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ブックマーク / dain.cocolog-nifty.com (73)

  • 『ゲーデル、エッシャー、バッハ』はスゴ本

    一生モノの一冊。 「スゴ=すごい」の何が凄いのかというと、読んだ目が変わってしまうところ。つまり、読前と読後で世界が変わってしまうほどのこそが、スゴになる。もちろん世界は変わっちゃいない、それを眺めるわたしが、まるで異なる自分になっていることに気づかされるのだ。 『GEB(Godel, Escher, Bach)』は、天才が知を徹底的に遊んだスゴ。不完全性定理のゲーデル、騙し絵のエッシャー、音楽の父バッハの業績を"自己言及"のキーワードとメタファーで縫い合わせ、数学、アート、音楽、禅、人工知能、認知科学、言語学、分子生物学を横断しつつ、科学と哲学と芸術のエンターテイメントに昇華させている。 ざっくりまとめてしまうと、書のエッセンスは、エッシャーの『描く手』に現れる。右手が左手を、左手が右手を描いている絵だ。「手」の次元で見たとき、どちらが描く方で、どちらが描かれている方なのか、

    『ゲーデル、エッシャー、バッハ』はスゴ本
  • 池澤夏樹が選ぶ世界文学10作品『世界文学を読みほどく』

    ネットのおかげで人生のネタバレが捗ったように、書のおかげで文学のネタバレが進んだ。 借金で詰んだ人生とか、仮想敵に依存したフェミニストとか、自分で体験することなくセミリアルタイムで眺められるネット万歳。同様に、自分で苦心して読むことなく世界文学の10作品を俯瞰できる。高尚化してた文学を下品なメロドラマに堕としたり、世界を束ねる“データ・ベース”に喩えたり、やっぱりフォークナーは「あらすじ」に圧縮できないなと納得する。この一冊だけで、読んでいないについて堂々と語ることができるだろう。 ラインナップは次の通り。 スタンダール『パルムの僧院』 ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』 トルストイ『アンナ・カレーニナ』 トウェイン『ハックルベリ・フィンの冒険』 メルヴィル『白鯨』 マン『魔の山』 ジョイス『ユリシーズ』 フォークナー『アブサロム、アブサロム!』 ガルシア=マルケス『百年の孤独』

    池澤夏樹が選ぶ世界文学10作品『世界文学を読みほどく』
  • 知性の性差という地雷『なぜ理系に進む女性は少ないのか』【リンク追加】【2019.9追記】

    「女ってバカだなぁ」こう自問する瞬間がある。 もちろんこの問いそのものが間違っていることは分かっている。バカな男がいるように、バカな女がいるだけの話だし、そもそもわたしの母・嫁・娘だけで一般化することにムリがある。一番バカなのは、問うたわたし自身だ。男女のスレ違いを如実に表わしたコピペ「車のエンジンがかからないの…」の正解は、二行目で「それは大変!僕が送っていくよ」だ。オスカー・ワイルドの「女とは愛すべき存在であって、理解するためにあるものではない」を噛みしめながら、ヴィトゲンシュタインの「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」を守るべし。 だが、あえて問うたのが書だ。 発端はハーバード大学学長ローレンス・サマーズの発言。数学と科学の最高レベルでの研究において、統計的に見ると、男性より女性が少ない適性を持つかもしれないと述べたのだ。これは「女性が科学・技術・工学・数学のキャリアに

    知性の性差という地雷『なぜ理系に進む女性は少ないのか』【リンク追加】【2019.9追記】
  • ゲームで子育て『MH4』

    わたしの時代と比べると、今の子どもは羨ましくも可哀想だ。 なぜなら、こんなに楽しいゲームが豊富にあるから。今の時代にわたしが生まれたなら、肩までどころか頭まで浸かって、戻ってこなくなるに違いない。「勉強の合間にゲームする」のではなく、「ゲームの合間に生活する」になり、学校行ってる暇なんてなかっただろう。暇つぶしで始めたはずなのに、暇じゃない時間まで潰れてゆく、ハマれるゲームに満ちているから。 しかも、独り黙々とするのではなく、集団で連携しながら一つの目的を達成するという、昔とは異なるスタイルになっている。ゲーム機を持ち寄って、あるいはネット越しで一緒にプレイするのだ。まさに隔世の感。 「ゲーム脳」なんて言葉で脅してくる自称研究者がいるけれど、ゲーム脳化しているのはこのわたし(さんざんやってきたからね)。「ゲームと現実の区別ができなくなる」という批判は、まさにゲームと現実の区別がついていない

