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解答に関するorticaのブックマーク (2)

  • そろそろ死にたくなってきた人に捧げる雑文 - やねうらおブログ(移転しました)

    昨年、小学校で教える「掛け算の順序問題」がインターネットで非常に話題になった。*1 *2 簡単に言えば、小学校で「リンゴが3個置かれた皿が5枚ある。リンゴは全部で何個か」という問題が出題されて、「式: 5×3 = 15 答:15個」と書いたら先生にバツをされた、先生の用意していた正解は「式: 3×5 = 15 答:15個」だというものだ。 ぶっちゃけ、その教師は頭がおかしいと私は思うのだけど、まあ、その教師にはその教師なりの主張があって、この話は突き詰めていくと「掛け算の交換則が成り立つことを証明していないときに交換則を使っている」(それが解答として許されるのか)ということに行き着く。つまり、「まだ授業で習っていない事項を使ってはならない」という考えかたが根底にあることがわかる。 最近では、「習っていない漢字は使ってはならない。(ひらがなで書かなくてはならない。自分の名前さえも) 」だとか

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    ortica
    ortica 2012/03/05
    [h:keyword:ペアノの公理]
  • こびとさんをたいせつに - 内田樹の研究室

    金曜日はゼミが一つと会議が三つと杖道の稽古。 1年生の基礎ゼミの第一回目。 この何年か、1年生のゼミが面白い。 大学のゼミってどういうものだろう。なんだか知らないけれど、いつこうという「前のめり感」があって、こちらもそういうのには弱いので、つられて前のめりになってしまう。 最初は「ゼミとは何か」ということについてお話しする。 でも、実は私にも「ゼミとは何か」ということがよくわかっているわけではない。 だから、毎年言うことが変わる。 今回はふと口を衝いて「ゼミの目的は自分の知性に対して敬意をもつ仕方を学ぶことです」と申し上げてしまう。 言ってみてから、そういえばそうだなと思う。 ポランニーの「暗黙知」(Tacit Knowing) も、カントの「先験的統覚」も、フッサールの「超越論的直観」も要するに、「私は自分の知らないことを知っている」という事態を説明するためにつくられた言葉である。 古

    ortica
    ortica 2011/10/03
    [h:keyword:http://b.hatena.ne.jp/hotentry/20091003][h:keyword:こびとさん]
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