伝説に関するonboumaruのブックマーク (11)

  • 奥州安達原 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 平安の昔の話でございます。 京の都のさる公卿のお屋敷に。 名を岩手の局ト申す女がおりましたが。 この者は姫君の乳母でございまして。 我が仕える姫君を、それはそれは大事に育てておりました。 ところが、この姫君ト申しますのが。 生まれつき病に冒されておりまして。 五歳になっても一向にものを話しません。 岩手は姫君が不憫で不憫で仕方がない。 そこである時、易者にこれを打ち明けますト。 いつの世も易者ト申しますものは。 無責任な輩ばかりでございますので。 「まだ女の腹の中におるままの、赤子の生き肝をわせるより他にない」 ナドと吹き込んだ。 岩手は姫君が可愛くてなりませんので。 どうしても赤子の生き肝を手に入れたい。 その思いにすっかり取り憑かれてしまいまして。 生まれたばかりの娘を人に預け。 首には赤いお守り袋を掛けてやる。 「母岩手」ト書かれた形見の品。 「かかさまがお

    奥州安達原 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2019/06/14
    謡曲「安達原(黒塚)」より
  • 民話の怖い話より 「鬼婆が血となり肉となる」 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 ある山奥の貧しい村に。 竹林に囲まれたぼろ屋がございまして。 老婆と孫娘が二人で暮らしておりましたが。 夜空に月が白く冴えた。 ある秋のことでございます。 高く伸びた竹がゆらゆら揺れる。 竹の葉がさらさら音を立てる。 風がかたかた板戸を鳴らす。 「おばば。寒くて眠られない」 「よしよし。おばばの布団へおいで」 おばばは齢六十で。 孫娘の志乃は十六で。 おばばには倅が三人おりましたが。 この数年で次々と亡くなってしまい。 残されたのはこの志乃ひとりでございます。 ほかに身寄りのないおばばは。 志乃を心底可愛がっておりました。 トハいえ、まだまだ子供と思っておりましても。 世間では十六といえばもはや年頃でございます。 現に、ひとつ夜着の中で身を寄せ合っておりましても。 志乃の体つきが小娘から娘に変わりつつあるのがよく分かる。 「志乃にもそろそろ婿を探してやらねばならんの

    民話の怖い話より 「鬼婆が血となり肉となる」 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2018/10/16
    福井の民話より
  • 姿見の池と一葉の松 恋ヶ窪の由来 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 武蔵国の国分寺のほど近くに。 恋ヶ窪ト申す地がございます。 かの源頼朝公が、鎌倉に拠を構えておりましたころ。 ここに上州と鎌倉を結ぶ街道が通っておりました。 その頃ここはその鎌倉上道の宿場町でございまして。 往時は騎馬の武者や旅の商人などで賑わっており。 茶屋や遊女屋が軒を連ねておりました。 この地には、池がひとつございまして。 付近の湧き水を集めて、深々と湛えておりました。 水は清く、その表は鏡のようにぴんと張り詰めている。 青い空と白い雲が、さながら地を這うように見えたトいう。 その頃は手鏡なんぞあまり身近ではございませんが。 この宿場町には明鏡止水トモ讃えるべき池がある。 畔にはいつでも水を覗き込む遊女たちの姿があり。 このことから、姿見の池ト名がついたのだト申します。 さて、この宿場町の賑わいに。 華を添えた傾城たちのその中に。 名を夙太夫(あさづまだゆ

    姿見の池と一葉の松 恋ヶ窪の由来 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2018/02/05
    東京国分寺の伝説より
  • 蛇女房 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 木曽の山中、人里離れた静かな森に。 木こりが一人住まっておりまして。 枝木を伐って暮らしを立てているトいう。 貧しい山男でございましたが。 与市ト申すこの者は、三十路を過ぎてなお独り身で。 ト申しますのも、早くに二親に死なれてしまい。 父親の商いを、見よう見まねでやってまいりましたので。 もう十幾年も、今日うのに精一杯で。 嫁取りはおろか、人付き合いもろくにしたことがない。 今日も今日とて、形見のナタを腰にぶら下げまして。 通い慣れた獣道を、奥へ奥へト歩み進んで行きますト。 突然、目の前にぱっと広がりますのは。 深い谷ト遠くの山々まで一望する。 崖の上からの景色でございます。 近頃、与市は毎日ここまでやってまいり。 日暮れまでずっと木を伐っておりました。 ここでナタをふるいますト。 カーンカーントいう甲高い音が。 谷底に大きく響きます。 するト、寂しく暮らす与市に

