長野市松代町の松代大本営地下壕(ごう)の象山地下壕入り口に市が設置した看板で、朝鮮人労働者が工事に携わることになった経緯について「強制的に」と記した部分に、市がテープを貼って見えないようにしていることが7日、分かった。市観光振興課は外部から複数回、「朝鮮人の労働は強制ではなかったのではないか」との趣旨の電話やメールが届き、検討した結果と説明している。きちんとした検証をしないまま手を加えたことに対し、保存運動の関係者らは「議論が足りない」などと指摘している。 看板では工事の経緯や規模などの概要を説明している。「住民及び朝鮮人の人々が労働者として強制的に動員され、突貫工事をもって構築した」と記されていたが、昨年8月、市観光振興課の判断で「強制的に」の部分に粘着テープなどを貼った。 同課によると、年約10万人の見学者に配っているパンフレットの内容を昨年4月、1990年の壕公開以来初めて本格更
風船爆弾や細菌兵器などを研究開発したとされる「陸軍登戸(のぼりと)研究所」が太平洋戦争末期、現在の駒ケ根市中沢小学校に当たる中沢国民学校に併設されていた中沢青年学校に疎開した際の記録が中沢小に残っていることが26日、分かった。同青年学校が学校事務などを長野県に報告した「申達(しんたつ)文書」で、校舎の転用計画や戦後に米兵らが接収した物品の一覧も掲載。旧陸軍の最高機密だった同研究所に関わる資料の多くは終戦直後に処分された。現存する公文書は珍しく、研究者は「具体的な事実が記された貴重な資料」としている。 申達文書は、1944(昭和19)年4月~47年3月、中沢青年学校から県上伊那地方事務所への報告をまとめた縦約25センチ、横約20センチの紙束。現在は駒ケ根市民俗資料館になっている旧中沢国民学校校舎内に保管されていた。 登戸研究所は45年3~4月、川崎市から上伊那地方などに疎開した。同年4月
JR中央東線小淵沢駅構内(山梨県北杜市)で16日、大雪を取り除く作業をしていた車両が脱線し、茅野―小淵沢間で列車が運行できない原因になっていることが18日、分かった。車両は除雪用のラッセル車ではなく、貨物列車をけん引する機関車で、JR東日本によると、14日以降の沿線全域の大雪に対応するラッセル車が足りなかったため使用した。同社は脱線の事実を公表していない。 JR東日本八王子支社(東京)によると、脱線は16日午後2時半ごろに発生。ラッセル車の代わりに比較的重量のある機関車を甲府―小淵沢間の除雪に利用した。小淵沢駅構内の下り列車用の線路で1メートルほどの積雪に乗り上げ、前の2軸が脱線した。18日夜も動かせないままになっている。 同支社によると、機関車を使った除雪は異例で、「緊急事態に対処するために使った」と説明。機関車を使った除雪は線路上から雪を押し出す方式で、車両前方の雪を押しのけて飛ば
「突然なくなると困る」「競争が激しかったのか」―。マツヤ(長野市)が県内に展開する「マツヤ」「ユー・パレット」など32店舗のうち不採算の6店舗が閉鎖されることが明らかになった4日、閉鎖予定店舗近くの住民からは身近なスーパーがなくなることへの困惑が聞かれた。正社員120人規模の希望退職者募集に加え、閉鎖店舗ではパート従業員の雇用の行方も不透明だ。この日、系列店舗は「店内整備の為」に臨時休業で、取材に応じた従業員らは多くを語らなかった。 茅野市宮川のユー・パレット茅野店は、マツヤが南信地方初の店舗として2012年4月に開店。わずか2年での撤退となる。4日、臨時休業とは知らずに訪れた20代の主婦は「家が近いので週に2回は利用していた。無くなるのは困る」と漏らした。6人家族で割安感のある業務用の食品をたくさん買い込むのに重宝していたという近くの主婦(43)も「平日も客がそこそこ入っていたので、閉
日本山岳遺産基金(東京)は23日、「日本山岳遺産」に長野、富山両県境の北アルプス船窪(ふなくぼ)岳を認定した。同日都内で開いた「日本山岳遺産サミット」で、一帯の登山道整備に取り組む「船窪小屋・道しるべの会」に認定証を授与した。県内の山岳の同遺産認定は初めて。基金は今後、同会の登山道整備に助成金を送る。 同基金は「山と渓谷社」(同)が創業80周年記念で2010年に設立。美しい山々を次世代に引き継ごうと同年度から同遺産の認定を開始。今回は全国15カ所の自薦の中から、船窪岳のほか北海道のアポイ岳、宮城県の金華山、三重県の大台ケ原大杉谷を認定した。認定地はこれで13カ所となった。 船窪小屋・道しるべの会は、船窪岳(標高約2300メートル)に連なる北ア七倉岳の山小屋「船窪小屋」の常連客ら約50人でつくる。船窪岳北の針ノ木谷で古い登山道の復活に挑んだ同小屋主人の松沢宗洋(むねひろ)さん(77)=北
