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ブームに関するorticaのブックマーク (4)

  • 失言バッシングブームはどこに行った? - 水色あひるblog

    今年も、一川防衛大臣を筆頭に政治家の失言失態は多々ありました。自民党は問責決議案を可決させるなど攻撃を続けていますが、笛吹けど踊らず、国民の側はイマイチ盛り上がらない印象があります。私個人の感覚ですが、かつて「漢字が読めない」ことで総理大臣を一人クビにしたあの頃のような熱気が感じられません。 自民党の議員さん達からすれば「不公平だ」と恨み節も出るところでしょう。「国民は自民党に厳しく、民主党には甘い」と。けれどこのバッシングの違いは国民の自信の差であり、民主党にむしろ厳しい。そんな気がします。 ◆ 小泉政権後の三年間、国民の間で高まって行ったのは「政権交代したい熱」です。絶大な期待を抱いて迎えた小泉政権も末期は弊害が声高に叫ばる中で終焉し、自民政権への絶望が固まった時期。けれど国民には不安もありました。「政権交代なんて当にできるのか?」という自信の欠落です。 55年体制確立以降、自民党

    失言バッシングブームはどこに行った? - 水色あひるblog
  • ネットにはまだテレビのような機敏さやえげつなさがない - ハックルベリーに会いに行く

    昨日、テレビ業界で働く友人と久しぶりに事をした。その友人とは、前に「アムウェイの人たちが集まるカフェ」に関する記事を書いたことがあるのだが、そのことを教えてくれた後輩のMである。そのMと、回転寿司をべながら四方山話に花を咲かせていたのだが、その中で色々面白い話を聞くことができた。なんでも今、テレビには「イケメンブーム」が沸き起こっているらしい。 このところ、「イケメン」をテーマにしたドラマがいくつも作られ、それぞれヒットを記録している。フジテレビで2007年に放送された「花さかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜」を筆頭に、「ごくせん」「ROOKIES」そして最近では、テレビ東京で「Cafe吉祥寺で」という昼ドラが放送されたりしている。さらには、ドラマではないけれど「クイズ!ヘキサゴンII」の「羞恥心」が流行しているというのもある。これらの番組には共通した特徴があるという。一つは、無名

  • フリーター「怠け」言説が隠してきたもの。 | 考えるための書評集

    ひところフリーターは「怠けている」「責任感がない」「身勝手だ」「自由気まま」と大人たちに批判された。いまはそれがひっくり返って、「貧困だ」「転落だ」「哀れ」「格差」「一生はいあがれない」と悲愴な目で見られるようになった。 「怠け」や「責任感がない」と罵られている最中に進行していたことは、若者たちの雇用の排斥や切り下げであったことが、さいきんの認識としては一般的になってきた。ということは、フリーター怠け言説は、若者を大人たちの「正社員共和国」から放り出すさいの煙幕や、若者を切り捨てる際の良心の痛みを緩和してきたということができると思う。 一方では「怠けている」「やる気がない」と叱っておきながら、一方では若者から雇用を奪い、年金や健康保険の折半を廃棄し、月給から上らない時間給へと切り下げ、解雇が容易で短期の雇用に切り替えていたのである。「怠けている」「怠けている」と個人や人の資質の問題に帰し

  • 「ブログの終わり」? それは「キャズム」を越え、一般化・大衆化によって薄まった時代の到来 [絵文録ことのは]2005/05/26

    最近、「ブログの終わり」という話がブログ界隈で盛り上がっている。4月末には「ブログブームの終わり」というタイトルの記事が象徴する「ブログの予想以上の内容の薄さ」が取りざたされた。そして、5月末、「ブログに魅力を感じなくなった」という「ブログの終焉」という話が「ブログの匿名・実名議論」と絡んで持ち出され、それは一方で「ネットって一時期飽きたりすることがあるんだよね」という話にもつながっている。 で、それで思い出したのは、1年半前――ちょうどココログが登場する前後だ――にブログ論壇界隈で話題になっていた「ブログとキャズム論」だった。あのころ、ブログは「一部の物好きのブームから、もっと広い層に受け入れられる“壁”(キャズム)を超えられるだろうか」ということが議題になるような段階だった。 それが、1年半を経て、ブログは一般化・大衆化した。ブログの濃度が保たれず、「ブーム」という段階を超えた。それが

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