ファミ通VS.ファミマガの歴史。塩崎剛三氏と山本直人氏,レジェンド編集者がマイコン誌時代からファミコンブームまでを語る ライター:箭本進一 カメラマン:愛甲武司 12→ 元「ログイン」「ファミコン通信」編集長である塩崎剛三氏の書籍「198Xのファミコン狂騒曲」が2024年8月31日に出版される。この本では,「ログイン」のいちコーナーから始まったファミコン通信(以下,ファミ通)が,週刊誌として刊行されることや,リメイク版が発売された「オホーツクに消ゆ」など,さまざまなムーブメントが作られていく様子が語られている。 4Gamerではこの書籍の発売を記念し,塩崎剛三氏と世界初のファミコン誌である「ファミリーコンピュータMagazine」(以下,ファミマガ)の元編集長である山本直人氏との対談を掲載する。マイコン(パソコン)雑誌から家庭用ゲーム機の雑誌へ移る……というよく似た経歴の両氏が,ファミコン
[インタビュー]理不尽だらけの「ドルアーガの塔」の攻略とは,どんな世界だったのか?40年前の若者が“この世の真理”を追い求め,燃え尽きるまで ライター:大陸新秩序 カメラマン:佐々木秀二 2024年7月,アーケード版「ドルアーガの塔」が,全国のゲームセンターで稼働を開始してから40周年を迎えた。ナムコ(当時)からリリースされたアクションRPGで,「ゼビウス」などで知られるゲームクリエイターの遠藤雅伸氏が企画・開発を手がけたタイトルだ。 本作では,主人公の騎士ギルが,悪魔のドルアーガにさらわれた巫女のカイを救出すべく,幾多のモンスターが待ち受ける60階建ての塔を上っていく。ゲームの基本的な流れは,迷路になった各フロアに落ちている鍵を拾って扉にたどり着き,次のフロアに進むサイクルを繰り返していくというものだ。 だが,それだけで終わるゲームではない。重要なのは,各フロアに隠された宝箱を出現させて
坂口博信さん、成田賢さんが2024年6月22日放送のJ-WAVE『ゆう坊とマシリトのKosoKoso放送局』の中で初期『ファイナルファンタジー』シリーズなどを手がけた天才プログラマー、ナーシャ・ジベリについて話していました。 (鳥嶋和彦)やっぱり当時は(開発が)早いよね。 (坂口博信)最長で10ヶ月ですね。 (Naz Chris)ドラクエも早かったんですよね。 (堀井雄二)1なんか半年ぐらいで、2もそのぐらい作っていて。すぐ出したからね。で、3」でやっと1年かかったという話なんで。 (Naz Chris)当時のファミコンのゲームって、そんなもんなんですか? 平均的に1年以内で開発できるんですか? (堀井雄二)容量が少ないんでね、分量がなかったんだよね。1で64KBしかないんで。そこに絵を入れて、音楽を入れて、プログラムをしてっていう。 (坂口博信)そうですね。成田が言ったようにナーシャって
日本美術の近現代史の歪みが生んだ、村上隆の「嫌われる理由」村上:今日はありがとうございます。山田さんのYouTube番組は、ずっと拝見していました。 山田:「村上隆 もののけ 京都」は、お世辞抜きで期待以上に良かったですよ。《お花の親子》(2020)が東山を借景にした日本庭園の池にじつによくフィットしていましたし、《風神図》《雷神図》(ともに2023〜24)にしても、《洛中洛外図 岩佐又兵衛 rip》(2023〜24)にしても、力作ですよ。 京都で開催する必然性のある展覧会になっているところがすばらしいと思いました。 村上:今日は山田さんに、クリティカルに忌憚(きたん)のない解説をいただけるという期待をしています。じつは、2020年オリンピックの東京開催が決定した2013年9月7日(日本時間8日)の、その5分後に、「村上隆だけにはキャラクターを作らせたくない」という言葉がTwitter(現
Digital Eclipseはドリコムの協力のもとNintendo Switch、プレイステーション5、プレイステーション4、Xbox Series X|S 、Xbox One、PC(SteamとGOG.com)用RPG『Wizardry: Proving Grounds of the Mad Overlord(邦訳:ウィザードリィ 狂王の試練場)』を2024年5月23日に発売した。 本作は1981年9月に Apple II にてリリースされた『ウィザードリィ 狂王の試練場』のフル3Dリメイク版。ビジュアルや一部システムを現代向けに再構築しながらも、Apple II 版のコードを移植して制作された。オリジナル版と同じ言語や難度で遊べる“オールドスクール設定”も搭載されており、『ウィザードリィ』シリーズを遊んだことがない人も、かつてApple IIやファミコンで遊んでいた人も、すべてのプレ
