こんな話がございます。 源頼朝公の腹心に、文覚(もんがく)という僧侶がございました。 俗名を遠藤盛遠(もりとお)と申しまして。 摂津源氏の... さて、この江ノ島の南端に。 稚児ヶ淵と呼ばれる場所がございますが。 この淵がどうして稚児の名で呼ばれるのか。 これからその由来をお話したいと存じます。 臨済宗の大本山として知られる鎌倉の建長寺に。 自休ト申す僧がございました。 もとは奥州、信夫(しのぶ)の里の人でございます。 自休は高徳の僧として、すでに高い評判を得ておりましたが。 あくまでも謙虚な人物でございまして。 いにしえの高僧たちが修行したという江ノ島へ。 百日詣にまいったのでございます。 自休が弁財天を参詣して、島を離れようとしていたその時。 断崖の突端に、ひとりの翁の脇に立つ小さき人影が見えました。 見るト、どこかの寺の稚児のようでございます。 小さき人は、まばゆい夕陽から目をそらす