長野県上伊那郡朝日村平出(現在の辰野町)に生まれる[1]。朝日尋常高等小学校、長野県諏訪中学校を経て、旧制第三高等学校に進学[4]し、中村直勝の講義を聞き、歴史学に興味を持つ[5]。1925年3月に同校文科丙類を卒業[6]。京都帝国大学入学[7]後、1926年、東京帝国大学文学部国史学科に再入学[8]し、卒業論文「近世初期の農政」をまとめ[9]、1929年3月に同大学文学部卒業[3][10]。 1929年、東京大学史料編纂所に入所[2]し、1933年3月まで勤めた[11]のち、東北帝国大学法文学部助教授[12]。1941年に同教授となり[2]、1968年定年退官[3]。東北大学名誉教授。同年、國學院大學経済学部教授、1981年退任[3]。 1951年に「近世初期に於ける勧農について」により、東北大学から経済学博士の学位を授与される[13]。