1月8日付、本学ホームページに「本学非常勤講師による不適切な行動について」として報告いたしましたが、その後判明した事実およびその背景等について説明させていただきます。
» 【俺とファイプロ】こだわりまくった「技の再現度」に悶絶 / 元祖DDTに震えた by P.K.サンジュン 特集 通称ファイプロこと『ファイヤープロレスリング』といえば、ゲームで表現する「プロレス」に、こだわりまくった名作中の名作シリーズだ。そんなファイプロ好きによるファイプロ好きのためのイベント『ファイプロT ~ファイヤープロレスリングトークバウト~』が、2014年10月27日、高円寺にて開催される。時は来た……それだけだ! そこで10.27(ジュッテンニーナナ)のイベントに向けて、短期集中コラム『俺とファイプロ』を連載中! 2番手はイベントにも参加する私、P.K.サンジュンがファイプロへの思いを熱く語るぞーーーッ!! ・ハンパない「技の再現度・書き分け」 様々な魅力があるファイプロだが、今日は『技の再現度・書き分け』について語りたい。特に熱中した、スーパーファミコン版「ファイプロX」
目次へ戻る 中村教授と日亜化学の悲劇 2004年7月4日 宇佐美 保 私は以前、青色発光ダイオードの開発者である中村修二氏の著作『考える力、やり抜く力 私の方法(三笠書房)』を読み大変感激しました。 先ず、感激したのは、当時の(今は亡き)日亜化学工業小川社長の素晴らしさでした。 そして、又、会社の方針(小川社長の方針ではありません)を無視して、自己の道を邁進しようとする中村氏の凄さにです。 以下に、中村氏の著作から引用させて頂きます。 (尚、青色発光ダイオードの発明が中村氏の力、存在に依存している証明でもある大事な部分なので、長くなりますがお許し下さい。) ……私はついていたと思う。それは当時の小川社長(現会長)が研究開発の何たるかを理解してくれていたからだ。目先の結果だけを求めるのではなく、どちらかと言えば楽天的だった。だから、会社の規模としては多額の研究開発費をボンと出してくれたのだっ
東日本大震災を契機に、ツイッターなどソーシャルメディアにおける情報流通が爆発的に増え、20代、30代の発言が目についた2011年。中でも大企業や大学などのしがらみを離れ、個人の意見を鋭く発信しているのが1970年代前半生まれの世代だ。 彼らはこの時代に、どんなスタンスで向き合っているのか。ネットニュース編集者の中川淳一郎氏(1973年生まれ)と、人材コンサルタント常見陽平氏(1974年生まれ)に意見を交わしてもらった。なお2人は一橋大学の同級生で、ともに同大プロレス研究会のメンバーとして活躍したが、卒業時に想定外の「就職氷河期(第一次)」に当たって大苦戦し、数々の苦汁をなめた経験を持つ。 ココロは「ゲーム好きな少年」のまま? 常見 今年は同世代の「論客」が、表舞台に出てきた年だったよね。津田大介さんや城繁幸さん、『ラーメンと愛国』の速水健朗さんが1973年生まれ、学年がひとつ上の山本一郎さ
“まいうー”のフレーズでおなじみの、お笑いコンビ「ホンジャマカ」の石塚英彦さん(51)。大きな体をフル活用した独自のグルメリポートで、お茶の間の人気者となりました。ホンワカ朗らかなキャラクターの根っことなっているのは、意外にも、歌手の故・忌野清志郎さんだと言います。 かつてブレークした「電波少年」ケイコ先生の現在とは 普通、グルメリポートといえば、もちろん、味を表現したり、事細かにお店の情報を入れたりすることが求められるとは思うんです。でも、味を表現するんだったら、彦摩呂とか阿藤快さんにはかなわない。 じゃ、僕がやるのは何かというと、グルメショーだと思っているんです。味そのものというより、料理人さんの情熱をしっかりと、そして楽しく伝える。僕の場合、究極的にいうならば、誉めることしか考えてないんです。 というのも、僕のロケ風景を思い出していただける方もいらっしゃると思うのですが、料理人の情熱
子どもたちの食生活が荒れている。日本スポーツ振興センターの調査によると、朝食を食べない子は約20%、夕食を一人で食べる子は16%。夕食がファーストフードのハンバーガーだけだったり、お昼のお弁当にコンビニ弁当を持ってくる子どもがいたりと、食事の内容も随分寒々しいものに変わってきている気がする。「食の荒れは心の荒れ」と言われるが、子どもたちを健全に育てていくために、「食」という視点からどのようなことを心がければいいのだろうか? 息子のケンタロウさんとともに料理研究家として活躍している小林カツ代さんに、食と子育ての関係について話を伺った。 学びの場.comまず最初に、子育てと食との関係について、どのように考えていらっしゃるか教えていただけますか? 小林カツ代私は、子育ての要は食にあると思います。でも、最近はやりの「食育」という言葉は好きではありません。「食育」という言葉には、どこか人を上から見下
