昔話と伝説に関するonboumaruのブックマーク (5)

  • 奥州安達原 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 平安の昔の話でございます。 京の都のさる公卿のお屋敷に。 名を岩手の局ト申す女がおりましたが。 この者は姫君の乳母でございまして。 我が仕える姫君を、それはそれは大事に育てておりました。 ところが、この姫君ト申しますのが。 生まれつき病に冒されておりまして。 五歳になっても一向にものを話しません。 岩手は姫君が不憫で不憫で仕方がない。 そこである時、易者にこれを打ち明けますト。 いつの世も易者ト申しますものは。 無責任な輩ばかりでございますので。 「まだ女の腹の中におるままの、赤子の生き肝をわせるより他にない」 ナドと吹き込んだ。 岩手は姫君が可愛くてなりませんので。 どうしても赤子の生き肝を手に入れたい。 その思いにすっかり取り憑かれてしまいまして。 生まれたばかりの娘を人に預け。 首には赤いお守り袋を掛けてやる。 「母岩手」ト書かれた形見の品。 「かかさまがお

    奥州安達原 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
    onboumaru
    onboumaru 2019/06/14
    謡曲「安達原(黒塚)」より
  • 蛇女房 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 木曽の山中、人里離れた静かな森に。 木こりが一人住まっておりまして。 枝木を伐って暮らしを立てているトいう。 貧しい山男でございましたが。 与市ト申すこの者は、三十路を過ぎてなお独り身で。 ト申しますのも、早くに二親に死なれてしまい。 父親の商いを、見よう見まねでやってまいりましたので。 もう十幾年も、今日うのに精一杯で。 嫁取りはおろか、人付き合いもろくにしたことがない。 今日も今日とて、形見のナタを腰にぶら下げまして。 通い慣れた獣道を、奥へ奥へト歩み進んで行きますト。 突然、目の前にぱっと広がりますのは。 深い谷ト遠くの山々まで一望する。 崖の上からの景色でございます。 近頃、与市は毎日ここまでやってまいり。 日暮れまでずっと木を伐っておりました。 ここでナタをふるいますト。 カーンカーントいう甲高い音が。 谷底に大きく響きます。 するト、寂しく暮らす与市に

    蛇女房 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2017/12/25
    岐阜の民話より
  • 八王子千人同心 蛇姫様 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 武蔵国は多摩郡八王子の地に。 千人同心ト申す集団がございますが。 これは、滅亡した武田家の遺臣たちを家康公が惜しみまして。 甲州口――すなわち甲州武州の境を守らせたのが始まりでございます。 その後は、天下泰平の御世が続いておりますから。 近頃では日光勤番ト申しまして。 東照宮をお守りする役目に就いている。 ひとえに、神君の旧恩に報いんとするものでございましょう。 この者たちの身分は郷士でございます。 侍でありながら、土にまみれて汗を流すという。 半士半農、いわば地侍でございますナ。 十組百人、合わせて千人となることから。 この名がついたト申します。 これらを束ねますのが、その名も千人頭でございまして。 身分は五百石取りの旗格でございます。 甲州街道と陣馬街道の追分に広い屋敷を構えておりますが。 さて、かつてこの屋敷の主人でありましたのが。 萩原頼母(はぎわら たの

    八王子千人同心 蛇姫様 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2017/03/31
    八王子の伝説より
  • 箱根関所 お玉ヶ池 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 よく、「入り鉄砲に出女」ト申しまして。 女が関所を通過するには、非常な困難が伴いますが。 もっとも厳しいのはどこかと申しますト。 それはやはり、東海道は箱根の関所でございましょう。 その関所の裏山に。 お玉ヶ池ト申す池がございまして。 元は薺(なずな)ヶ池と呼ばれていたそうでございますが。 どうしてお玉ヶ池と呼ばれるようになったのか。 その由来をこれからお話しいたします。 元来、関所と申しますものは。 手形さえあれば誰でも通ることができますが。 こと、女に関しますト。 それがそうもいかないのが難しいところで。 男が関所を通ります場合は、通行手形が必要となりますが。 これは町役人か菩提寺に頼めば、その場でサラサラと書いて渡してくれる。 ところが、女には女手形トいうものがございまして。 これを誰が書いてくれるかと申しますト。 幕府のお留守居役でございます。 ――急に敷居

    箱根関所 お玉ヶ池 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/10/05
    神奈川の伝説より
  • 佐渡の八百比丘尼 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 ご承知の通り、佐渡はいにしえより流刑の地でございます。 古くは順徳天皇、日蓮上人、能役者の世阿弥など。 様々な人物がこの島に流されてまいりましたが。 徳川様の御代となってからは、もっぱら町方の罪人の終焉地トなっている。 終焉地トはどういうことかと申しますト。 この地に流されたが最後、生きて帰ることはまずありえません。 まずは瓢箪責めという慣例から始まりますが。 これは、己の股ぐらに頭を突っ込むような形をとらせまして。 その形のまま、縄で厳重に縛り付けられるトいうもので。 この責め苦には、どんな悪人でも悲鳴を上げて、苦しがります。 中には、この時点で息絶えてしまう者もいる。 やっとのことで解放されますト。 実はここからが番で。 三年三月の苦役を勤め上げれば、晴れてお赦しトなりますが。 まず、満期を迎えられる者がおりません。 針山のような鉱山を、裸足で歩き回らせられま

    佐渡の八百比丘尼 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
    onboumaru
    onboumaru 2016/08/13
    全国に流布する八百比丘尼伝説より
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