    ゲームで子育て『MH4』
  • ボルヘスのお気に入り『新編バベルの図書館 第3巻』

    人生は短く、読むは多い。読みたいを読み尽くす前に、わたしの命が尽きる。死ぬときの後悔の一つは、「あれ読みたかった……」だろう。せめては予め面白いと分かってる未読に絞りたい。だが、読んでないのに面白いとはこれいかに? そこで読み巧者のオススメですぜ。ボルヘス師匠という先達を得て、どれだけ面白い作品に出会えてきたか。ボルヘス自身の指がつむいだ作品のみならず、師の指す先を見るにつけ、宝の山に咽びながら『バベルの図書館』を読み干す。アク・クセ・ドクはあるけれど、極上のライブラリーが集まっている。未知の作家に出会えるだけでなく、既知の作家の知らない傑作が読めるのも嬉しい。 収獲は、ダンセイニ卿の『不幸交換商会』。「互いの不幸を交換し合う」という、いかにもありそうな奇譚だ。入店料を払うと、客は誰かと不幸や不運を交換する権利を得ることができるようになる。「分別」と決別した男は、幸福そうなしかし愚かし

    ボルヘスのお気に入り『新編バベルの図書館 第3巻』
  • 40超えたら突き刺さる『タタール人の砂漠』

    ある種の読書がシミュレーションなら、これは人生の、それも自分の人生の「手遅れ感」の予行演習になる。若い人こそ読んで欲しいが、分からないかも。歳経るごとにダメージ増、over 40 からスゴ。 この感覚は、カフカの『掟の門』。かけがえのない人生が過ぎ去って、貴重な時が自分の手からこぼれ去った、あの「取り返しのつかない」感覚に呑み込まれる。 大事なことは、これから始まる。だからずっと待っていた。ここに来たのは間違いだから、気になれば、出て行ける。けれど少し様子を見ていた。習慣のもたらす麻痺が、責任感の強さという虚栄が、自分を飼いならし、日常に囚われ、もう離れることができない―――気づいたらもう、人生の終わり。 カフカの再来と称されたブッツァーティは、『神を見た犬』でも示すとおり、寓意性の高い幻想譚を描く。物語の面白さにうっかり釣り込まれると、極めて当たり前の、普遍とも言えるメッセージを突付

    40超えたら突き刺さる『タタール人の砂漠』
  • 「できない」を証明する知的興奮『不可能、不確定、不完全』

    「できない」を納得してもらうのは難しい。 なぜなら、あらゆる解決策を吟味して潰していかねばならないから。いっぽう「できる」ことを証明するのは簡単だ、解法を一つだけ示せばいいのだから。 たとえば、上司に「できません」と伝えると「できない理由を言え(俺が論破してやる)」と返される。無茶でも「できます」と言うほうが楽である(ただし、納期・コスト・品質そして健康が犠牲になる)。最近では小ずるく言い方を変え、「現実的ではありません」と理由を説明するようになった(これで説明責任が相手に移動する)。ビジネス上のたいていの問題は、カネか時間かで解決するが、常識的な時間内に解決するのは難しい。 ところが、世の中に、いくらカネと時間を注ぎ込んでも解決できない問題がある。荒唐無稽なファンタジーという意味で「できない」というのではなく、数学的な帰結として「できなさ」が証明されている問題である。『不可能、不確定、不

    「できない」を証明する知的興奮『不可能、不確定、不完全』
  • 『時間ループ物語論』はスゴ本

    古今東西の時間ループ物語を題材として、現代日を生きる人々が抱く価値観、人生観へ肉薄する佳作。十年前のテキストサイトでよく見かけたオタ的論述スタイルが、暑苦しく膨大に展開されており、懐かしくも愉快な読書と相成った。 うる星やつら『ビューティフルドリーマー』や、涼宮ハルヒ『エンドレス・エイト』といったアニメから、ゲーテ『ファウスト』、落語『芝浜』、漱石『それから』、果ては浦島太郎伝説を俎上に乗せ、定義、掘り下げ、類型化、普遍化し、物語の根っこである「願望充足」「カタルシス」にまで至る。 アニメ、映画小説、古典、神話……膨大な作品を次々と挙げ、脱線に次ぐ脱線を繰り返しながら語られてゆく、著者独特の「読み」の過程や考察がめっぽう面白い。リアルタイムでエヴァ論を読み重ねてきた人にとって、「時間ループ」はたまらない材になるだろう。 たとえば、若返り譚も含めると、ループ物語は古代から前史があったと

