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近代と意識に関するorticaのブックマーク (3)

  • 近代視覚表現技術とともにあった「想像力」の危機: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 視覚表現技術をどう進化させるか?という課題が、ひとの想像力をこの時代にあったものに拡張するうえで、重要なポイントの1つだろうという思いを最近より強く感じています。 そんなことをあらためて考えるようになったのは、前回の「反-知の形式としてのバロック的想像力を再獲得する」という記事でも紹介した高山宏さんの『魔の王が見る―バロック的想像力』というのなかでこんな記述を目にしたからでもあります。 前回の記事中でも取り上げた17世紀初めのヴンダーカンマー(驚異博物館)の流行の時代を、高山さんは「想像力」の時代でもあると読み解きながら次のように書いているんです。 事物の集積に未曾有の関心をもった17世紀初めのそうした「エキセントリック・スペース」の流行を背景にしてみてはじめて、人間は自

  • 今週の本棚:山崎正和・評 『西洋哲学史 1−4』=神崎繁・熊野純彦・鈴木泉、責任編集- 毎日jp(毎日新聞)

    (講談社選書メチエ・1890〜1995円) ◇世界文明を生んだ「奇妙な精神」の歴史 哲学への無関心が今、とりわけ日の言論界に瀰漫(びまん)している。学界を超えて読まれる哲学書は希(まれ)にしか出ないし、哲学に関する啓蒙(けいもう)書さえめっきり少なくなった。いわゆるインテリ階層の減少が知的な関心一般を貧しくしたうえに、実利主義的な風潮が純粋な思索へのなけなしの欲望さえ薄れさせている。 背景には自然や社会の科学の発展があり、それらが質的に専門分化をめざすあげく、世界を全体として知る衝動を弱めたという事情もあろう。また西洋哲学は科学を含む近代文明の母となったことから、一方では反近代主義の思想や宗教の反感を買い、他方では嫡子たる科学の親殺しに脅かされている。現に尖端(せんたん)の脳科学は、自我やロゴスといった哲学の中心主題について、それらがニューロンの反応にすぎない可能性を示唆している。

    ortica
    ortica 2012/08/12
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  • [書評]意識は傍観者である: 脳の知られざる営み(デイヴィッド・イーグルマン): 極東ブログ

    デカルトの「我思う故に我あり」は通常、「思考している自分は存在している」と理解される。「自分という意識は確実に存在している」というわけである。当たり前ではないかと思うかもしれない。残念でした。「自分という意識」は脳機能の処理結果であって、それ自体で存在しているわけではない。あなたには自由意志なんてない。あなたの意識や自由意志は脳のプロセスの、ただの傍観者なのである。 冗談のようだがこの話は脳科学を学んだ人には常識の部類である。なにかをしようと意識するよりも身体のほうが先に動くことは実験科学的にわかっているからだ。座っていて「ちょっと立ち上がろうかな」という自由な意識は、実際には立ち上がろうとする身体の神経反応の後から生じている。生理学者ベンジャミン・リベット(Benjamin Libet)が1980年代に明らかにした(参照)。身体運動についての自由意識と思われているものは、身体意識の承認の

    ortica
    ortica 2012/04/23
    [h:keyword:isbn:9784152092922][h:keyword:自由意志]
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