高畑勲監督の14年ぶりの新作として大々的に公開された『かぐや姫の物語』は、最終的に24億7000万円の興行収入を記録し、劇場アニメとしてはなかなかの好成績を収めました。 しかし、過去のジブリ作品と比較すると(『千と千尋の神隠し』は304億円で別格としても)、宮崎吾朗監督の『ゲド戦記』が76億円、『コクリコ坂から』が43億円、『耳をすませば』のスピンオフに当たる『猫の恩返し』が65億円など、いずれも40億円以上を記録しており、24億円が決して楽観できる数字ではないことが分かります。 さらに、高畑勲監督の過去作品としては、『火垂るの墓』が6億円、『おもひでぽろぽろ』が19億円、『平成狸合戦ぽんぽこ』が27億円、『ホーホケキョ となりの山田くん』が8億円となっており、今のところ『平成狸合戦ぽんぽこ』の実績にも届いていません(数字は配給収入で、『ぽんぽこ』の場合は興収54億円ぐらいになる)。 これ
要約:紅白歌合戦の副音声でただただ、壇蜜の素敵さと凄さを実感した。俯瞰しているから寂しさを纏っているのかもしれない。副音声は「別番組」レベルでした。 壇蜜編だけの文字起こしはこちらのエントリ。紅白全体の感想と美輪明宏の文字起こしエントリはこちら。 Tweet Follow @manta_birostris テリー伊藤:壇蜜は日本女性の価値観を変えた 壇蜜が副音声に出てくる前、藤あや子のバックで日本舞踊を踊る壇蜜を見ながら、テリー伊藤と林修が彼女を「文学的」だと評する。テリーは「日本のマリリンモンロー」だとまでいう。 テリー伊藤 いやー、壇蜜は日本の女性の価値観変えてますよね、今。彼女は文学の匂いがするような気がする。谷崎潤一郎とか。そういうやらしいんだけれども文学の匂いがする、そこに彼女の魅力があるような気がしますけどね。 林修 たしかに、(永井)荷風とか谷崎の耽美派的な感じがしますよね。
【神庭亮介】時代に背を向け、聴き手を挑発し続けてきた異端の歌手、三上寛が最新作の題材に選んだのは、いかにも現代的なツイッターとフェイスブック。一体、なぜ? 過激な放送禁止歌で名をはせた1970年代からの進化の軌跡をたどりつつ、アルバム「ブログ ツィート フェイスブック」へ込めた思いを聞いた。 ――71年に岐阜県の椛の湖畔で開催されたフォークフェスティバル「中津川フォークジャンボリー」に出演し、一躍存在を知られるようになりました。 すごい盛り上がりだったね。観客が2万人ぐらいかな。しかも、一切メディアを通さず口コミでやった。どうやってみんな集まったのか、不思議ですよ。 ――飛び入り参加のような形だったのですか。 そうそう。当時、新宿ゴールデン街でバーテンをしていて。そこに来ていたプロデューサーから「明日、中津川でイベントがあるけど行くか?」と聞かれて、「じゃあ行きます」と。バイト終わりにギタ
JR阿佐ケ谷駅前でポーズをとる古木。1カ月以上もプレーしていないとは思えないほどの、黒く精悍な身体つきだ。 かつてのライバルが放った最後の打球がレフトスタンドに吸い込まれた瞬間、古木克明は自然と立ち上がり、ガッツポーズを作っていた。 10月8日、ベイスターズ本拠地最終戦。現役生活最後の打席で小池正晃が見せたホームラン。その「最後の打席」を見届ける為だけに、訪れた約1年ぶりのスタジアム。 小池とは1998年ドラフト1位と6位。“松坂世代”の同期であり、ポジションを競いあったライバルだった。堅実な守備と小技が巧みな打撃等、古木にないものを兼ね備えたスタイルで'05年にレギュラーに定着し、その後も大きな壁となり続けた小池の力は、古木が最も知っていたと言っても過言ではない。 「自分の持ち味はバント」 と最後まで言い続け、チームの為に自らを犠牲にしてきた小池が、プロ野球選手として最後の場面になって初