    『時間ループ物語論』はスゴ本
  • 『レトリック感覚』と『レトリック認識』はスゴ本

    使い慣れた道具の構造が分かり、より効果的に扱えるようになる。これまでヒューリスティックに馴れていた手段が、一つ一つ狙い撃ちできるようになる。こいつ片手に、そこらのラノベを魔改造したり、漱石や維新を読み直したら、さぞかし楽しかろう。 レトリックというと、言葉をねじる修飾法とか、議論に勝つ説得術といった印象がある。もちろんその通り。アリストテレスによって弁論術・詩学として集大成され、ヨーロッパで精錬された修辞学は、言語に説得効果と美的効果を与える技術体系だ。 だが、「技巧や形式に走る」といって、棄ててしまったのが現代なのだと弾劾する。ものには名があるから、妙に飾らないで、名で呼ぶのがいい……そんな俗物的な言語写実主義の教訓が、私たちの楽天的すぎた科学主義=合理主義=実用主義と混ぜこぜになって、言語感覚を狂わせたのだという。 できあいの言語をじゅうぶん便利なコミュニケーションの道具と信じ、形

    『レトリック感覚』と『レトリック認識』はスゴ本
  • 『影武者徳川家康』はスゴ本

    痛勤ラッシュの現実逃避タイムが、これほど楽しみだったことはない。六百頁、全三巻とあるが、読み干すのがもったいなく、惜しむように(でもページを繰る手ももどかしく)どっぷり漬かる。沢山の方からの「読めゼッタイ」というプッシュは真実なり、感謝・感謝。 映画やドラマで、よくあるでしょ?ラストのどんでん返し。最後の土壇場になって、そこに至るもろもろの謎を解き、伏線を回収し、かつ、世界を一変させてしまうやつ。善玉だと思ってたら実は張人だったというファイナルストライク。隆慶一郎がすごいのは、これを一行目からやったこと。 つまりこうだ。徳川家康がどんな人物で、何を成したかは、史実として「確定」している。これを、冒頭でひっくり返して、ひっくり返した「史観」でもって、もろもろの謎を解き、伏線を回収し、かつ世界を一変させてしまったから。 答えはタイトルにある。家康は関ヶ原で殺され、残りの「家康」を影武者が成り

    『影武者徳川家康』はスゴ本
  • この本がスゴい!2012

    人生は短く、読むは多い。せめてスゴいと出会えるよう、それを読んでる「あなた」を探す―――このブログの究極目的だ。ともすると似たばかり淫するわたしに、「それがスゴいならコレは?」とオススメしてくれる「あなた」は、とても貴重な存在だ。 ネットで呟いたり、オフ会で発表したり、集団でブックハントに勤しんだり。バーチャル・リアルを問わず、そんな「あなた」同士の交流の場で、加速度的にスゴいに会ってきた。中でもここ一年で読んできたものから、選りすぐりを並べてみた。 実は、ここは既読のご紹介の場なので、氷山一角だ。だから、一番アツいfacebook「スゴオフ」を覗いてみてほしい。読まずに死ねるか級がざくざくあるデ。 昨年までの探索結果は、以下の通り。 このがスゴい!2011 このがスゴい!2010 このがスゴい!2009 このがスゴい!2008 このがスゴい!2007 このがスゴい

    この本がスゴい!2012
  • 「薔薇の名前」はスゴ本

    推理小説の皮を被った衒学迷宮。 中世の修道院の連続殺人事件の話という入口から、知の宝庫(だけど大迷宮)へ誘われる、これぞスゴ。 二十年前と一緒だった、知恵熱で寝込んだ。というのも、ただ物語を追うだけでなく、自分の既読を強制して引き出させられる体験が強烈だったから。 「読む」というのは目の前の一冊に対する単独の行為ではない。台詞や描写やモチーフ通じて、関連するや自分の記憶を掘り出しては照射しながら、くんずほぐれつ再構成する、一種の格闘なのだ。ひっくり返すと、あらゆるにはネタ元がある。「読む」とは、ネタ元を探しては裏切られながら、『再発見』する行為なのだ。 ヨハネの黙示録の引用に始まり、ヴィトゲンシュタインの論理哲学考の模倣で終わる書は、縦横無尽の借用、置換、暗示、物真似で綴られており、科学・文学・哲学の壮大なパッチワークを見ているようだ。 だいたい、探偵役が「バスカヴィルのウィリアム

