針尾無線塔の見学者が増加 見学者が増加傾向の針尾無線塔=佐世保市 佐世保市針尾中町の国指定重要文化財「旧佐世保無線電信所」(針尾無線塔)が昨年6月に一部公開されて以降、見学者が増え続けている。これまでに約1万7千人が訪れており、市教委は2016年度以降の全面公開に向けて準備を進めている。 市教委によると、一部公開以降、見学者数は月間千人ペースだったが、3、4月は2千人に迫るなど右肩上がりで増加。近代化遺産が全国的に脚光を浴びていることもあり、7割は県外客という。市教委は「一部公開の段階でこれだけの見学者が訪れるのは予想以上」としている。 針尾無線塔は、旧日本海軍が1918年から4年かけて建設した鉄筋コンクリート製の通信施設。高さ136メートルの無線塔3基が300メートル間隔で正三角形に配置され、太平洋戦争開戦の暗号電文「ニイタカヤマノボレ」を送信したとの説もある。 築90年以上が経
壱岐の原島に診療所を開設 新たに開所した診療所で診察する光武理事長=壱岐市、原島診療所 壱岐市の2次離島、郷ノ浦町原島に診療所が5日開設され、診察が始まった。 診療所施設は、同市が原島小の教員住宅の一部を改修した。木造瓦ぶき約53平方メートル。医療法人玄州会=光武新人(みつたけあらひと)理事長(67)=が指定管理者となり、医師の光武理事長と看護師1人、事務職員1人が毎週木曜午後2時から同4時まで診察と往診に当たる。 開所式では光武理事長や中原康壽副市長、町田正一市議会議長ら5人がテープカットをした。 光武理事長は「離島に住むからといって医療に格差があってはならない。足元を見たら壱岐市内に無医地区があり、何とか解消したいと考えていた。悲願がかなった」と話した。 早速、診察に訪れた坂本君子さん(84)は「光武先生は昔から知る優しい先生。毎週来ていただけると思うだけで安心できます」と笑
米が原爆影響報告書を公開 インターネット上で公開された日米合同報告書に収録された城山国民学校の崩壊した南側校舎 原爆投下直後の長崎、広島で、原爆の人体影響などを日米合同で調査した6冊の英文報告書「原子爆弾の医学的影響」が27日までにインターネット上で公開された。米国陸軍が1951年にまとめたが一時、機密指定され、限られた研究者しか知らなかった。周知したいと考えていた長崎大の長瀧重信名誉教授(82)が昨年、米エネルギー省に公開を働き掛け、その後、ネット上で入手可能になったと連絡を受けた。 報告書は、広島の放射線影響研究所のほか、複写が長崎原爆資料館にある。長瀧氏によると、原爆投下から間もなく日本の研究者が調べたデータや、合同調査などで構成。日米で約180人の医師らが関わった。長瀧氏は「原爆直後の状況を科学的に最も詳しく書いた報告書。多くの人に読んでほしい」と話している。 日赤長崎原爆病
長崎原爆で被爆したが、証人がいないため被爆者健康手帳の申請を却下されたのは違法として、韓国人女性の郭豊子さん(74)=釜山在住=が長崎市の却下処分の取り消しと手帳交付を求めた訴訟の判決で、長崎地裁(井田宏裁判長)は29日、郭さんの訴えを退けた。 判決理由で井田裁判長は「原告側が被爆した場所と主張する借家には当時、別の家族が住んでいたとの記録があり矛盾する」と指摘。訴状によると、郭さんは長崎市浜平町(当時)で姉とともに被爆。2004年以降、姉妹で市に手帳交付を繰り返し申請したが、却下された。 *元衆院議員宅を捜索 徳洲会元幹部の横領容疑(10/30 21:23) *暴走族少年を「受け子」に使う おれおれ詐欺容疑の男(10/30 20:41) *「健美食品」詐欺、11人逮捕 名簿で女性狙い組織的勧誘か(10/30 20:22) *元十両星風、解雇有効が確定 大相撲の八百長問題(10/3
明治初期の海岸線 鮮明に 「グラバー写真帖」から発見された倭館(東館)の写真(長崎歴史文化博物館蔵) 長崎歴史文化博物館(長崎市立山1丁目)は25日、江戸期の対馬藩が韓国・釜山に設けた在外機関「倭館」を撮影した明治時代の古写真を発見したと発表した。 倭館の港湾部は明治以降に埋め立てられて原形を失ったが、見つかった写真は港湾部の海岸線が写っていて、明治初期に撮影した可能性がある。倭館に詳しい田代和生・慶応義塾大名誉教授は「大正期ごろの倭館跡の写真はあるが、海岸線がきれいに出た写真は初めて。倭館を写した最古の写真だろう」と話している。 写真は2枚。役人や貿易関係者が住んだ「東館」と、対馬藩の外交使節が滞在した「西館」をそれぞれ撮影している。18~19世紀に描かれた倭館の絵図と建物の位置が一致するという。長崎歴文博の岡本健一郎研究員が8月、長崎歴文博所蔵の「グラバー写真帖」を調べ、韓国の風
長崎玉屋が来春ごろ閉店へ 来春ごろの閉店が検討されている長崎玉屋=長崎市新大工町 佐世保玉屋(佐世保市、田中丸弘子社長)が、長崎市新大工町で運営する長崎玉屋について、来春ごろの閉店を検討していることが6日、分かった。 長崎玉屋は1969年開業。衣料品や家庭用品、化粧品など幅広く取り扱い、老舗百貨店として親しまれている。しかし消費不振や相次ぐ大型商業施設の開業で競争が激化。創業40周年の2009年には、7階建ての2~5階の売り場を2、3階に集約する大規模リニューアルをした。 1階は新大工町市場と一体的になっており、閉店後の建物の活用については今後検討するとみられる。市場などとの調整次第では閉店時期が変わる可能性もあり、同社は「現時点で詳しいことは言えない」としている。 帝国データバンク佐世保支店などによると、09年のリニューアルで買い物の利便性を向上させたが、フロア縮小の影響で減収と
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