宮城県女川町の避難所で提供していた炊き出しを商品化した「女川カレー」と「ディル・セ・おながわ」の阿部美和代表=8月、同町の「きぼうのかね商店街」 東日本大震災時に宮城県女川町の避難所で提供していた炊き出しを商品化したカレーが、人気を集めている。避難者向けに体を温める効果のあるスパイスを配合するなどの工夫を凝らしており「非常食の備蓄用に最適」と売れ行き好調だ。 商品化されたのは当時の味を再現したカレー粉。レシピ付きで、好みの具材を加えて調理する。 震災直後にボランティアで女川町に入った神奈川県鎌倉市のメタ・バラッツさん(29)が考案。鎌倉市のスパイス会社「アナン」に勤めるインド系のバラッツさんは寒さに震えていた被災者のため、血行を良くするスパイスのターメリックやジンジャー(ショウガ)を調合しカレーを作った。 さらっとした口当たりながら、スパイスの辛さに豆の甘さが加わった絶妙な味に。避難所で1
9月30日、内閣府兼復興大臣政務官に就任した。これまで自民党青年局長として「チーム11」を率い、毎月11日の被災地訪問を続けてきた実績が評価されての起用だった。 自ら希望したポストでもある。10月4日、初登庁からわずか4日目にして被災地の宮城県内に入り、地元首長トップらと次々に意見交換を行った。区画整理事業、資材高騰、震災遺構の維持など訪問先では青年局長時代以上にさまざまな政策課題にぶつかった。石巻市では「皆さまの声を政策という形に変えていかなくてはいけない」と述べ、政府の一員としてのプレッシャーも感じているようだった。 父親である小泉純一郎元首相の「脱原発」発言についても話題に。「父の思いは父の思い」と距離を置いたが、果して本音は…。 石巻市では、被災地支援イベント「石巻に恋しちゃった」のチラシを快く受け取り、思わず自身の婚活の話にも触れたという。 4日夜は女川町のトレーラーハウスに宿泊
東日本大震災による大津波で市街地の7割が流失した宮城県女川町。山林を切り開いた高台にまちを移転する「1000年に一度のまちづくり」が始まっている。当面の目標は、来年度末のJR石巻線の終着駅・女川駅の再開。駅前地区のまち開きに向け、復興に全力をかける。(村島有紀) ◆JR女川駅再開へ 「女川駅再開まで560日」(8月28日現在)。プレハブの仮庁舎2階、同町役場復興推進課には女川駅復旧の来年度末に向け、カウントダウンのカレンダーが掲げられている。 同町の人口は震災前は約1万人。震災による全壊家屋は約2900棟で、町役場を含めて市街地の約7割が被害を受け、死者・行方不明者は827人に上った。人口の流出はさらに続き、8月末現在、7675人に落ち込んでいる。 かつての女川駅や町役場のあった土地のがれきは撤去され、沿岸部の平地には更地が広がる。住民の土地は町が買い上げ、同町は昨年3月、UR都市機構と包
東日本大震災の津波で浸水した町中心部のかさ上げ工事を進めている宮城県女川町に18日、一度に大量の土を運べる超大型トラックが投入された。大きすぎて公道を走れないため分解してトレーラーなどに積み込んで搬入。 全長約10メートル、高さ約4・5メートルの54トントラックで、組み立てた後、油圧調整などをして21日ごろから稼働する見込み。20日には2台目も到着する。 女川町は、震災前にJR女川駅や役場などがあった中心部約38ヘクタールを7月中旬から立ち入り禁止にし、大規模な造成工事を開始。周辺の山を切り崩した約150万立方メートルの土を最高約17メートルの高さまで盛り土し、2015年3月までに宅地や商工業地を整備する。
「女川」と聞いてまず思い浮かべるのは海かもしれないが、三方を山に囲まれた緑豊かな町でもある。女川港から歩いて十数分ほどで、堀切山の山頂へ続く遊歩道の入り口だ。 遊歩道は、山に点在する33体の「女川三十三観音」を巡礼するためのものだ。約1・8キロメートルにわたって整備され、約1時間半で巡ることができる。 海の安全を祈り… 「女川町史」によると、女川三十三観音は文政7(1824)年、地元出身の独国(どっこく)和尚が置いたものという。福島県いわき市の「差塩(さいそ)三十三観音」を建立したことでも知られる人物だ。三十三観音は「観音が三十三の姿に変身し、どんな悩みも救ってくれる」と江戸時代の庶民に人気が高かった。今も除夜の鐘とともに、お参りする慣習が残り、長く親しまれてきた。 女川三十三観音を巡る山道の入り口には、「一度沈んだ船も祈ると浮かぶ」との言い伝えがある「波切不動尊」が厳かにたたずむ。町教委
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