    「薔薇の名前」はスゴ本
  • ボルヘス好き必読「ゾラン・ジフコヴィッチの不思議な物語」

    さらりと読んで後悔、極上のケーキを一口でべてしまった。 なので、これを読む方はよく味わってほしい。【ボルヘス級】といえば分かってもらえるだろうか。3つの短篇を編んだ、とても薄い、極上の奇譚集だ。読むのがもったいないくらい。 簡潔な文体で異様な世界を描く作風は、ボルヘスやコルタサルを期待すればいい。だが、書の異様さはこの現実と完全に一致しているところ。ボルヘスの白昼夢をリアルでなぞると、この物語りになる。 そうこれは「物語り」なのだ。最も面白い物語りとは、うちあけ話。最初の「ティーショップ」では、聴き手の女の子と一緒に、物語に呑み込まれて裏返される"あの感じ"を堪能すべし。そこでは聴き手が語り手となり、語り手が聴衆と化す。物語りは感染し、連環する。 ラストで彼女がとった行動に、一瞬「?」となるが、直後に鳥肌が走る。独りで読んでいるのに、周囲の空気が自分に集まってきて、世界に観られている感

    ボルヘス好き必読「ゾラン・ジフコヴィッチの不思議な物語」
  • 「STEINS;GATE」がスゴい

    涙腺弱いんよ、エエトシこいたオッサンなのに。痛勤電車でプレイしたのが失敗だった。もうね、後半ぼろぼろなんよ、涙が止まらない。バカじゃないですか、オッサンが朝から泣いてるんよ、PSP握り締めて、満員電車で。周囲はさぞかしキモかったことだろう。 前半コメディ、後半シリアス、終盤ドラマティック、急展開するラストに吸い込まれるように読む。すべての伏線が収束する快感に、感情を焼き尽くされる。どんなに足掻いても運命からは逃れられない"あきらめ"に似た感覚を原体験させられる。犯した過ちを「なかったこと」にしてはいけない、「意味なんてない」ことなんて無いんだと叫びたくなる。「失敗も含めて今の自分がある」―――陳腐なセリフが、妙にリアルに後を引く。 現代科学をベースとしたSF「想定科学」の設定にしっかりとバインドされたストーリーは中毒性がある。PSPでプレイするノベルゲームなので、読む・聴く・感じるを一体化

    「STEINS;GATE」がスゴい
  • 本好きが選んだ新潮文庫の160冊

    好きなを持ち寄って、まったりアツく語り合うスゴオフ。今回のテーマは「新潮文庫」。ジャンル不問・冊数未定でありながら、やってみるとむつかしい。 なぜと問うなら、自分の書棚と脳裏を浚ってみるといい。文芸、海外歴史、冒険、SF、純文、対談、ミステリー、ファンタジー、ドキュメンタリー、エッセイ、記憶から積山から、懐かしの一冊から流行りの新刊まで、いくらでも出てくるから。ありすぎて選べないのだ。 それでもムリヤリ選んだのが、「この新潮文庫がスゴい!(徹夜小説編)」。これは「新潮文庫」+「寝忘れる徹夜」という組み合わせで厳選したもの。そして、人力検索はてなで質問したのが、「『この新潮文庫がスゴい!』という、あなたのオススメを教えてください」になる。わたしの偏見「理系のはてな」を跳ね返す文理入り乱れの怒涛のラインナップが揃った。 そして、実際にみんなで語り合ったのがスゴオフ。新潮文庫の良さ(

    本好きが選んだ新潮文庫の160冊
  • この新潮文庫がスゴい!(徹夜小説編)

    「マイベスト新潮文庫」を探すべく、書棚と脳裏を漁るのだが……出るわ出るわ、記憶からも積山からも怒濤のごとく、文芸、海外歴史、冒険、ミステリ、ファンタジー、ドキュメンタリー、エッセイ……ありすぎて選べない。 だから、も一つ「しばり」を設ける。それは「徹夜小説」であること。ひたすら面白く、寝を忘れて読みふけった鉄板を挙げる。くれぐれも、明日がお休みの夜を見計らって手にしてほしい。 ■「シャンタラム」 グレゴリー・デイヴィッド・ロバーツ 未読なら、おめでとう。「これより面白いのがあったら教えてくれ」という傑作だから。憑かれたように読みふけり、時を忘れる夢中だ。(わたしは4回乗り過ごし、2度事を忘れ、1晩完徹した)。巻措く能わぬ程度じゃなく、手に張り付いて離れない。とにかく先が気になって気になって仕方がない。前知識は邪魔、完全に身を任せて、物語にダイブせよ。 とはいうものの、蛇足気味に補足

