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常識に関するorticaのブックマーク (5)

  • みな論理的に話をしている

    1. 自分を論理的だと信じている人達(苦手な女性の共通点)、、(ちゃんみつさん) 以前も書いたのだけれど、感情論はたいてい、論理がしっかりしている。 私は白い壁が好き+あなたは壁にポスターを貼るのが好き+あなたにとってポスターを貼ることより私の気持ちの方が大切なはず→我慢してくれるわね? といった感じ。(大筋で)論理の破綻はない。無論、前提がひっくり返れば結論は変わりますけれども、話者の想定している条件が満たされている限りは、おかしなところはありません。 id:chanm さんがもうひとつ問題視しているのは「屁理屈」ですが、これもたいてい、論理はしっかりしています。 「感情論」や「屁理屈」がなぜ反対者への説得に効果的でないのかというと、論理に誤りがあるからではなくて、前提条件への同意が得られないからです。もっと書けば、「感情論」とか「屁理屈」といった呼称は、(多くの場合)前提条件に同意でき

  • 地域格差は、娯楽の格差/なぜ東北の人々はパチンコに並ぶのか - デマこい!

    みつどもえ 1 (少年チャンピオン・コミックス) 作者: 桜井のりお出版社/メーカー: 秋田書店発売日: 2007/01/09メディア: コミック購入: 6人 クリック: 147回この商品を含むブログ (270件) を見る 大学時代の友人とひさしぶりに会ったら、話があわなくなっていた。 待ち合わせ場所は秋葉原。私がアニメの話題作についてペラペラと喋っていたら、彼はぽかんとした表情を浮かべていた。『Stein’s Gate』はおろか、『まどか☆マギカ』も『けいおん』も観ていないという。私にとっての一般常識を、何一つ共有できなかった。彼に非はない。私がそちらのカルチャーに染まってしまっただけだ。 ただし、東京の友人には社会人になってからオタク化した人が多い。独身の男性(に限らないのだが)は帰宅後ヒマだ。バラエティ番組は最近あまり面白くない。しかも帰宅する時間が遅くなりがちで、テレビをつければち

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  • 社会科学を真の科学に - 書評 - 偶然の科学 : 404 Blog Not Found

    2014年01月12日16:30 カテゴリ書評/画評/品評SciTech 社会科学を真の科学に - 書評 - 偶然の科学 偶然の科学 Duncan J. Watts/ 青木創訳 [原著:Everything Is Obvious: *Once You Know the Answer] 出版社より献御礼。 2012.01.26 初出 2013.01.12 文庫化につき更新。 entryがオビに採用されております あやうく騙されるところだった。 オビと私自身の常識、いや偏見に。 「社会科学は科学とは言えない」という偏見に。 書「偶然の科学」を、数ある「常識を疑え系」の一冊として読むことは当然可能だ。そう読んだとしても書の元は確かにとれる。 オビより アップルの復活劇は、ジョブズが偉大だったこととは必ずしも関係がない。 VHS対ベータ戦争で敗れたのも、MDの失敗も、ソニーの戦略ミスではな

    社会科学を真の科学に - 書評 - 偶然の科学 : 404 Blog Not Found
    ortica
    ortica 2012/01/26
    [h:keyword:社会科学][h:keyword:isbn:9784152092717]
  • 初期近代における「クリスマス終了のお知らせ」 - オシテオサレテ

    「仮庵の祭からサトゥルナリア祭へ:16世紀の年代学でのクリスマスへの攻撃」Carl Philipp Emanuel Nothaft, "From Sukkot to Saturnalia: The Attack on Christmas in Sixteenth-Century Chronological Scholarship," Journal of the History of Ideas 72 (2011): 503–22. http://muse.jhu.edu/login?uri=/journals/journal_of_the_history_of_ideas/v072/72.4.nothaft.html 1600年代の初頭、とあるプロテスタントの学識者は次のように言いました。 もし私が60年前に我らが主[キリスト]は12月25日に生まれたわけではないと言ったならば、私は焼き

    初期近代における「クリスマス終了のお知らせ」 - オシテオサレテ
  • 自殺をしてはいけない理由

    何で自殺ってしちゃいけないの?生きるのも死ぬのもそいつの自由だろうが。 という疑問に対して長らく答えを出せずにいたのだが、最近になってようやく自分の中で一つの答えが見つかった気がする。 20年以上も生きていると、ぬるい人生なりに「死んでしまいたいほど辛い」という気持になったことは何度かある。 そのたびに色々な理由づけをして押しとどめてきたから今もこうして生きている。 しかし、周囲の人に自殺されるとその理由づけが弱くなってしまうのだ。 特別親しい人でなくても、たとえば職場の同僚であったり、元同級生であったり、 もっと極端な事を言えば、テレビやネットで「増え続ける自殺者の数」を目にするだけで 「俺が自殺しない理由」はどんどん説得力を失っていくのだ。 ああ、やっぱり自分で死ぬっていう選択肢は「アリ」なんだよな…と思ってしまう。 「生命は生きることが自然であり、自ら死を選んでしまうのは不自然だ」と

    自殺をしてはいけない理由
    ortica
    ortica 2011/10/12
    [h:keyword:http://b.hatena.ne.jp/hotentry/20081012][h:keyword:自殺しない理由]
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