    蛇女房 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2017/12/25
    岐阜の民話より
  • 江戸怪談より 「暗峠 姥の首の火」 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 河内国は暗峠(くらがりとうげ)。 峠を越えたその麓の村。 平岡の里ト申す地に。 娘が一人おりまして。 山家の花じゃ、今小町じゃト。 土地の小唄に謡われるほどに。 器量良しで知られておりましたが。 山の神は女だト。 山国ではよく申します。 娘のあまりの美しさト。 男たちからの評判に。 神も妬みましたかどうか。 乃至は「二物を与えず」か。 この美しい娘の生涯は。 それは哀れなものでございました。 年十六の娘盛り。 数多の男が娘を巡り。 互いに争い合う中で。 村のトある若い衆が。 娘をついに射止めました。 新郎新婦が盃を交わす。 袖にされた男たちは口惜しさに。 横目でやけ酒をあおっては。 慰めあっておりましたが。 ナント、この幸せ者の新郎が。 ひと月ト待たずに死んでしまった。 するト、慰めあっていた男たちが。 再び仇同士ト相成りまして。 娘を巡って争い合う。 そうして、ま

    江戸怪談より 「暗峠 姥の首の火」 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2017/12/22
    井原西鶴「西鶴諸国ばなし」より
  • 民話の怖い話より 「餓鬼憑き ヤビツ峠の落武者と霊」 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 長きに渡った戦国の世の、覇者は誰かト問われますト。 それは一も二もなく、徳川様ではございますが。 我々関東者にとりまして、戦国の雄はト申しますト。 それは一も二もなく、相模の北条家でございます。 その北条を最後に滅ぼしたのは、かの太閤秀吉公でございますが。 最も苦しめたのは誰かトなりますト、やはり甲斐の武田でございましょうナ。 城下町まで曲輪(くるわ)でそっくり取り囲んだ総構えは。 北条の居館、小田原城の誇りでございまして。 豊臣の大坂城に先んじ、また遥かに凌いだト申しますが。 これも元はといえば、武田の激しい攻撃に耐えるため。 武田の小田原城攻めを契機に、普請が始まったト申します。 この時、小田原に侵攻した武田の軍でございますが。 三日間だけ城を包囲するト、甲斐へ向けて退却していきました。 これを時の当主氏康の子、氏照と氏邦が待ち伏せ、迎え撃ちまして。 ここに両家

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    onboumaru 2017/08/27
    三増峠合戦にまつわる神奈川の伝説より
  • 猫塚鼠塚 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 森森たる木曽の山道、その夕暮れの景。 三十がらみの無口な猟師が一人。 その担え銃にぶら下がるように後を追う童が一人。 そして、その胸に抱かれた三毛が一匹。 二人の親子と一匹のが。 黙って山を下っておりましたが。 「父ちゃん」 「何だ」 「三毛が眠ったようだよ」 「飯をって眠くなったんだろう」 「おら、腹が減った」 「待っていろ。そのうち里に出るはずだ」 が黙っていたのは眠気のため。 親子の場合は疲れと空腹のためでございました。 やがて父の言葉通り、里が見えてくる。 ト、親子の者を見かけて、こちらへ声を掛けてきた村人がある。 「旅のお方かね」 「いや、山向こうの村の者だ」 「へえ。それがどうして」 「獲物を追っていて、日が暮れた。子連れで帰るには遅いから、宿を借りたい」 「それなら、お堂へ泊まるが良い。村の者で夜具やい物を持ち寄ってやるから」 愛想の良さとは