    この新潮文庫がスゴい!(徹夜小説編)
  • 負うた子に教えられ「ゼルダの伝説」

    ゲームで子育て」のつもりが、子どもに教えられたでござる、の巻。 「子どもに読ませたい」があるように、やらせたいゲームがある。ピカイチはゼルダ。なんて好きなものを勝手に読むだろうが、ゲームはそうはいかぬ。うっかり「無料です!」に騙されて時間とカネを吸い取られないように、とーちゃんが教えてやる。 自分で考えることなしで、ただ刺激と反応をくり返す―――「ゲーム脳」で親を脅す商法は種切れだろう。今のゲームは緻密で複雑で、トライ&エラーを重ねながら、因果関係とパターンを見抜く必要がある。もちろん例外はあるが(無料です!)、わが家では禁止だ。こういうときこそ、温故知新「タダほど高いものはなし」を思い出せ。 ゲームとは、現実のシミュレーション。対象を「観察」し、「目標」を定め、ミスをくり返しながら目標に近づく方法を模索する。さらに、別方向からアプローチできないか、他の要素から効率化できないか考えな

    負うた子に教えられ「ゼルダの伝説」
    orbis
    orbis 2011/12/14
  • この本がスゴい!2011

    今年もお世話になりました、すべて「あなた」のおかげ。 このブログのタイトルは、「わたしが知らないスゴは、きっとあなたが読んでいる」。そして、このブログの目的は、「あなた」を探すこと。ともすると似たばかり淫するわたしに、「それがスゴいならコレは?」とオススメしたり、twitterやfacebookやtumblrで呟いたり、「これを読まずして語るな!」と叩いたり―――そんな「あなた」を探すのが、このブログの究極の目的だ。 昨年までの探索結果は、以下の通り。 このがスゴい!2010 このがスゴい!2009 このがスゴい!2008 このがスゴい!2007 このがスゴい!2006 このがスゴい!2005 このがスゴい!2004 昨年から始めたオフ会で、たくさんの気づきとオススメと出会いを、「あなた」からもらっている。目の前でチカラ強くプッシュしてもらったり、物語談義を丁々と続けたり

    この本がスゴい!2011
    orbis
    orbis 2011/12/01
  • 「千夜一夜物語」はスゴ本

    「死ぬまでに読みたい」シリーズ。 「あたり」に出会うと、ずっと読み続けたい、終わらなければいいのに……と思うことはないか?ページを繰る手ももどかしいのに、ページが尽きるのを惜しむ、矛盾した感情。「千夜一夜物語」別名「アラビアンナイト」は、まさにその鉄板の面白さ。誰が読んでも面白いという点では、古今無類であり、読む人の心を喜ばせ、高め、慰める力を持っている。 しかも、バートン版。「千夜一夜」は多くの人が編さん・翻訳しているが、なかでも一番エロティックでロマンティックでショッキングな奴が、バートン版なのだ。淫乱で野卑で低俗だという批判もあるが、その分、意志の気高さや運命の逆転劇が、いっそう鮮やかに浮かびあがる。妖艶な表紙からして子どもに見せられないし、残虐だったりドエロだったり萌えまくる描写が山とある。これらは、人性のドロドロの濃淡・陰影をつけるための淫猥ではないかと。 物語のバリエーションは

    「千夜一夜物語」はスゴ本
  • 生きることに意味はないが甲斐はある「それでも人生にイエスと言う」

    こころが傷んだときの保険。「なぜ私だけが苦しむのか」と同様、元気なときに読んでおいて、死にたくなったら思い出す。 「なぜ私だけが…」は、わが子や配偶者の死といった悲嘆に寄り添って書かれている。いっぽう、「それでも人生に…」は、生きる意味が見えなくなった絶望を想定している。こうした喪失・絶望に陥っているときに開いてもダメかもしれない。だが、「あのがある」と御守りのように心に留めおいているだけでもいいかもしれぬ。「これを読めば元気がもらえる」と言ったらサギだろうが、少なくともわたしは、これのおかげでもうすこし生きたくなったから。 著者はヴィクトール・フランクル、ナチスによって強制収容所に送られた経験をもとにして書かれた「夜と霧」は、あまりにも有名。凄まじい実態を淡々と描いた中に、生きる意義をひたすら問いつづけ、到達した考えを述べている(リンク先のレビューにまとめた)。 「それでも人生に…」

    生きることに意味はないが甲斐はある「それでも人生にイエスと言う」