諏訪市中洲の諏訪大社上社本宮で15日、県無形民俗文化財の「十五夜祭奉納相撲」があった。地元の神宮寺区の若者力士11人が幣拝殿前の斎庭(ゆにわ)で輪になり、勇壮な「相撲踊り」を奉納した。 社殿屋根の復元工事中のため、社殿を写した大型写真パネルの前で踊った。力士たちは赤や紫の華やかな化粧まわし姿で登場。独特のリズムの歌謡「相撲甚句」を代わる代わる歌い、「どっこい、どっこい」の掛け声を響かせた。片足を前に踏み出し、胸や膝をたたく力強い動作を見せると、家族や見物客が盛んにカメラのシャッターを切った。 力士のまとめ役の「大関」を務めた矢崎泰宏さん(38)は「きょうは練習を通して一番の踊りができた」。この日は境内の土俵で、地元の子どもや大人が参加する相撲の取組もあった。 諏訪の相撲はもともと五穀豊穣(ほうじょう)を祈る神事で、その後、神社や広場で庶民が楽しむようになったとされる。神宮寺区によると
自治体が把握している地下壕では、入り口に子どもが遊ばないように注意看板が設置されている所もある=御代田町 現存する戦時中の地下壕(ごう)の危険性について国が2009年度、全国市区町村を通じて行った調査で、塩尻市が地下壕の所在地を正確に記した記録を保有しておらず、安全かどうか確認できない状態になっていることが6日、分かった。国土交通省は「危険性は地下壕の経年変化で変わる可能性がある」とし、常に場所を把握するべきだと指摘する。塩尻市は「(09年度の調査で)安全は確認されているが、場所が確認できないのは好ましくない」と説明。急きょ、過去の調査に関わった職員から聞き、場所などの把握を始めた。 鹿児島県では05年、防空壕で中学生4人が一酸化炭素中毒死する事故も起きた。国の調査は定期的に行われており、直近の09年度には全国で9850カ所を確認した。県内では9市町に24カ所あり、うち長野市の松代大本営
伊那市高遠町に、日本近現代史専門の古書店「蟻屋(ありや)書房」が東京から移転した。店主の今井真(しん)さん(67)が母親を亡くしたことをきっかけに、東京の喧噪(けんそう)から離れ「静かな場所で一生現役で古本屋をしたい」と移住。東京の古書市場に通い、専門分野の他に上伊那関連の資料も集め始めた。目録とインターネットで販売しながら、喫茶店のように集える古書店を目指している。 西高遠の国道361号から細い路地を北に入ると、民家の軒先に古書が並んでいた。家の中にも古書や資料数万点が所狭しと置かれている。車で6回に分けて運んだといい、荷ほどきされていないものもある。東京では利用者の大半が研究者で、目録を毎回2千~3千部発送したという。今井さんは「埋もれていた資料を公の場で活用してもらえるとうれしい」と話す。 東京出身。「本無しで出掛けるなんて考えられない」というほど本好きで、明治大の学生時代から神
北アルプス・西穂高岳独標(どっぴょう)(2701メートル)付近で1967(昭和42)年8月1日、集団登山中の松本深志高校(松本市)の生徒が遭った落雷遭難事故の慰霊で、同窓生や同校山岳部員ら25人が1日、西穂山荘(岐阜県高山市)近くのヘリポートで黙とうし、犠牲者の冥福を祈った。 事故は2年生が落雷に遭い、生徒11人が死亡、生徒と教員13人が重軽傷を負った。 この日は天候が悪く、独標までは行かず、ヘリポート脇に献花した。 同校山岳部は2006年から慰霊登山をしており、ことしは9人が参加。2年の西山康之君(17)は「(事故の教訓を生かすため)忘れないことが大切」と話していた。 事故当時、救助に当たった元高校教諭の小林俊樹さん(80)が「ここはヘリが遺体やけが人を運んだ場所」などと話した。1年の木村文岳君(15)は「貴重な話を聞けた。事故を忘れないよう、後輩に伝えたい」と話していた。事故当
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く