参加者紹介 古賀亮一(コガリョウイチ) 電撃大王で発表した作品に「ニニンがシノブ伝」(2000~2006年)、「電撃テンジカーズ」(2006~2010年)など。2020年からはコミックNewtypeにて、「ニニンがシノブ伝ぷらす」を連載している。最近ハマっていることは散歩。 古賀亮一 (@kryo1) | X 古賀亮一の記事まとめ 代表作「ケメコデラックス!」(2005~2011年)は電撃コミックガオ!でスタートし、2008年に雑誌の休刊に伴って電撃大王へと移籍。そのほか電撃大王での連載作品に「ちょろいですよ鬼殺さん!」(2019~2020年)など。現在は月刊ガンダムエースにて「アラサーOLハマーン様」を連載中。千葉県柏市を舞台にした「あしたの今日子さん」(2010~2018年)が、2024年放送のTVアニメ「超普通県チバ伝説」とコラボしたばかり。 いわさきまさかず (@iwasaki_m
今月11日、第96回アカデミー賞で作品賞や監督賞はじめ、最多7部門の受賞を果たした『オッペンハイマー』。 第二次世界大戦下で原子爆弾の開発を指揮したオッペンハイマーの生涯を描いた作品だ。クローズアップ現代では、世界的なヒットを生み出し続ける“ハリウッドの鬼才”クリスファー・ノーラン監督への単独インタビューを2年余りの交渉の末に実現した。 なぜ今、世界の姿を一変させた科学者に焦点を当てたのか。作品に込めた核兵器の脅威とは。 今月29日の日本公開(配給:ビターズ・エンド ユニバーサル映画)を前に、桑子真帆キャスターによるインタビューが実現。その全文を公開する。 (聞き手 桑子真帆キャスター) 監督初の試み 歴史上の人物オッペンハイマーを描いた理由 映画『オッペンハイマー』は、去年7月にアメリカで公開され、世界興収は10億ドルに迫るなど、実在の人物を描いた伝記映画として歴代1位を記録している。
今から1000年の昔の日本は、いったいどのような社会だったのか? 天皇や貴族たちの生活は? はたまた、ドラマに登場する紫式部や藤原道長たちはどのような人物だったのか? 時代考証を担当する倉本一宏氏に、最新の研究成果も交えながら解説してもらった。その後編(前編はこちら)。 古記録から見えてくる紫式部、道長、そして晴明の実像は!? ――紫式部はどんな人物だったと思われますか? 私は歴史学者なので本当は専門外なんですけれども、一般的に歌集『紫式部集』から、ある程度少女時代と結婚・出産・夫との死別、つまり第1の人生は復元できるんです。すべてが本当の話じゃないとは思いますが。そして、夫と死別したのちに『源氏物語』と『紫式部日記』を執筆するという、世間でクローズアップされている第2の人生があります。 ですが、私はむしろ『源氏物語』を書き終わった後の人生の方が長いと考えています。これは第3の人生と言うべ
『ゴールデンカムイ』の人気で、アイヌの文化や伝統への関心は高まっています。でも、アイヌの人々が抱える差別や生きづらさについて、思いを巡らせられている人はどれだけいるでしょうか。 アイヌへの差別の構造について考えることは、女性やLGBTQ+、障がい者など他のマイノリティ差別の理解にも繋がります。『ゴールデンカムイ』の監修にも参加している、北海道大学教授・北原モコットゥナㇱさんにアイヌの人々がどんなことに「もやもや」を感じているのか、そして無知・無理解の構造、マイノリティとマジョリティの関係性などを伺いました。 》後篇を見る 『ゴールデンカムイ』でアイヌに興味を持ったなら 差別や偏見にさらされてきた歴史も知ってほしい 自身もアイヌとしてのルーツを持つ、北原モコットゥナㇱさん。 『ゴールデンカムイ』はもともとアイヌ語監修として千葉大学の中川裕先生が入っています。中川先生とのご縁で私は編集部の方と
1232年、鎌倉幕府三代執権の北条泰時により制定された初の武家法「御成敗式目」は、日本の歴史上「最も有名な武家法」とも称され、今なお広くその名が知られている。しかし、その内容が詳らかに知られてはいないだろう。 中公新書より刊行された『御成敗式目 鎌倉武士の法と生活』は、同法の主要な条文を詳しく解説、実態や後世への影響を明らかにした一冊だ。著者の佐藤雄基氏に、同書の狙いと「御成敗式目」の先進性について話を聞いた。(編集部) 佐藤雄基氏 ――「御成敗式目」と言えば、昨年(2022年)放送されたNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では坂口健太郎さんが演じていた北条泰時が制定した日本初の「武家法」として有名ですが、今回それをメインに扱った新書を執筆しようと思った、そもそもの動機やきっかけは何だったのでしょう? 佐藤雄基(以下、佐藤):私はもともと日本の中世の法を研究しています。平安時代の終わりから鎌
クリストファー・ノーラン監督の最新作『オッペンハイマー』が興行収入5億ドルを突破し、同日公開の『バービー』とともに話題となっている。日本公開未定のこの作品について、またハリウッドが抱えるストリーミング配信やストライキの問題について、英紙「フィナンシャル・タイムズ」が監督にインタビューした。 監督本人が考える「大反響の理由」 青いボタンダウンシャツに黒のスポーツジャケットを着たクリストファー・ノーランが、ダイニングルームに入ってくる。ロサンゼルスのおしゃれエリアであるロス・フェリズの人気のレストラン「リトル・ドムズ」のドレスコードも余裕でクリアだ。 ベストとブレザーで現場を率いるこの監督であれば、それも当然かもしれない。超カジュアルが基本のハリウッドで、彼のフォーマルさは、ほとんどカウンターカルチャーといえる。 ノーランがブース席の隣に座り、我々はロサンゼルスでの暮らしについて話しはじめる。