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    onboumaru 2017/07/08
    岐阜の民話より
  • 八王子千人同心 蛇姫様 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 武蔵国は多摩郡八王子の地に。 千人同心ト申す集団がございますが。 これは、滅亡した武田家の遺臣たちを家康公が惜しみまして。 甲州口――すなわち甲州武州の境を守らせたのが始まりでございます。 その後は、天下泰平の御世が続いておりますから。 近頃では日光勤番ト申しまして。 東照宮をお守りする役目に就いている。 ひとえに、神君の旧恩に報いんとするものでございましょう。 この者たちの身分は郷士でございます。 侍でありながら、土にまみれて汗を流すという。 半士半農、いわば地侍でございますナ。 十組百人、合わせて千人となることから。 この名がついたト申します。 これらを束ねますのが、その名も千人頭でございまして。 身分は五百石取りの旗格でございます。 甲州街道と陣馬街道の追分に広い屋敷を構えておりますが。 さて、かつてこの屋敷の主人でありましたのが。 萩原頼母(はぎわら たの

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    onboumaru 2017/03/31
    八王子の伝説より
  • 箱根関所 お玉ヶ池 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 よく、「入り鉄砲に出女」ト申しまして。 女が関所を通過するには、非常な困難が伴いますが。 もっとも厳しいのはどこかと申しますト。 それはやはり、東海道は箱根の関所でございましょう。 その関所の裏山に。 お玉ヶ池ト申す池がございまして。 元は薺(なずな)ヶ池と呼ばれていたそうでございますが。 どうしてお玉ヶ池と呼ばれるようになったのか。 その由来をこれからお話しいたします。 元来、関所と申しますものは。 手形さえあれば誰でも通ることができますが。 こと、女に関しますト。 それがそうもいかないのが難しいところで。 男が関所を通ります場合は、通行手形が必要となりますが。 これは町役人か菩提寺に頼めば、その場でサラサラと書いて渡してくれる。 ところが、女には女手形トいうものがございまして。 これを誰が書いてくれるかと申しますト。 幕府のお留守居役でございます。 ――急に敷居

    箱根関所 お玉ヶ池 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/10/05
    神奈川の伝説より
  • 民話の怖い話より 「矢口長者の隠れ里」 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 相州は丹沢山地のとある一隅に。 奇妙な名前の沢が集まっている場所がございます。 勝負沢、二十が沢、六百沢、転がし沢――。 これらの名がどのようにしてついたのか。 その由来をこれからお話しようと存じますが。 観応の擾乱――世に言う南北朝の動乱の頃の話でございます。 新田義貞の子に、名を義興ト申す武将がございました。 足利勢に対抗し、上野国にて同志と挙兵いたしました。 一時は首尾よく鎌倉を奪還いたしましたが。 その後は劣勢に立たされまして。 多摩川は矢口の渡しにおいて、主従ともども敵に殺されてしまいました。 さて、この義興の配下に、その名も矢口信吉ト申す武者がおりました。 主君の新田義興を、敵の騙し討ちで失って以来。 信吉はにわかに落ち武者となってしまいまして。 子供と、わずかばかりの家来を伴って。 相州は丹沢の山奥へト、逃げ込んでいきました。 丹沢は相州を甲州および

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    onboumaru 2016/09/14
    南北朝期の伝説より
  • 佐渡の八百比丘尼 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 ご承知の通り、佐渡はいにしえより流刑の地でございます。 古くは順徳天皇、日蓮上人、能役者の世阿弥など。 様々な人物がこの島に流されてまいりましたが。 徳川様の御代となってからは、もっぱら町方の罪人の終焉地トなっている。 終焉地トはどういうことかと申しますト。 この地に流されたが最後、生きて帰ることはまずありえません。 まずは瓢箪責めという慣例から始まりますが。 これは、己の股ぐらに頭を突っ込むような形をとらせまして。 その形のまま、縄で厳重に縛り付けられるトいうもので。 この責め苦には、どんな悪人でも悲鳴を上げて、苦しがります。 中には、この時点で息絶えてしまう者もいる。 やっとのことで解放されますト。 実はここからが番で。 三年三月の苦役を勤め上げれば、晴れてお赦しトなりますが。 まず、満期を迎えられる者がおりません。 針山のような鉱山を、裸足で歩き回らせられま

    佐渡の八百比丘尼 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/08/13
    全国に流布する八百比丘尼伝説より
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