「自分、不器用ですから」。1984年、高倉健が日本生命のCMでつぶやいたコピーは、名優を象徴するフレーズとして今も語り継がれている。本来はマイナスの意味である「不器用」という単語に肯定的なニュアンスが加わった発端だったのかもしれない。 名声、巨額の報酬、スポーツカー、女子アナとの結婚・・・。きらびやかな野球界で出会った人々の中に、唯一「自分、不器用ですから」という言葉が似合う小坂誠という男がいた。私は初めて会った日から彼に惹かれた。腰をかがめ、しっかりと両手で名刺を受け取り「こちらこそ宜しくお願いします」と一礼した立ち振る舞いは全くプロ野球選手らしくなく、親近感を抱いた。もしかしたら、極めて庶民的な性格にもかかわらず、キラキラと光り輝いている世界に何とかフィットしようと試みている自分自身を、彼の姿に重ねようとしたのかも知れない。 小坂は超一流のプレイヤーだった。ロッテに入団した1997年、
9月1日(日)山本精一さんと競演することになったきっかけは、2012年11月12日名古屋得三で僕がソロライブをやった時、オーナーの森田裕さんから「早川さん、若いお客さんが付いている人と競演しなくちゃだめだよ。山本精一さんどうかな。うん。9月1日決定ね」とその場で決まってしまった。 東京大阪もと思い、山本さんにメールで相談をしてみた。ところがなかなか返事が来ない。「まずいこと言ってしまったかな」と心配していた数週間後、山本さんから電話が入った。「東京も大阪もライブハウス抑えましたから」「えっ、そんな大きなところでやるんですか? 僕はふだん30人とか50人ぐらいのところでやっていて、そんなに入りますかね」「僕と早川さんとだったら絶対入ります。ただし、チラシは作ります。安く作ってくれる友だちがいるので。名前をバーンと描いただけの。それだけで十分ですから」と嬉しい返事があった。 山本さんは大阪
その昔C言語から始まったプログラム学習で必ず通る"hello world"と言う言葉。その真逆の言葉を自分の口から公に向けなければならない日が来るとは、思いもしていなかった。 2013年4月上旬自分がスキルス胃ガンのステージVI になっている事を知る。今年から小学校の一人娘の入学式前日の出来事。 発見段階で医師からはすでに手の施し様はあまりない事を聞き(発見された転移部位の問題もあり)、手術や抗がん剤等積極的なアプローチにはリアリティを感じなかった。 かと言って、まるまる放置も釈然としないので、すぐに丸山ワクチンと中国漢方だけは始めてみた。 しばらくすると丸山ワクチンの効果か漢方の効果か、それ以前と比べると格段に体調は良くなり気力も増した。それまで感じていた胃の不快感も弱まり、自分が末期癌だなどとは時折冗談のようにすら感じた。 それでもひと月ちょっとの間に体重は10kg減っていた。
プロレスを主たる取材対象とするフリーライターにして、シーランド公国伯爵の須山浩継が、タダで読めるのをいいことに、更新ペースやネタに関してはまことに身勝手なスタンスで書き綴る日記。気が向けばプロレスのことも書くが、あまりその方面のことは過剰に期待しないように。 先ほど癌との闘病生活を続けてきた今井良晴さんのご臨終を看取ってきました。 といっても、私が今井さんと特別に親しい間柄だったから、そうなったワケではなく全くの偶然でした。今月に入って今井さんの具合が芳しくないことは聞いていましたが、あえてお見舞いは自粛していました。最初の入院の時のように普通に歩き回れる状態ならばともかく、肉体的にもかなり辛い状態が続く今回の入院においては、私が行っても負担になるだけと考えたからです。 でも、なぜか今日はお見舞いに行こうと思いました土曜日にお見舞いに行った脇澤美穂選手からメールで「行ってあげて」と頼まれた
稀代の名将・落合博満氏に学ぶ、やる気を引き出し能力を上げる部下育成術の巻。 Tweet Share on Tumblr カテゴリ:野球 2013年07月19日12:45 注文は復唱してください! 僕は最近、ほとほと呆れかえるような、驚きを通り越して拍手してしまうような事件に遭遇しました。僕は会社の同僚のオッサンと長い昼食をとります。食事をして、コーヒーブレイクをし、野球や相撲の話などをします。一応、昼食は1時間という目安があるのですが、そこそこ長めです。12時32分に出発する場合は、戻りの予定時間を13時40分と区切りのいいところまで繰り上げし、メシ屋をその時間に出る。戻ってくると13時50分…といった具合です。 そんなコーヒーブレイクを繰り返すうち、こちらの動きもどんどんこなれていきます。流れるようなコンビネーション。連動した動き。ホールの店員に対して1対2で対応する数的有利。あ・うんの
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