「子どもが街から消えた」 その爆発的ヒットがこんな表現で例えられたのが、1983年に任天堂が発売した家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」、通称「ファミコン」だ。 日本のゲーム産業に大きな影響を与えたこのゲーム機が、世に出てことしで40年。会社はこれから、どのように、どんなゲームを送り出そうとしているのだろうか。そのヒントを探るべく、古川俊太郎社長に話を聞いた。 8月1日から31日まで大阪府阪南市で開かれているレトロゲームの展示会。 過去に販売されたおよそ500種類のゲームやその関連商品が展示されている。 中でも入り口の一番目立つ場所に置かれているのが、「ファミリーコンピュータ」、いわゆる「ファミコン」だ。
みなさまにとって、「RPGの原体験」はどこにあるだろうか。 『ポケットモンスター』シリーズからRPGに触れた人、『ファイナルファンタジー』シリーズから触れた人、『テイルズ』から、『ペルソナ』から、『原神』から……。 きっと、「思い出のRPG」は人の数だけあるのだろう。 そして、そんな「思い出のRPG」に、『ドラゴンクエスト』を挙げる人は多いのではないだろうか? スクウェア・エニックス公式サイトより 『ドラゴンクエスト』……まさしく日本のRPGにおける特異点ともいえるタイトルにして、多くの方の「RPGの原体験」として刻み込まれているタイトル。そして、『ドラゴンクエスト』の生みの親でもある堀井雄二氏は、いくつかの作品から影響を受けてこの『ドラゴンクエスト』を作ったとされている。 そのひとつが、『ウィザードリィ』。1981年に発売された3DダンジョンRPGである今作は、後世の『ドラゴンクエスト』
[インタビュー]SC-3000&SG-1000発売40周年! セガハードを支えた石川雅美氏,奥成洋輔氏,堀井直樹氏がセガハード史を語る 編集部:早苗月 ハンバーグ食べ男 本日(2023年7月15日)は,セガ・エンタープライゼス(当時)からホビーパソコン・SC-3000および家庭用ゲーム機・SG-1000が発売されてから40周年を迎える節目の日となる。 今日の4Gamerには赤くて白いゲーム機の記事が何本か載っているはずだが,そんなことよりセガハードである。ドリームキャスト,セガサターン,メガドライブ……それらの始祖たるSC-3000&SG-1000こそ,我らが本日の主役。7月15日はセガハード記念日であり,それ以外の大抵のことは些事である。あっちの記事の機材提供も筆者だったりはするが,それはそれ,これはこれだ。 これを機に,改めてセガ8bitハード時代の裏側を探るべく,SG-1000IIか
『ドラクエ』は初代の時点で“面白い”と確信していた──……では、本日のゲストをお迎えいたします。まずおひとり目が『ドラゴンクエスト』の生みの親であるゲームデザイナーの堀井雄二さん。そしてさらに、元少年ジャンプ編集長にして『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』、『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』の生みの親であり、『ドラゴンクエスト』誕生のきっかけを作ったとも言われるマンガ編集者・マシリトこと鳥嶋和彦さんです! 堀井さんはインタビューだとか、『ドラゴンクエスト』の新作にあわせてのコメントだとかはいくつか拝見したことがあるんですが、テレビやラジオというものにはあまり出演なさってないですよね? 堀井雄二氏(以下、堀井氏): はい、あんまり出ないですね。あがり症なものですから(笑)。 ──そのころは集英社の会議室に堀井さんが夕方6時ごろに現れて、夜の10時から原稿を書き始めていたとか……。 堀井氏:
1975年宮城県生まれ。元SEでフリーライターというインドア経歴だが、人前でしゃべる場面で緊張しない生態を持つ。主な賞罰はケータイ大喜利レジェンド。路線図が好き。(動画インタビュー) 前の記事:あなたの会社の「伝説の社員」を教えてください > 個人サイト 右脳TV まるで異世界転生 2023年現在、マルタ騎士団には13500人の騎士(ナイト)が所属しており、約10万人のボランティアを擁している。 その騎士のひとりが、今回お話をうかがった武田秀太郎さん。現在、日本国籍を持つ唯一のマルタ騎士団員である。 武田秀太郎さん。普段は九州大学都市研究センターで准教授を務めている。たまたま上京されたタイミングでお話をうかがいました。 武田さんがマルタ騎士団の一員となったのは昨年のこと。日本人としては約90年ぶりのことだという。 シドニーで行われた叙任式の写真を見せてもらうと、その様子はもう完全に異世界転
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く