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GJとbookに関するoptical_frogのブックマーク (3)

  • 14.サイエンス・フィクション - P.E.S.

    1992年に亡くなったアイザック・アシモフの最後の自伝的エッセイ、"I.Asimov: A Memoir" (1994)の第14セクション「サイエンス・フィクション」の翻訳です。 この前の「パルプフィクション」の続き、「サイエンス・フィクション」です。が、あんまりSFの話をせずに、パルプフィクションから脱線して現代社会(1990年ごろ)の問題へと。気持ちはわかるけど、ちょっと残念。まあとにかく、ここのところアシモフ自身の話から少しばかり離れてますが、また次のセクションからもうちょっとプライベートな話へと、そしてアシモフの not so 神童時代へと... 14. サイエンス・フィクション パルプフィクションのジャンルの一つが、「サイエンス・フィクション」であった--もっとも小さくて、一番下に見られていたジャンルだ。これはアメージング・ストーリーズという形でパルプフィクションの世界に登場した

    14.サイエンス・フィクション - P.E.S.
    optical_frog
    optical_frog 2009/05/06
    中学時代に読んだ玉石石石石石混交のラノベのなかに尻Pがいた(ただの思い出)|ところで原書が届いてびっくり.すごい分厚いんですね.てっきり小冊子みたいなのかと思ってた.
  • 我はアシモフ:10.学校 - P.E.S.

    1992年に亡くなったアイザック・アシモフの最後の自伝的エッセイ、"I.Asimov: A Memoir" (1994)の第10セクション「学校」の翻訳です。 アシモフがまだ神童だった頃の、いかにもアシモフ的エピソードです笑。 我はアシモフ:10.学校 学校は好きだった。教えてもらったことで難しい事は何もなかった。少なくとも小学校と中学校ではそうだった。全部が簡単で、私は優秀だった--そして私は優秀である事をひけらかすのが大好きだったのだ。 勿論、問題もあった。いつだって問題はある。クラスメートには全然人気がなかったことは置いておいても、ほとんどの教師からも気に入られてはいなかったのだ。クラスの中で私こそがもっとも頭のよい子供であるという避けがたい事実(そしてまたもっとも若くもあった)にもかかわらず、私はまたもっとも行いの悪い生徒でもあったのだ。注意しておくが、「行いの悪い」の基準が60年

    我はアシモフ:10.学校 - P.E.S.
    optical_frog
    optical_frog 2009/05/01
    (少し萌えた:「彼女は私を飛び級させたのだが、私はクラスを出る時、私は先生がいいと泣いてしまった。」)|フヒヒッ(豚)
  • 我はアシモフ:9. 本の虫 - P.E.S.

    1992年に亡くなったアイザック・アシモフの最後の自伝的エッセイ、"I.Asimov: A Memoir" (1994)の第9セクション「の虫」の翻訳です。翻訳してみて改めて思いましたが、俺はこのセクションに共感できる人向けに翻訳しています。 9.の虫 すべての状況が私を若者としては普通ではない人生へと向かわせていた--「普通ではない」というのは、勿論、近所にいた平均的な若者達の平均的な生活と比べた場合だけのことだが。私にとっては、それは「普通ではない」ということではなかった。それはまさに望みどおりのものだった。と一緒にいた私は、他の子供達を哀れに思っていた。 注意しておくが、私は完全に孤独に隔絶していたわけではない。私は人嫌いではないし、スーパーシャイな「孤独な人間」でもない。私は実際、非常に外向的な人間なのだ(と人から言われている)。声は大きいし、騒がしいし、おしゃべりだし、よく

    我はアシモフ:9. 本の虫 - P.E.S.
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