感情をストップして、頭と心の中を空っぽにします。身体を止め、あるいは観察し、呼吸を整え、意識を集中し、じっくりと心の変化を待ちます。 究極的なゴールは、完全な心の自由です。何物にも囚われることのない、完全なる自由。それは完全なる幸福でもあります。西洋哲学の中では自由と幸福とが矛盾したり対立したりする概念として提起されることがあります。瞑想の完成においては全く矛盾することがありません。完全に自由で、完全に幸福です。これは瞑想の訓練中に垣間見
環境を造る こういう活動をしてゆく中で、しばしば私に対して指摘される事柄がある。 この活動をはじめて、この活動からは私は幾分かの給与ももらったことはないし、今後ももらわないと思う。 それは私のこだわりなので他人に強要はしない。 ただ自分の生き様を,金銭に置きかえたくはないという、やせ我慢かもしれない。 時間をお金で切り売りしないという,私なりの美学がある。 今までも、そしてこれからも多分このように言われるだろう。 「あなたがそのようにできるのは、奥さんが働いて,子どもを養い,生活の面倒を見ていてくれているからだ。」 その指摘は多分、正しい。 今の形のあり方は,妻の献身があってのことだと思う。 私はたとえ妻と出会っていなくても,この活動をしていた。 しかし、自分の身を支えたり,子どもがいれば、その生活を維持するために,日本で働いていたと思う。 飢えない程度、最低限は。 だから今のような状態は
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