小松は新聞の論説を多数書いており、「神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫」で検索すると六十八本の論説がヒットする。そのほとんどが中外商業新報(現在の日本経済新聞)に掲載されたものだが、今回は昭和三年九月二十四日から六回に分けて掲載された、「赤化運動の経緯」という文章を紹介することとしたい。表題の「赤化」とは、国が社会主義国になること、または人の思想が社会主義や共産主義になることを意味している。 昭和初期のわが国に行われた赤化工作 今ではなかなか想像しづらいところだが、わが国は大正十四年(1925年)にソ連との国交が樹立して以降、マルクスやエンゲルス、レーニンなどの著作が相次いで出版され、小松がこの論説を書いた昭和三年(1928年)頃には、わが国では共産主義思想が若い世代中心に急激に広まっていた時期であった。 ロシア革命後ソ連は、先ず西欧諸国の赤化を計ろうとしたのだがうまくいかず、次に東洋に
