【都築和人】第7回小島信夫文学賞を受賞した小島正樹さん(71)の『野犬飼育法―彼またはKの場合―』が鳥影社から出版された。分身Kから突然電報が舞い込み、Kが飼いならそうとする野犬をめぐって、Kとの間で緊張関係が高まっていく。カフカを思わせる不条理な味わいと、展開を予測させないミステリー小説にも似た構成で最後まで引きつける。 小島さんは岐阜県立加納高校時代から文芸部に所属し、卒業後も同人誌に作品を書いていたが、単行本として発表するのは初めて。『野犬飼育法』は1969年に同人誌に未完のまま発表した作品を40年ぶりに書きつないだ。 小説の時代設定は60年代。「高度成長が始まって私たちの世代は理想と現実との間で悩んだ。当時の選択が今の日本の原形にもなっているのではないか。自責の思いも込めて60年代を生きた自分たちの世代をどうしても書き上げたかった」 野犬を飼いならすことで世界をひらこうとするKと野
がんで闘病生活を続けながら最後までヒロシマと向き合い、原爆の恐ろしさを訴え続けた中沢啓治さん。「『ゲン』はわたしの遺書」という言葉を残し、73年の人生を閉じた。 「原爆はお袋の骨まで持っていくのか」。母の火葬後、ほとんど残らなかった遺骨を目の当たりにして増幅した怒りが、原爆をテーマにした作品を描く原点になった。 1973年にスタートした「はだしのゲン」の連載。40年近くを経て、今年度から広島市の平和教育の教材に使われ始めた。今夏、朝日新聞のインタビューに応じ、中沢さんは「連載を始めた当時、漫画はばかにされ、社会的地位を得ていなかった。思いもよらず感慨深い」と語った。 自伝となる「はだしのゲン わたしの遺書」(朝日学生新聞社)を今月、出版したばかり。「わたしが伝えたいことは、すべてあの中にこめました」と結んだ。3・11後の原発事故にも触れ、「唯一の被爆国なのに、放射能のことが正しく理解されて
今年9月、ベネチア国際映画祭に「千年の愉楽」で参加した若松孝二監督(右端)。高岡蒼佑(左端)ら出演者とレッドカーペットを歩いた 若松孝二監督の訃報(ふほう)。1人になる度に泣いた。40年前から父親的存在だった若松監督。偶像だった監督。「次は原発映画を撮るから力を貸してよ」と僕の手を握った監督。 中2で「理由なき暴行」を観(み)た。僕の通う中学は紛争真っ最中。大学紛争のバリケード内で上映されたと聞いて観に行った。衝撃を受けた。大学生と予備校生と旋盤工が「網走番外地」を歌いつつ江の島に行く。だが「ここではないどこか」に行こうとして「どこにも行けない」。暴走する3人。映画の中に僕自身を見た。 1990年代半ば監督にお目にかかった。客が十数名のトークイベント。僕は若松監督作品「ゆけゆけ二度目の処女」の挿入歌を暗唱した。「いったい君は何者だ」。以降は何度もトークイベントを御一緒し、お宅にお邪魔した。
朝日新聞2011年1月30日読書面に掲載された鼎談を再録します。 ◇ 筒井康隆さんが読書面で連載した『漂流――本から本へ』が朝日新聞出版から本になりました。筒井さんと、同学年の大江健三郎さん、このほど本をめぐる随筆集『星のあひびき』が出た丸谷才一さん。3人の作家による「読書について」の鼎談(ていだん)では、豊かで多彩な読書体験が語られました。(構成・大上朝美) ■面白い本を飛び石伝いに 筒井 大江 僕は『漂流』推薦の言葉に「面白ヒトスジの大読書家」と書きました。筒井さんは子どもの時から面白い本をつかまえる名人で、つかまえたら正面から熱中する。自分に根を下ろすよう大切にする。その後、一つ一つが書かれるものの柱になります。最初は俳優になりたかったのが、ある時から小説家の自分を自覚する。その方向に読み進む過程が、あざやかなドラマですね。 丸谷 読書に対するエネルギーに圧倒されるね。僕なんかとても
音楽業界が苦しんでいる。音楽のパッケージソフトが売れないのだ。「“音楽”自体がもうオワコン」(たとえばアゴラ)という話まである。音楽を「産業」、聴衆を「市場」としか見ていないと、こういう議論も成立してしまう。大間違いだと思うが。 音楽業界は1960年代からこっち、大金を稼げる産業だった。なぜビッグマネーを稼げたかというと、いくらでも複製できるパッケージソフトがばんばん売れたからだ。それまでの音楽家は、実演でしか金を稼げなかったので大金とは無縁だった。 しかしレコード技術と流通システムの確立により、野心的な音楽家はときに大金を稼ぐ機会に恵まれるようになった。ビニール盤、CDと、音楽産業の隆盛はおよそ半世紀続いた。 でも五十年経ってついに、音楽市場から顧客が退場し始めた。長らく「若い人たちが音楽を聴かなくなった」「携帯電話にお小遣いを奪われた」「ダウンロードに顧客を奪われた」と言われて来たがホ
とはいっても授賞式そのものには都合で行けず、『PLUTO』組のパーティです。 手塚治虫文化賞では、授賞式のあと各受賞者ごとにパーティを開くのが通例になっているようですが、選考委員を含めた「マンガ評論家」スジは、その各パーティに分かれて流れるのだそうです。夏目房之介さん(ブログに授賞式に行って来ました、という記述がありますね。http://www.ringolab.com/note/natsume2/archives/003488.html)によると、呉智英さんや村上知彦さんらは、こうの史代さんのほうに流れたんじゃないかということでした。 『PLUTO』組のパーティに来ていたのは、夏目さんをはじめ、藤本由香里さん、ヤマダトモコさん、マット・ソーンさん。ぼくは「評論家」ですが、「元アシスタント」でもあるので、立場が二重です(笑)。マンガ家の星野泰視さんほか元アシ仲間と久しぶりに会えたのはとても
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